2016年12月30日金曜日

「倫理的な生活者(Ethical Citizen)」としての実践- 共にやると、友になる! -


元公立高校教諭のK.Oです。 

 新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。 

クラフトづくりで友達になった近所のM.Kさんが、昨年講習会にはじめて参加してくれました。そして今、普及誌の年間購読者に。私は「クリップホルダー」を、M.Kさんは「あんどん」を作りながら、相談し材料や工具を提供し合うなどで、つながりができたからです。クラフト製作を共にやったとき、喜びを共有し親しくなり友達になりました。つまり「共にやると友になる」ことを発見しました。これは現職教員の会員拡大にも応用できると思います。 

「幸せを運ぶ教育フォーラム」で、クラフト製作
  A教区では、昨年度県内3カ所で「幸せを運ぶ教育フォーラム」が計画され、まずスタートとしてH地区で開催されました。この日の教育フォーラムでは、「クラフト」を製作しました。講話のあと、柿の木の剪定端材を使用して、参加者一人ひとりが「クリップホルダー」づくり。下ごしらえをした材料にサンドペーパーをかけ、お気に入りのコトバを書いて仕上げました。 

以下は、参加者の皆さんからの感想です。

  感想「木から伝わってくるぬくもりを感じ、心が温かくなり幸せを感じました。クラフト、手作りの良さを実感しました。」生教会会員:T.Oさん

  感想「紙やすりをかけ手ざわりがよくなり、機械で作ったものと違い、個性があっていいなあと思いました。」現職教員: H.Sさん

  感想「クラフトを実際に、初めてやってみて良かったです。柿の木の樹皮をよく見て、模様に感動しました。」生教会会員: M.Kさん

自然の材料を用い、自分の個性を表現する作品を手作りし、皆さんがとても喜んでくれました。この日、「倫理的な生活者」としての実践を学びました。
             (2016.5.8会場にて、参加者6名・内現職教員1名、講師・K.O) 

「倫理的な生活者」としての生き方の指導、そして人材育成
「持続可能な社会」の実現について、昨年の相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会で、総裁・谷口雅宣先生がご指導くださいました。そのために私達生教会は、「倫理的な生活者」として自ら実践するとともに、教育関係者や児童・生徒・学生、生命学園児童に「倫理的な生活者」としての生き方の指導を、自信と勇気をもって行っていきたいと思います。私達の具体的な指導は、(1)自然と触れ合うオーガニックの野菜づくりやノーミートの食生活、(2)ゴミの分別・リサイクルや自転車の活用等による省資源の生活法、(3)自然度の高い材料を用いたクラフトの製作や自然観察による絵手紙・俳句・絵画の制作をする自然重視の表現活動・・・いずれも低炭素のライフスタイルです。 

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、「倫理的な生活者」としての実践について、日常生活の中で「信仰を生活に生かす」ことをご指導くださり、また、次のようにご教示くださっています。 

 こういうことを自ら実践して、人にも同様の生き方を勧めることを通して、私たちは実際に二酸化炭素の排出を減らすことができる。しかし、これは物質的な側面のことで、全部ではない。精神的側面のことを忘れてはいけない。それは、実際行動は私たちの信仰の表現だということです。(中略)
 そういうわけで、皆さんの得意な分野を活かして、信仰心を大いに燃やして“自然と共に教勢も伸ばす”ことを忘れずに、後継者育成も視野に入れて、この新しい運動を喜びをもって盛り上げていただきたいのであります。
   (機関誌『生長の家』2016年1月号24~25頁 谷口雅宣先生ご文章) 

  生教会はこうした生き方の指導により、さらに後世への人材育成を行いましょう。日本と世界に貢献し、これからの生長の家を担う後継者を育成して、バトンを引き継いでいきたいと思います。
 これが、われら生教会の聖なる使命であると考えます。

 “新しい文明”構築のために。

      K.O

2016年12月2日金曜日

「脱原発の教育実践と発信―世界へ向けて」

元公立高校教諭のK.Oです。

「幸せを運ぶ教育フォーラム」が、1113日に福島県郡山市で開催され、出講してきました。テーマは、「子供の無限力を引き出すには」についてです。講話のおわりに、東日本大震災より5年経過して、これまでの生教会福島教区の環境教育の取り組みに感謝を述べました。そして、より一層の「脱原発の教育実践と発信」を共に進めることを、皆さんと決意しました。このことが世界に向けて、生教会福島教区の使命であると思います。 

 ところで、原発事故で今も困難な状況が続いています。福島県では、8万人以上の人々が故郷に帰れないでいるのです。その中で、横浜市に自主避難していた中学生が、小学生の頃から校内でいじめを受けていました。何年もいじめを受け続け、約150万円ものお金を取られていたのに、教育委員会や学校は適切に対応してくれませんでした。そのような絶望のなかでしたが、生徒は死を選ばず、「しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」と決意したのです。悲しみの中にも、勇気ある姿に涙を誘われました。 

 このような中で、安倍首相はインドと原子力協定を締結し、経済優先の原発輸出を進めています。 

 私たち生教会は、脱原発の教育をさらに強力に、児童・生徒・学生に、そして現職教員はじめ教育関係者に伝えていきましょう。原発の問題点、つまり「なぜいけないのか」の指導を、学校現場で、幸せを運ぶ教育フォーラムで、生命学園で。 

原発反対の願いを込めて、「倫理的な生活者」として、「省資源、低炭素の生活法」を自ら実践し、社会に伝えていきましょう。

“自然と共に生きる”喜びを感じながら。
                                            K.O

 

2016年9月19日月曜日

自然との共存教育

小学校教諭のY・Sです。

 久しぶりの更新です。平成28年度がスタートしてすでに半年が過ぎようとしています。子どもたちは心身共に成長していますか?不安や無気力,苛立ちや体調不良を訴える子はいませんか?「生長の家の教育法」を実践しておられる先生方にはそのようなこととは無関係と自信をもって日々教育実践をされていると思いますが。
 話は変わって,あの「東日本大震災」から5年と6ヶ月が過ぎました。しかし,被災地の復興は遅々として進んでいないというのが現状です。津波で流された地域では大規模なかさ上げ工事が行われている一方,あちらこちらに「慰霊碑」がひっそりと建てられています。
 みなさんは「あの時」どこで何をしていましたか?被災地に足を向けられた方は何を感じられましたか?きっとあの時,「変わらなければ!」と思われた方々がたくさんいると思います。私は今こそ,その意識を実践に移す時期であると思っています。5年半前の巨大地震以来,日本ではこれまでにない気象災害が頻発しています。これは何を意味するのでしょうか?私たちは本当に「変われた」のでしょうか?水を大切にしているでしょうか?
紙の無駄遣いはないですか?ゴミはきちんと分けて出していますか?何よりも身近な動植物に愛を持って接しているでしょうか。山川草木に感謝しているでしょうか?
 「あの時」「変わろう」とした気持ちを私たちはもう一度思い出す時期に来ているのだと思います。
 また,大きな台風が日本へ向かっています。私たちは台風にさえ感謝することで,被害を被ることから逃れることができるのであると私は信じます。
 自然との共存教育は,ゼロからのスタートかも知れませんが,今本当に必要とされていることをあらためて考えてみたいものです。

 蛇足ですが,私の好きな英語の格言を2つご紹介します。 ・Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree. ー Martin Lutherー
 ・You’ll never find a rainbow if you’re looking down. ーChrlie Chaplinー 

写真:宮城県南三陸町の防災対策庁舎

 

2016年7月25日月曜日

手描き製図とCAD― 低炭素のものづくりをめざして ―


元公立高校教諭のK.Oです。 

機械製品や工具などの改良・開発のために、スケッチという描画法があります。授業を担当して、それが出来ない、さらにはそれを嫌う学生が増えていることに危機感を持ちました。理由はスケッチは手間が掛かるだけでなく、現代の学生の思考形態にあると思われます。 

CAD(Computer Aided Design)の問題点
製図を描くには、手描きとCADがあります。手描きは従来からの技法で、基礎基本を成すものですが、現在はCAD が主を占めている状況です。Computer Aided Designコンピュータ支援設計(製図)の意味で、印刷、保存、またメールでの送受信等が容易で、効率のよい点があります。 

一方、問題点もあります。私は昨年(短大非常勤講師)、機械設計製図の授業を担当し、それに気が付きました。一例として、一本の線を引くときのことがあります。マウスで始点をクリックし、移動して終点を指示し描きます。その始点と終点は、マウスをおおよそのところにもっていくと、コンピュータが自動で交点を合わせてくれるのです。大変便利なのですが、人間がていねいに描くという努力をあまりしなくてもできます。 

そのため、図面にていねいさも粗雑さも現れにくいのです。効率を優先するCADに頼りすぎると弊害があると感じました。教育を受ける学びの期間においては、なおさらのことです。 

とくに大きな問題は、紙のムダが多いということです。提出課題を印刷するとき、訂正・修正のたびに印刷し直します。間違っている“古いものを捨てて新しいものを再印刷”します。その捨てる紙の量はかなりの枚数になり、資源とエネルギーの消費増です。CADはコンピュータ処理に依存する、「デジタル」で「左脳的」な心の傾向による技法の象徴と言えます。 

手描き(手仕事)から新しい文明の構築へ
手描き製図にはスケッチと製作図がありますが、とくにスケッチの特徴は対象のもの(真象)をよく見て、イメージを形(図)に手で表現することです。この技術は、新製品開発や改良等の新しいオリジナルなアイディアを生むためには、とくに必要なものです。 

また、手描きはていねいに仕事をする練習になります。めんどうくさいのなかに大切なものがあるのです。さらに、一枚(基本)の紙に組立図や部品図をどのように配置するかという、直感力・大局的な見方が養われます。手描きができなければ、CADも充分使いこなせません。 

とくに手描きは、紙一枚(一つの図面・作品につき)で済みます。間違いは“消して描き直し紙を大事に使う”ので、省資源・省エネルギーです。手描きにより、手仕事から得られる「アナログ」で「右脳的」な考え方が伸長されます。したがって、学生には手描きや手仕事は、今、手工業として見直され、大事であると教えているのです。 

総裁・谷口雅宣先生は、「デジタル」で「左脳的」な心の傾向と「アナログ」で「右脳的」な考え方のバランスが大切であり、とくに現代では、後者の活性化が必要であると説かれています。 

さらに総裁先生は、手仕事・手工業の長所について次のように示されています。 

クラフトとは「手仕事による製作」であり、「手工業、工芸」である。この定義からして、製作には手がかかる。(中略)これに対して工業製品は、製作過程を機械化して手作業をできるだけ省くことで、人件費の削減と大量生産による効率化を行い、低価格での製品提供を実現している。両者の生産方式には一長一短があるが、地球温暖化と資源やエネルギー不足が危惧されている現代にあっては、手工業による生産方式のメリットは無視できない。製作過程で資源やエネルギーのムダが少なく、デザインの画一化や大量在庫が発生しにくく、したがって大量廃棄の必要もないからだ。(機関誌『生長の家』2015年5月号5~6頁 谷口雅宣先生ご文章) 

クラフトを一つ一つていねいに仕上げるように、製図も一本の線、一つの交点に心を込めて描く手描きを大切にしたいと思います。学生はすぐCADを使いたがりますが、開発・改良等のスケッチや製図の基礎基本は、手描きのプラス面を強調し指導したいものです。省エネ・省資源で低炭素のものづくりが、自然と人間が調和する“新しい文明”の構築へつながるものと考えます。 

低炭素のものづくり(生活法・表現活動)から、持続可能な社会の実現へ。
                                          K.O

2016年4月4日月曜日

子どもたちのために祈りましょう

小学校教諭のY・Sです。

 平成28年度がスタートしました。新しい職場にご栄転なさった先生方もおられるかと思います。また,昇任,新規採用され希望に燃えていらっしゃる読者の方々も。それぞれの立場で子どもたちの未来のために邁進してほしいと願っています。
 4月1日には,恒例の“一日詣” をして参りました。勤務校の産土神様と我が家の産土神様です。勤務校のお社でおみくじをひくと大吉(写真)でした。祈ったことは,子どもたちの心身ともなる健やかな生長と職場の和です。
 4月8日には,新入生と元気いっぱいの在校生で,また学校がにぎやかになります。子どもたちのためにも「祈り(=命の宣言)」を忘れずに,日々の教育活動に従事したいものです。祈りの功徳については,また後日記事にいたします。
 今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

2016年3月13日日曜日

言うことを聞かない子どもへの対応

小学校教諭のY・Sです。

最近の子どもは,小学生でも先生や親の言うことを聞かず,指示すると「いやだ!」といってふてくされることがあるようです。このような児童は年々増加しているのが現実のようですが,ここに最もよい対応があります。それは,
 子どもと遊んであげることです。
 心身の発達が著しい児童には学習(脳の発達)と運動や遊び(体と心の強化)の両立が必要です。学校で言うことを聞かない児童がいて,対応に苦慮したら,「発達障害」だとか「ADHD」だとかと疑う前に先生が休み時間に一緒に遊んであげることです。これは理論ではなく私の実際の経験から言えることです。
 授業や集団行動に馴染めず,すぐにキレてしまうような児童や先生の言うことを聞かない児童は,まず間違いなく“先生が好き”ではありません。人間は元来尊敬する人の言うことは,例えそれが多少理不尽なことだと認識しても聞くものです。小学生の児童には,まだこの“尊敬する”という観念が十分に醸成されていません。ですから,自分が一番好きである遊びを一緒にしてくれる人を“尊敬”し,その人の言うことを聞くのであると思われます。私も今までに,いわゆる問題児扱いされている児童を何人も受け持ちましたが,授業中全く集中できず,周りの子どもたちに迷惑をかけたり,授業を妨害したりしたとき,「休み時間外で遊ぼうか?」と声をかけると「え?ほんと?」と意外だという表情をして授業が終わるまで静かにしていました。約束通り2時間目と3時間目の休み時間にとことん一緒に遊びました。すると,3時間目以降はすっかり人が変わったようになって,私の言うことも聞いてくれるようになりました。もちろん,学級の他の児童たちも一緒に遊びに加わりますから,学級全体が明るく活発になります。
 とはいえ,学級担任は分刻みの忙しさですからそんな時間の余裕はないと言われる方がおられるかと思います。ではどうするか?答えは簡単。“宿題を少なくする”のです。つまり○付けをする時間を削って子どもたちと遊ぶ時間に充てることです。そんなことをすると,学力の低下につながるのではという心配なら無用です。授業で勝負するのです。子どもたちが先生を“尊敬”して心を開いてくれたら授業もスムーズに進むこと請け合いです。

2016年3月5日土曜日

忘れられない3月11日を前に

小学校教諭のY・Sです。

 
「あの日」からもうすぐ5年が経とうとしています。私も被災地に住んでおりますので,当時のことを決して忘れることはできません。平成23年(2011年)3月11日14時46分,低学年の児童が下校した直後のことでした。あの長く激しい揺れの中,私は「目を覚ませ!」という地球の叫びを聞いたような気がします。これが最後の警告であってほしいと切に願います。
  これからもあの震災を知らない子どもたちに,自然の偉大さや自然とともに生きることの大切さを伝えていきます。全国のみなさまもぜひ東北へお越しください。まだまだみなさんのご支援が必要です。

2016年2月19日金曜日

自然の中を歩くって,最高!

小学校教諭のY・Sです。

 

 先週末,近くの沼で野鳥観察をしてきました。そろそろ渡り鳥たちは越冬を終え,北へ帰る時期です。沼には白鳥や鴨などの水鳥が人間が持ってくる餌(古米のポップコーン,パンの耳など)をねだりに水際に集まってきます。家族連れの子どもたちが喜んで餌をやる微笑ましい様子を見ると,自然とふれ合うことの大切さが実感できます。本当は,人間が餌を与えたりせず,自然のままの鳥たちを静かに観察している方がいいのでしょうが。


 ふと気付くと“人気者”の水鳥を遠巻きにして,そのおこぼれを頂戴しようとしている“黒い影”が…。烏です。その近くには鳶,草の陰には雀が人間から距離を保って待っていました。普段見慣れた“彼ら”も野鳥には変わりはないので,私は少し遊んでもらうことにしました。人気のスポットを少し離れると,そこは正に手つかずの自然。烏や雀はちゃんと棲み分けをし,順番を守って待機していました。100円で買った古米のポップをそっと草むらに撒いて距離を取り,静かに観察していると,まず烏がこちらを伺いながらそれをつっつき始めました。それを確認した雀たちがそっと舞い降り,可愛い嘴で啄みます。雀は烏を恐れていないし,烏も雀を追い払ったりしないようです。ここではきちんと共生しているのです。次に持参したパンをちぎってそっといくつか草むらに。烏たちは一度は私を警戒して飛び立ったものの,さっきより大きな“ご馳走”をみつけると「カー,クヮー」と鳴き出してパンをつつきにきました。すると突然上空から大きな羽音が!


 鳶です。見事な急降下と正確なタイミングで烏たちのご馳走をさらって行きました。「鳶に油揚げをさらわれる」という諺の意味を実感して感動です。時には,私が投げ揚げたパンを空中キャッチするという技も見せてくれました。そうしているうちに古米もパンも底をつき,私は沼を後にしました。鳥たちの行動にいろいろと教えられることがありました。何よりも彼らは殺し合いをしません。奪い合いもしません。それどころかちゃんと“自分の順番”が来るのを待っているのです。そして,大きなパンのかけらをゲットした烏が,仲間のもとへそれを分け与えに飛び去る姿にも感動しました。
 今度は,学校の子どもたちを連れてきたいと思いました。さて,水鳥より烏や雀が気になる子どもは何人いるのか楽しみです。

 Nothing beats walk in the wilderness!

2016年2月11日木曜日

自然と人間が調和する生き方を実践して


短大非常勤講師のK.Oです。 

昨年は生長の家初の国際スポーツイベントとなった、天女山ヒルクライム(全長4.6km・標高差371mの坂道を自転車で登るレース)に参加しました。厳しいなかでも完走できたことをとても嬉しく思い、感動が今も続いています。ゴール直前の空と森は格別に素晴らしく、輝いて見えました。
 
新たな年の、新たな運動に、新たな決意で取組んでいきたいと考えます。 

自転車通勤・クラフト製作は喜び
短期大学校への通勤や家庭訪問はもっぱら自転車の使用になり、自動車をあまり使わなくなりました。CO2の削減と健康の増進に貢献し、自然と触れ合い、美しい自然を直接に感じることができるからです。風の感触、鳥の声、虫の音、日毎に変わる景色等々。ある日、自転車に乗りながら空の青さに感動しました。「青く澄みわたり!さわやか!美しい!!」と。車より時間がかかり、汗をかき、困難もあるが、喜びがあります。 

  また、クラフト製作にも挑戦しました。はじめは“絵手紙整理&鑑賞台”というものをつくりました。絵手紙を数十枚ストックでき、さらに一番表のものはしばらく眺めることができます。片付けるために、すぐ棚や引き出しに入れてしまうにはなごり惜しく、もう少し見ていたい願いをクラフトに表現しました。次に作ったのは改良型です。はじめの作品の材料には、3月まで勤務していた学校の実習からでた廃材と、素麺の箱のふたを活用しました。

もっと自然度の高い材料をと思い、今回は地元の農家から、春に剪定したりんごの木の廃材を分けてもらいました。薪ストーブの燃料になるものです。この方には普及誌を手渡し愛行しているので、快く譲ってくれました。ちなみに、このりんごの品種はふじです。 

  さらに、教区の「自然の恵みフェスタ」に手作り品のクラフトを出展するため、箸置きを10個つくりました。材料は青森ヒバの端材です。機械で作ればすぐできてしまい、はじめはめんどうくさい、ムダな作業のように思いましたが、一個一個こころを込めて作っていると、喜びがわいてきました。木のぬくもり、ヒバの独特の匂い・・・・これらに自然を感じます。手作りの楽しさ、喜び、自然との触れ合い、また材料やエネルギーを無駄にしない作業が、自然と人間が調和する“新しい文明”の構築につながるのであると思います。 

地球生命への意識の拡大-学校で、生命学園で
 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、“新しい文明”の構築のためには、個人、地域、国、人類、地球生命への意識の拡大が大切であると説かれています。その方法の一つである「自然観察」について、次のようにご教示くださっています。 

まず「自然観察」がなぜ必要かといったら、これは実際に自然と触れ合う経験をもたなければ、自然を感じられず、自然の美しさや素晴らしさを感じ、一体感をもつことができないからです。自然を感じることができないのに、自然を創造された神を知ることはできません。目で見るだけでなく、耳で聴き、肌で触れ、鼻で匂う―(中略)多様な生物が共存する“地球社会”が本当であって、それに触れる自分も喜ぶことが分かる。
(機関誌『生長の家』7月号38~39頁 谷口雅宣先生ご文章) 

さらに先生は、「三正行」に加えて「絵手紙・絵封筒」「写真・絵画制作」「クラフト製作」「自転車通勤」「自然の恵みフェスタ」が意識を拡大する方法であるとお教えくださっています。このほかにも、自然との一体感を深める意識拡大の方法を工夫して、アイディアを出していきたいと思います。 

 私達は、地球生命への意識の拡大を教育の場において、とりわけ学校現場で児童・生徒・学生に、また生命学園で児童へ教えていきましょう。これが私達教育者の役割です。

“新しい文明”の構築という大きな夢と希望を、教育関係者・教え子・生命学園児童に伝えることが、私達生教会の使命です。 

地球環境保全への取り組みと世界平和の実現を目指して!

                                           K.O

 

2016年2月6日土曜日

みなさんの「メンター」は誰ですか?

小学校教諭のY・Sです。

みなさんにとっての「メンター」はどのような人ですか?
 「メンター(Mentor)」直訳すると「よき助言者・指導者,恩師」となりますが,転じて「目標とする人物・あの人のようになりたいと思う理想の人物」ということです。
 今の子どもたちは「偉人伝」をあまり読まなくなったという話を聞きましたが,これは尊敬できる大人がいなくなったという残念な傾向でもあります。誰もが憧れる有名人などが犯罪に手を染めてしまう世の中ですから,それもまた仕方のないことですが。
 さて,わたしにとっての「メンター」といえば,「谷口雅春先生」と即答できます。こそれは本当にありがたいことです。
 さらにありがたいことには,私たち日本人には絶対的な「メンター」が存在します。
 畏れ多くも「天皇陛下」のことです。国民の幸せを切に願い,世界の平和を常に祈られている天皇陛下。御年80歳を過ぎられても,戦没者の慰霊,災害被災者のお見舞い,そして分刻みのご公務にと本当に心から感謝しなければならないと思います。
 天皇陛下を英語で「Japanese Emperor」と一般的には訳されますが,正確には,「Priest King」(祭司王)です。例えが適切ではないかも知れませんが,カトリック教におけるローマ法王の地位といえばわかりやすいでしょうか。
 私たちはもっと天皇陛下のことを知り,子どもたちにも天皇陛下のすばらしさ,ありがたさを教えるべきではないかと思います。

2016年1月25日月曜日

全員参加の授業をめざそう!

小学校教諭のY・Sです。

 どの学級にも必ず勉強が苦手な子(できない子という表現を私は使いません)がいるものです。そのような子が45分の授業時間,黙って座っていることの方が不自然です。だから当然,騒いだり周りの子にちょっかいを出したりと,教師にとって邪魔な行動をとります。また,理解のはやい子は,もう今日の授業の答えなど分かっていて,問題を提示すると指名されないのに答えを言ってしまって,教師を困らせることもあります。
 では,どうしたら学級の児童全員が参加し,どの子も満足できる授業ができるのでしょうか。
 まず,授業の導入を工夫します。例えば前の学習内容の復習になるような簡単なクイズを出します。この時に発言させるのは勉強が苦手な子です。または,「実は先生昨日ね…」などと,教師の体験談を授業に結びつけて話し始めます。この教師の体験談(いわゆる脱線)を子どもはとても喜びます。算数のかけ算の授業であれば,「先生昨日スーパーで70円の○○を3こ買ってね,…」などという話から「何十のかけ算」の授業に入っていきます。
 課題を提示したら見通しを持たせます。どんな解決方法が考えられるかを短い時間で共有します。そしてめあてを決めて板書します。この段階でもう集中力のきれた子にはそれを読ませて“褒めます”。集中してないから読ませたのではなく,読んでほしかったことを伝え,「ありがとう。」といって授業に惹きつけるのがひとつのコツです。
 課題解決の場面では,全員が考えているかどうかを確認します。机間指導(巡視)をしながら,まず,できている子を褒めていきます。次は解決につまずいている子に支援します。ここで大切なことは,何気なく支援することです。なんとか分からせようと教師がその子に集中してしまうと,他の子どもたちがざわざわし出します。そして,誰よりも支援されている子がいやな思いをします。何故だか考えてみてください…。私はそっとヒントをノートに書いて次の子の支援に行くことが多いです。
 はやく解決できたり,答えが出せたりした子には,「他の方法を考えてみてね。」とか「すばらしい。じゃあ,この問題はちょっと難しいけどできるかな?」などと,あらかじめ用意していた応用問題を提示したりします。(その問題は全員がその時間内で,できなくてもよい)
 まとめる段階では,すぐに結論を出すのではなく,2人ペアや4人程度の班ごとで話し合わせてから,それぞれ気付いたことを検討します。代表で発表する子は,“この時間にまだ発言していない子”という暗黙のルールをつくっておくと,スムーズに話し合いが進みます。
 最後は,練習問題(習熟問題)を全員で解いて答えを確認します。答えは,はやくできた2~3人→ヒントをもらってできた1~2人→全員といった流れでしっかり頭に入れます。ここでも一人一人を褒めることが大切です。普通はこれで授業を終えるのですが,私は最後に評価をしてもらいます。「◎・○・△」のどれかをノートに書いて,何が分かったのか,どこが難しかったのか,先生の教え方はどうだったかのか,のどれかひとつを簡単に書いてもらいます。
 そして,授業後にそのノートを集めて,できるだけその日のうちに「コメント」を書いて返します。このコメント書きがけっこう大変な作業で,ともするとはんこだけで済ましてしまう先生がいますが,そこをひとがんばりして「今日の発表はよかったよ」とか「最後まで考えたね」,「手を挙げていたのに当てなくてごめんね」など,一言書くことで,自分の授業の振り返りにもなります。何よりも子どもたちは,先生のその「一言」を励みにしてくれます。
 以上,スタンダードな流れですが,全員の子どもが参加でき,充実感・達成感をもてる授業を1日1時間でもいいので実践し,記録し,振り返ることで,自分自身の授業改善はもとより,子どもたちの成長が顕著にみられるようになります。それこそが,「教師の喜び・やり甲斐」につながると考えます。
   THe trick is to keep it fun! (コツはいつも楽しくやることである!)

2016年1月23日土曜日

受験で「落ちない」ために

小学校教諭のY・Sです。

 今は受験シーズンということで,今日は受験に勝つためのあれこれを書きます。
 受験に勝つためには,まず第一に「勉強すること」です。勉強せずに合格することは決してありません。当たり前のことですが,これは真実です。勉強してください!
 とはいえ,受験生をもつ親御さんにとってはそれこそ「我が身を削っても合格させたい」というのが人情でしょう。そこで,一生懸命勉強した受験生が“落ちない”方法をいくつかご紹介します。


○ 神社に祈願したらご先祖様のお墓参りをしましょう。神社では合格祈願,お墓ではただただ感謝を。ご先祖様は,いざという時にヒントを下さいます。 

○ 基礎・基本の確認をしっかりと。ひらがな・かたかなの字形・筆順・仮名遣いの復習をすると,作文や小論文での減点が少なくなります。例えば,「や」と「か」を正しく書けているか。地面の振り仮名は?(じめん),鼻血は(はなぢ),「十分間」の振り仮名は(じっぷんかん),女王様は(じょおうさま),「つまづく」は誤りで正しくは「つまずく」等。

 算数はかけ算九九を完璧に。また,100までの素数を頭の中で見つけ出せるようになると,算数的な力が増大します。

○ 鉛筆の持ち方は正しいですか?特に私立小・中学校の受験では,試験官がチェックする学校もあります。
○ 選択問題は,最初に思い浮かんだのがまず正解。(ただし,しっかり勉強した人) 

○ 思い出せない問題や解き方が思い浮かばない問題に出くわした時に,祈って訊く人や神様を決めておきましょう。

○ 自分のお気に入りの「Good Luck Charm」(お守り)を身に着けていくと緊張が軽くなります。 *この程度の英語は大学入試で出てもおかしくありません。
 

 書こうとすればきりがないですので,最後にひとつとっておきの情報をご紹介します。この神社のご神体は,5年前の「東日本大震災」の激震と大津波でも落ちなっかった巨石です。受験生のみなさんの健闘を祈ります。
 「釣石神社」→ http://guide.travel.co.jp/article/11590/  

2016年1月22日金曜日

授業をよくするちょっとした工夫

小学校教諭のY・Sです。

 今日は授業改善のコツに少しふれたいと思います。教師が評価されるのは,何といっても授業の善し悪しです。普段の授業はもとより,研究授業が上手くできないと同僚の先生方からこてんぱんにやっつけられます。そこで,私が日頃実践していて功を奏したちょっとした工夫をご紹介します。既に実践されている先生方の方が多いと思いますが,先生だけでなく,塾やサークル活動,子育て等にも役に立てていただけたら幸いです。

<永遠の課題…子どもたちを静かにさせる方法>

○ 立派な子を先に褒める。それでも騒がしい時は。「後出しじゃんけん」をする。先生が「じゃんけんぽん」といったらすぐに「ぽん」といって先生に負けるものを出す。先生に負けた子どもから座らせる。または,先生に勝った子どもからでもよい。慣れてきたら,「足して5じゃんけん」をする。後出しと同じように「じゃんけんぽん」といって先生が1~5を片手で示す。子どもたちはそれに足して5になる数を「ぽん」と言いながら出す。例えば,先生がグーを出したら,グーは0だからパーを出した子どもの勝ち。
 *低学年なら3分以内で静かになります。

○ 子どもの話を真剣に聞く。だから,発言をさせながら板書をしない。
*「先生は人の目を見て話を聞け」といつも言うのに,どうしてみんなの話は黒板に向かって聞くのか?という子どもの鋭い疑問に気付かされたことです。では板書はどうするのか?

○ 10cm四方くらいの付箋を用意し,発言する子どもにインタビューするような形でメモをしながら聞く。板書はその子に「こういう意味でいいかな?」と確認をとりながら要約してする。

○ 全員に指示が通るまで絶対に次の指示はしない。

*大人でも同時に2つの作業をするのは難しいですね。ましてや子どもには無理。なのにどうして「大人や先生はたくさんの命令をしてできないとすぐ怒るのか?」という子どもの声から気付かされました。“待つこと”ができると子どもの信頼感が増します。

 今日はこのくらいで。実践された読者の方はぜひコメントください。ちなみに2番目の実践には思い出があります。私がこの方法を取り入れた頃,何人かの子どもが私のメモした付箋をしきりに欲しがりました。乱雑に書いてあるので断ったのですが,わけを聞いて感動しました。「先生が自分の話を真剣に聞いてくれて嬉しかった」「家の人に自分が今日学校で発表した証拠として見せたいから」「自分でそこに丸をつけたいから」等…。私は思わず目を潤ませてしまいました。なぜなら,その子どもたちは,普段あまり発言・発表をしない子どもたちだったからです。 

黒板をどうやって消しますか?

小学校教諭のY・Sです。

明けましておめでとうございます。今年も本ブログをよろしくお願いします。
 今日は少し技術的なことを書いてみたいと思います。教師には,教育に対する強い熱意や信念,高邁な理念が必要です。しかし,それだけではつまずいてしまうこともあります。熱意や信念だけでは授業も生徒指導も空回りしてしまうことがあります。それに伴った「技術」もまた教師の力の一つであると思います。とはいえ,ベテランの先生方に対して教育の技術を説くほど私は優秀でないので,「釈迦に説法」かと思います。「そんなこと当たり前だ。」と思われたら笑って読み流してください。
 <黒板・チョークの使い方>
 これは私が初任の時に指導主事先生から教えてもらった基本中の基本です。
○ 黒板には日付・日直以外の項目は書かずに授業をせよ。
○ 黒板に書きながら子どもの発言を聞くな。(子どもの目を見て発言を聞いてから  板書するということ)
○ 黒板消しはどう使うか?消しゴムとは消し方が違う。上から下へと「桟(さん)」に 粉を落とすように消すこと。
○ チョークは板書以外に使わないこと。黒板に貼ったプリント等にチョークを使うのはタブーである。紙にはマジックかフェルトペンを使うこと。

 
 ひとつでも「なるほど」と思われた方はぜひコメントください。次回は授業改善のコツをちょっとだけ公開します。