2015年10月11日日曜日

「日時計主義の生き方」を伝えよう!


短大非常勤講師のK.Oです。 

勤務校と信徒の子弟の教員へ伝道 - 対面コミュニケーション

 公立高校定年後、2年間の再任用を勤め、今年の3月で退任しました。その退任する前、勤務校の7人の教員に、生長の家の教育に関する聖典をプレゼントしました。6人はこころよく受け取ってくれましたが、1人は受け取りませんでした。

受け取った6人の内、2人は切実な悩みを訴えていました。救いを求めているようで、私の体験や「日時計主義の生き方」の話に、涙を流して、目をキラキラさせて聞いてくれたのです。 

先生方の悩みの声を聞き、解決の支えになってあげたいとこころから思いました。私も教員生活の中で、困難に出合ったとき、生長の家のみ教えに救われました。その恩返しに、一人でも多くの先生方を幸福にしてあげようと、真に願うものです。「結び合う」生き方です。 

さらに、学校の休日を利用して、生長の家の信徒の子弟で教員をしている方を4人訪問しました。小学校教員3人、高校教員1人。「教員生活が楽しくなる」ブログのURLと生長の家の教育に関する聖典を愛行し、入会をお勧めしたのです。その後、4人には訪問のお礼と入会の確認のために、絵手紙を差し上げました。その後、入会申込書を書いてもらうために再訪問しました。
 
先生方の悩みに応える-“喜びの教員生活”の提案

 現職教員の会員拡大をすすめていますが、先生方は児童・生徒の問題や指導のみならず、教員生活全般について、悩みの解決を求めているように感じます。この教員生活全般についての光明化を提案し、呼びかけていくことが、現在とても大切であると思うのです。一昔前の“教師”という呼び方から、今は“教員”の名称が一般化しました。時代の変化とともに、教員のニーズも変わってきていると思います。

例として、新年度の分掌(業務分担)の不安、恐怖の訴え、学年のグループをまとめていく困難の悩み、仕事が多くて忙しいとの声、また、私生活の問題等々。

このようななかで、“喜びの教員生活”の提案、具体的には「日時計主義の生き方」を全面に掲げて伝道することが肝要であると考えます。 

生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生は、「日時計主義」について次のようにご教示くださっています。

(前略)日時計主義は人や物事の光明面だけを見る生活だ。人や様々な事柄には“良い面”と“悪い面”がある。そしてほとんどの人の心の傾向は、“悪い面”を心で捉え、文句や非難、否定的な言葉を言いつのることが多い。もちろん、そうでない人もいるが、この傾向は社会に一般化していて、染みついたクセのようになっている。この悪いクセを変えるには、強い意志で物事の明るい面に注目し、良い面をほめたたえ、感謝する生活を実行し、継続していくことが大切だ。(谷口純子先生著『平和のレシピ』34頁) 

 さらに先生は、「日時計主義の生き方」から「平和のライフスタイル」についてご指導くださいます。現職の教員に、世界平和と地球環境保全のため、身近なところから実践する生き方をお伝えしましょう。主旨に共感して目標を共有してくださるに違いありません。私のかつての勤務校でも、環境保全活動にはほとんどの先生方の共通理解がありました。 

 一人の教員の児童・生徒に与える影響は大きいものがあります。したがって、現職教員の会員拡大の意義はまことに重要であるのです。

                                                          K.O

2015年8月30日日曜日

「いじめ」について考える

小学校教諭のY・Sです。 

最近また,いじめの問題がニュースなどで騒がれています。いじめは卑怯であり,暴力であり,人間として許されざる行為であることは言うまでもありません。また,いじめを受ける側の苦痛は計り知ることができないものでしょう。では,いじめをなくすにはどのような指導が適切なのでしょうか。 一般的には,「いじめは絶対に許されない行為である」ということを児童・生徒に訓示する。「相手に対する思いやりの気持ちをもとう」と呼びかける。「いじめを見たりされたりしたら,すぐに親や先生に報告する」といった指導がなされているようですが,果たしてこれでいじめは無くなるのでしょうか?
 私は,“人間という動物は本能的に弱い者に対して残酷な行為をしたくなる”と思っています。しかし,それはあくまでも人間の肉体的本能の側面からみた性質です。これを「人間神の子」という側面からみれば,“弱い者や一見未熟な者に対してもっとよくなってもらいたい”という愛の念と捉えることができると思います
 ここで私が以前に経験した事例を挙げてみます。
 数人の男児がある一人の男児を小突いたり,授業中に発表したりすると笑ったりするという行為がみられました。(小学校中学年だったと思います)私はその度毎に「何をしてるのかな?」「なぜ笑うのかな?」と穏やかに対応していました。しかし,どうやらそれらの行為は私の見ていないところでも行われており,エスカレートする寸前であったようで,保護者からそれとなく見守ってほしい旨の言葉が連絡帳に書かれていました。(もちろんそのことは上司に報告)私は早速その“いじめっ子達”と話をしました。まず,事実を確認した上でだいたい次のような話をしました。
 
 T「君たちはA君(いじめられている男児)をどう思っているの?」
 S「なんかイライラする。」
    S「見ているとむかつく。」
 T「そうか。どんんなところにイライラする?」
 S「なんか,情けない。はっきりしないところ。」
 S「根性がない。弱すぎ。」
 T「そうか。確かにA君は,君たちより体は小さいし,勉強にも自信をもっていないよ  うだね。」 
 S「でしょう?見ていてなんかこう,むしゃくしゃする。」
 T「じゃあ,君たちはA君が嫌いなのかな?」
 S「嫌いじゃないんだけど何か黙ってられないんだ。」
 T「ということはA君のことが気になるということだね。」
 S「まあ,“うざい”から気になる。」
 T「そうか。まあ,うざいという言葉はよくない言葉だけれど,A君に関心があることは分かる。」 
 S「関心・・・?」
 T「つまり早い話が,君たちはA君が“好き”なのさ。」
 S「え~。好きじゃないし~。」
 T「じゃあ,どうなってほしいんだい?」
 S「もっと強くなってほしい。」「もっとしっかりしてほしい。」「男らしくなってほしい。」
 T「ほら!もっとこうなってほしいという気持ちがあるじゃないか。先生だってみんなにもっと勉強ができるようになってほしい。もっと根性を出してほしい。もっと思いやりをもった行動ができるようになってほしい。そう思うからときどき厳しくするんだ。でもそれは先生がみんなのことが好きだからだ。嫌いな人によくなってほしいという気持ちは起きないよ。」
 S「そうかなあ・・・?」
 T「これからA君とどうやって付き合っていくのがよいのか,考えてみてごらん。」
 S「・・・・・。」
 
 その後,子ども達の様子を見ていると,A君に対して「がんばれ!」とか,授業中に答えが当たったときなどに「おお~。」といって拍手をする場面が見られるようになりました。特にA君の鉄棒の逆上がりの練習を例の“いじめっ子”達が応援している場面が印象的でした。私はそっと遠くから見守っていたのですが,A君が逆上がりに成功したとき「やったー!」という大歓声が湧き,みんなで私に報告しにきたときの場面は忘れられません。A君はうれし泣きしていて,それにつられたのか“リーダー格”の男児がもらい泣きしていたのを見て,私もついほろりとしてしましました。 
 そうです。“いじめっ子”は本来いないのです。“いじめ”とみられる言動の奥には,相手に「もっとよくなってほしい」「本当はそんな情けない君ではないんだぞ」といった励ましの気持ち,愛念があるのです。子どもはまだ表現が未熟なため,それを極端な形で表現してしまう。その一つが“いじめ”につながってしまうのではないかと思います。
 私たち教師は,いじめを絶対悪として捉えるのではなく,児童・生徒の中にある神性・仏性が歪んだ形で現れていると観て,適切な助言を与えることがいじめという現象を無くすひとつの糸口になると考えます。
 

2015年7月14日火曜日

“喜びの教員生活”を提案


短大非常勤講師のK.Oです。 

 この春、桜の小さなつぼみが可憐な花を咲かせるように、若々しい新米の青年教師が誕生しました。生命学園出身の、Iさん(青年会員)です。生命学園に父母と通いはじめてから早10年。本人はもちろん、両親も、生命学園の関係者も喜びと希望に胸を膨らませています。勤務先は市内のM保育園というところです。 

 I先生は、「子供たちのもっている良い面を愛情で引き出していきたい」と、抱負を語っています。
保育士としての新たなスタートに、祝福の祈りを贈ります。神様の祝福がありますように・・・。 

小学校教員を訪ねて - 学校の現状
 1月初旬、小学校教員をしているO先生を訪ねる機会がありました。学校の現状、先生方の様子を聞いたところ、困難な問題が多くあることが分かりました。とくに小学校の場合、1〜2年生で発達障害の児童が近年増加。一クラスに2〜3人いて、授業中に歩き回る、大声をあげる等、指導に手を焼いているということです。クラス担任は、大変な努力をしているそうです。また、児童減少により教職員も削減になり、一人の教職員の担当する仕事が増え、忙しさが増しています。精神的ストレスが多く、とくに若い先生の苦労は大きいのです。 

O先生は、特別支援学級の担任をしていて、知的障害の児童を受け持っています。この児童に学習内容を理解させるのに、苦労が多いといいます。一般的に、保護者は特別支援学級に入れることを嫌う傾向にあり、保護者への対応に年々困難を感じているそうです。O先生は、様々な学校の抱える問題、同僚の悩み、また自分の悩み等をとうとうと、予定の時間をオーバーして話し続けるのでした。 

「日時計主義」の教育実践を
私が自分の体験を話し始めたら、どのように解決したのですかと、熱心に聴いてきて関心を示してくれました。かつて同僚から無視され、いじめを受けたときに、谷口清超先生のご文章から、全ての人の幸福を祈ることを教えられたのです。朝の神想観で祈り、学校のはじまりの前に祈り、そして聖経読誦等を心を込めて実践しました。また退校前に、今日一日の中で特に良かった事、明るい面に感謝する祈りをしました。そして帰宅後、『日時計日記』をつけるのです。「日時計主義」の生き方を続けたときに、気がついたら職員室内が融和し、解決できました。そこで、O先生に『日時計日記』をプレゼントして、是非書いてみてくださいとお勧めしました。 

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、「日時計主義」について次のようにご教示くださっています。

生長の家は「世の中の明るい面」「楽しい面」「素晴らしい面」に注目して、それを「コトバの力」によって褒めたたえ、引き出すことによって、すでにある「神の世界」をこの地上に現すための運動であります。(中略)私たちは今日まで「日時計主義」の生活を大いに進めてきました。また、これからもさらに進めていきたいと思うのです。なぜなら、この「日時計主義」こそ、実相独在の信仰と唯心所現の真理を体現した生活の実践だからです。 (谷口雅宣先生著『日時計主義とは何か?』132133頁) 

私達は、今こそ現職の先生方に、どんな問題や困難があっても、今与えられている日常の生活の中に、“喜びの教員生活”を営むことができるということを、自信を持って伝えていきましょう。白鳩会・相愛会の子弟の教員の方に、近所の教員の方に、友人知人の教員の方に、そして勤務校の教員の方に。 

 この訪問で私は、O先生と心が一つになれたような気がしました。愛行実践の喜びがあったのです。「結び合う」生き方の実践であると思います。

                                                 K.O

2015年6月7日日曜日

“肉食を減らすこと”を生徒に伝えて2


短大非常勤講師のK.Oです。 

環境教育として、昨年10月、3年生34人に授業で、肉食の抱える問題点について話をしました。

その後、12月の定期考査にも出題しました。

事前に指導しておいたので、みんな良くできました。環境に関する問題は、毎回出しますが、人気のある問題です。点数が取れるからです。 

冬休みが明けて、授業で生長の家の真理・環境について、さらに話をしました。その他、年度の課題研究という授業で、蓄電池の研究を含め、ソーラー充電器とソーラーカー、電気四輪カートを製作しました。 

3月1日、その生徒たちも卒業していきました。

彼らはもう学校に来ないので、3月4日、5日、5人の生徒に、私が“肉食を減らすこと”を話したことについて、電話で感想を聞いてみました。電話をかけるのには勇気が必要でした。もし期待と異なる感想であったらどうしようと・・・・。 

「正直な感想を聞かしてほしい・・・・」とお願いして、受話器の向こうに集中しました。 

生徒は、それぞれ感想を述べてくれたのです。ホッとする内容でした。 

S君・・・・「先生が言う肉食の問題点は、知識としては理解できるが、生態系に影響を与えるほどの取りすぎはよくないが、ある程度は食べてもよいと思う」 

K君・・・・「意味はわかる。しかし、肉を食べないというのは難しい。肉の量を少し減らして、野菜や魚を増やしていく努力はしていきたい」
この生徒に2月ごろ、パソコン作業を手伝ってくれたときにパンをご馳走してあげたことがあり
ます。そのとき、彼は肉のサンドでなくエビのサンドを選んだのです。K君に聞いたら、意識してそうしたとのこと。 

O君・・・・「これからは、肉を減らして野菜や魚を多くしていくことは、必要なことと思う。すぐ肉をやめることはできないが、自分でも生活の中で、少しずつ努力していきたい」 

T君・・・・「先生が言う内容はわかる。でも野菜は苦手です。毎日肉を食べていた。地球のこと、貧しい国の人々のこと、自分の健康を考えると、少しずつ肉を減らして野菜・魚にしようと考えている」 

O君・・・・「理解はできる。肉だけだと体によくないし、問題点もある。鯖の味噌煮が大好物です。肉だけでなく、魚・野菜を混ぜてやっていきたい」 

卒業式を終えてからの生徒の言葉なので、評価も気にしないで、正直に思うままに述べてくれたと思います。 

かつて、廊下で友達と話していたK君の会話を思い出します。
「おれは、肉がなければ生きていけないよ・・・・」
友達同士の会話なので、少し誇張もあると思いますが・・・・。 

今回、生徒への指導を通して思ったことは、真理は必ず通じるということ、またていねいに話せば解ってもらえるということです。生徒は自分の食生活を少しずつ変えていこうと、意識が変わったことを大変嬉しく思います。

このような前向きな生徒の答えが返ってきたのは、自画自讃になりますが、生長の家の教育・日時計主義の教育実践をさせていただいたからであると思います。つまり、教える方と教わる方との「結び合う」生き方を実践させていただいたお陰であると考えます。生長の家のみ教えに、改めて感謝申し上げます。

肉食削減から動物愛護、飢餓救済、地球環境保全・・・の取り組みは、これから大きく伸びるという、明るい希望が与えられました。

とても嬉しく、感動した生徒の言葉でした。

          K.O

2015年5月22日金曜日

信じる心

小学校教諭のY・Sです。



 私たち教職員は「学校」という一つの組織の一員でもあります。そして,多くの小・中学校の教員は地方自治体の「公務員」でもあります。組織の一員であり公務員であることはその中での規則や法令を遵守することはもちろんのこと,職場でのルールや人間関係にも心を配らなければなりません。そこには必然的に自分の考えや信念と整合しないものごともあると思います。
 よく,教育に情熱があり子ども達のことを本当に考える先生ほど悩むことが多いと言われるのはそのためかも知れません。そのために教育現場に失望して去って行ったという先生を私も何人か知っています。
 しかし,どんな法律や組織のルール,さらには不文律からも自由なものがあります。それは「信念」です。どこまでも子ども達を「信じる心」です。
 私もいわゆる「荒れた学級」を担任したことが何度かあります。そのときに,どんな指導方法やお説教よりも効いたのがどこまでも子ども達を「信じる心」でした。それは一言で言うほど簡単なことではありません。一種の「行」でありました。
 例えば,授業が始まっても教室内が騒然としている状況を考えてみましょう。優しく「静かにして席に着きなさい」といってもだめな場合,大きな声で叱責すればその場は何とか教師の威圧感で収まるでしょう。しかし,そのうちにまた一部の子ども達が騒ぎ始めます。また注意しても騒ぎ始め,その内に起ち歩く子も。収拾がつかなくなります。私だったらどうするか。ほんの一例ですが,実践してきたことをご紹介します。
 先ず一言は指示します。「授業を始めるので席に着きなさい。」(着きましょうではなく,始めから着きなさいでよいと思います。教師は指導者なのですから毅然とするべき時は命令口調で)一言で事態が収まらない場合きちんとしている子どもを褒めます。普通はこれで静かになります。しかし,荒れている学級の場合それも通用しないことがあります。そこで私は教卓の前でじっと目を瞑ります。そして,心の中で
「この子ども達の騒いで言うことを聞かない姿は仮の姿である。これは私の心が騒いでいて落ち着かないのである。その心が子ども達に反映して騒がしい姿となって現れているのだ。ああ,この子ども達は騒がしく,言うことを聞かないのであるという間違った私の思いを神様どうか改めさせ給え。本来子どもはみな神の子であって,勉強は楽しいのであるから授業が始まったら落ち着いて先生の話を聞くのだという信念を私に強く持たせてください。」

 このような言葉を念じている内に教室内はいつの間にか静かになってきます。私が目をあけると,そこには先ほどまで騒いでいた子どもの姿はどこにもありません。みんな穏やかな目をしてこちらを見つめています。私はその時,思わず「ごめんね。」と口にしそうな時がありました。つまり,「先生の君たちを見る目が間違っていて君たちを騒がせていた。許してね。」といった気持ちになったのです。
 少々ドラマチックな場面に見えますが私の本当の体験です。もちろん,その場だけの信念ではなく,日々の生活や祈りの中で育まれた信念です。「信じる心」の強さも教師の指導力であると私は信じます。  

2015年4月23日木曜日

“肉食を減らすこと”を生徒に伝えて!― 子供たちの良心に呼びかける ―


短大非常勤講師のK.Oです。

 昨年、ノーベル平和賞を受賞した、マララ・ユスフザイさん(パキスタン、17歳)が国連本部で演説した際の言葉が、私たちの生教会活動に勇気を与えてくれます。

One child, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education first. Thank you.(1人の子供、1人の教師、1冊の本、1本のペンが世界を変えるのです。教育だけがたった一つの解決策です。教育が第一です。ありがとうございました。)という内容です。

新たな年の、新たな運動に、新たな決意で取組んでいきたいと考えます。

生長の家総裁・谷口雅宣先生のご講話(ブログ)に感動して
 前年、ブラジルにおける「世界平和のための生長の家国際教修会」での、総裁・谷口雅宣先生のご講話(ブログ「唐松模様」)の「なぜ肉食から遠ざかるべきか?」に大変感動しました。とくに次ぎのご文章に心を打たれました。

  (前略)つまり、このデータが示しているのは、私たちが肉食を減らす努力をしてきたにもかかわらず、世界の食肉生産量に、しがって消費量にも、何の影響も及ぼしていないということです。(中略)私たちは、その説明を真剣にやってきたでしょうか?もしやってきたならば、その危険性を少しでも緩和するために、自分自身の食生活を変えてきたでしょうか?肉食を減らし、野菜や果物へ切り替える食生活の転換を実際に行ってきたでしょうか?(同ブログ、201482日)

私はご文章を拝読し、大変申し訳ないという気持ちで一杯になり、総裁先生のご心痛を思いました。なんとしても肉食を削減しようとされる先生の強い思いに、貧しい国の人々の飢餓救済に愛を注がれる人類愛に、すべての生物・鉱物を慈しまれる生き方に心から感動するものです。

この感動と肉食の問題点を、生徒に是非伝えなければならないと思い立ちました。

生徒に肉食の問題点、課題を話す。その反応は?
  生徒を取り巻く食事環境を見てみると、肉類の多いのに驚きます。生徒の親が作ってくれる弁当や、学校食堂のメニューにも肉を使ったものが目立ちます。

このようななかで、3年生34人に教室(授業)で、肉食の抱える問題点について話をしました。プリントをつくり、「世界の食肉生産量」、動物の「飼料効率」の図を説明しました。動物愛護の問題から、飢餓救済、地球環境保全について、生徒に問題意識を持ってもらいたいと思い、とくに子供たちの良心に呼びかけるような気持ちで話したのです。ただし、今すぐ実行できなくても時間をかけて、少しずつ変えていくことを説明しました。

生徒の反応がありました。はじめはビックリした様子でしたが、静かに聞いてくれました。少し表情が厳しくなったので、明るい面の動物愛護運動や菜食主義運動が伸びていることを加えたのです。放課後、良い反応を聞きました。共感してくれる生徒もいて(話した内容の一部か全部かは分からないが、雰囲気的には全部に近い)、私も嬉しくなりとても感動しました。「肉食はよくないことを、生徒は魂的に解っている!」という感じがしたのです。私の直観です。

“肉食を減らすこと”の重要な意義について、生徒の心に種をまいておくことができたと思います。

  肉食削減から動物愛護、飢餓救済、地球環境保全・・・の取り組みは、これから大きく伸びるという、明るい希望が与えられました。

  とても嬉しく、感動した一日でした。
                                                                                            K.O

2015年4月1日水曜日

みんな神の子すばらしい!!

小学校教諭のY・Sです。



 新しい年度平成27年度がスタートしました。今年度も現場の教師の一人として,感じたことや実践したことなどを書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 さて,先日の土曜日,教区の小学生一泊見真会(生長の家の教えを一泊して学習,実践する小学生向けの集まり)で講話をしてきました。講話のテーマは「みんな神の子すばらしい」です。講話というと講師が一方向的に理論や実践方法をレクチャーするものですが,私は現役の小学校教諭なのでそれは苦手です。教師はできるだけ発言や発問を吟味して,子ども達から考えを引き出したり,大切なことに気付かせたりするのが小学校教育のいわば鉄則です。
 そこで今回は「講話」というより「授業」のようなことをしました。約40分,学活と道徳を合わせたような「授業」でした。その概略をご紹介します。
 
 先ず,導入として「Head,Shoulders,knees,And Toes https://www.youtube.com/watch?v=GkK-_OBe-0A」を行ってアイスブレイキングをしました。子ども達の気持ちがリラックスしたところでプリントを配り課題を提示しました。
 「プリントの左側に“わるいこと・わるいことば”右側に“よいこと・よいことば”を3つくらい 書いてください。」
 1~3年生向けの授業なので天使と悪魔のイラストを入れました。子ども達は悩んでいます。なかなか書けない子どももいます。そこで焦ってはいけません。「大丈夫,待ってるからゆっくり考えてね。」というような声がけをします。すると早速「だいじょうぶ」とよいことばの蘭に書く子がいました。5分ほど経ったらたくさん書いた子に一つ発表してもらいます。「じゃあ,○○君どうぞ。」すると,「よくできたね」「いっしょにあそぼう」「だいじょうぶだよ」などのよい言葉がどんどん出てきます。悪い言葉については大体予想されるものが出てきたのでここでは省略します。だいたいすべての子ども達が発表したら,発表したことを大いに褒めてから次の質問をしました。
 「みんなどうしてよいこと・わるいことが分かるのかな?」
 すると即座に「神の子だから!」という元気な答えが返ってきました。まさに期待していた答えでしたが,ここでその子をすぐに褒めません。他の子ども達に「みんな今の発表どう思う?」と問い返してみました。もちろん他の子ども達も「その通り!」といいました。ここで発表してくれた子を褒めます。「すばらしいね。みんな神の子だからよいことやわるいことがわかるんだね。」そして,「それじゃ,悪いことは神の子さんには必要ないから,捨ててしまおう!」といってプリントの左側半分を定規で切り取りました。(予めプリントの真ん中に点線を引いてあります。定規を使うのは,はさみより素早く切れることと,インパクトが強いためです。)
 「はい。それでは悪いことや言葉の書いた紙にさよならをして捨てましょう。」
 子ども達はそれぞれに紙をぐしゃぐしゃにしたり折りたたんだりしてごみ箱に捨てていました。よい言葉やよいことを書いたプリントは回収し,花丸とコメントを書いて後で返却しました。

 
 きっと参加した子ども達の心の中で「神の子の自覚」が高まっていると信じています。今回の「講話」(授業)は,生長の家で行う「浄心行」の子ども向けですが,学校の授業でも応用できると思いますのでぜひ実践してみてください。

2015年2月1日日曜日

「生命の大切さ」を語る


高校教諭のK.Oです。 
             
   昨年、佐世保の高校生殺害事件が起きた。同級生を解剖したいとの理由で、殺害してしまったのである。周囲に与えた影響ははかりしれないものがある。 

   私はかつて、生徒に「生命の大切さ」を語ったことを思い出した。
 

最近の17歳の事件

 最近、17歳やその年齢に近い青少年の驚愕するような凶悪犯罪が頻発している。
  「人を殺してみたい」とか「殺人こそ正義」等、いとも簡単に生命を抹殺してしまう、それらの青少年の心はどうなっているのだろう。現下の教育のあり方が、大きく問われているのは論を待たない。

 私は、担任する3年生のクラスで、次のような指導を授業のなかで実施した。
 

神性・仏性

  さて「生命の大切さ」について、どのような話をしたらよいかを考えていたら、私はふと、獄窓の歌人・島秋人のことを思い出した。  かつて谷口輝子先生が、生長の家の月刊誌で島秋人のことを取り上げられたことがあった。 

  谷口輝子先生は、こう書かれている。 

    私は今年になってからやっと、島秋人という獄窓の歌人が、11月2日に刑死したことを知った。何年前だったか、1人の青年が餓えの苦しさから農家に忍び入り、発見されてその家の主婦を殺したという新聞記事を思い出したが、その青年の名が島秋人とは覚えていなかった。(中略)貧乏で病弱で低能児で孤独な少年として、淋しくみじめに生い立って来た。彼は殺人という重罪を犯して死刑の宣告を受け、7年ほど牢獄にいたようであるが、彼は悲しい獄中生活の間に、幼い時からの苦しい辛い思い出を辿る時、ただ一つ小さい灯が心にともることがらがあった。それは中学校の画の先生が、彼の構図の出来が、クラス1番だと賞めてくれたことであった。(中略)低能児と言われた人の中にも、秀れた才能があったのであった。秋人の歌は大阪毎日新聞の歌壇に投稿され、選者の窪田空穂氏の眼にとまり、胸を打ち、それから空穂氏より作歌の指導を受けるようになった。(中略)

  ()ればなお(いと)しさ湧きていのちとはかくも尊きものと知らさる」
 
  「身に持てる優しさをふと知らされて神の賜はる生命を思ふ」

  「この手もて人を(あや)めし死囚われ同じ両手に今花を活く」

  「ほめられしひとつのことのうれしかりいのち(かな)しむ夜のおもひに」

(中略)33歳でこの世から消えたのであった。
   しかし彼の歌集『遺愛集』は遺った。この歌集によって、世の人々はさまざまなことを学ばせられたことと思う。   

 「人間は神の子であって低能児ではない」

  「如何なる重罪者といえども本来その性は善良であること」

 「才能は引き出せば幾らでも伸びること」

  「勝れた点を見つけては賞めること」

  「最大の深切は相手を認めて上げること」

    その他幾つもあるであろう。世の人々は、秋人の生涯を見て、教えられ反省させら
  れ、思いを深めさせられることと思う。 

  人の生命は皆尊いのであることを、生徒に訴えた。 

  さらに、谷口清超先生著『すばらしい未来を築こう』の42頁に書かれてあることについて、話をした。 

    今や人々は、人間を尊重しなければならないということを口々に言い立てる時代になっているが、その「人間」というものを、単なる小っぽけな「肉体」だけと思いこんでいては、本当に尊重はできない。肉体人間ではなく、神性・仏性が、あなたであり私であり、全ての人々であり、全てのいきものたちはこの神性・仏性のあらわれだと知ることによってのみ、本当の自由と歓びと生き甲斐とを感ずることができるのである。
 

明るい言葉・真理の言葉

  17歳の事件が頻発するのを見て、生徒に明るい言葉・真理の言葉が、圧倒的に必要であることを痛感せずにはいられない。
 生徒を取り巻く最近の情報、とくにマンガ本・雑誌・ビデオ等々の内容が、暗黒思想で覆われている。生徒の持っているマンガ本をたまに開いてみると、あまりにも暗く、残虐的なものが多いのには驚かされる。さらに性的描写のものも多くあり、子供達の健全育成にとり、きわめて害になるものである。 

 去る5月、私の担任するHRの生徒が、タバコ・ライター等を所持していたことから、4人が停学処分や厳重注意を受けた。私はこのときこそ、御教えを伝える絶好の機会であるととらえた。
  それには、真理の言葉を伝えることが第1であると思った。そこで、数日間の特別な指導期間が終わってから、『理想世界ジュニア版』(当時)の谷口清超先生のご文章を4人の生徒にわたした。後日感想文を書いて提出するように指導した。
  『理想世界ジュニア版』2000年4月号の「さわやかな笑顔」のタイトルのご文章である。4人のところ3人が提出した。その中の1人は以下のように書いてくれた。 

   言葉の力はとてつもなく膨大で影響力があるということが感じられた。言葉一つで他人や友人を喜ばせたり、傷付けたりできるので、その使い方を選んで使っていかなければならないと思いました。(中略)コトバの中で1番美しいのは笑顔だと感じたので、笑顔を絶やさずに、その笑顔を宝物にしていきたいと思っています。(O男) 

  このように感想を書いてくれた生徒の心には、神の子が輝いていると思った。非行はちょっとした見せかけであり、本来無いのであると思う。どの生徒もみんな神の子でかけがえのない生命である。素晴らしいものを持っている。
  また、この4人の生徒のうち、3人の生徒の保護者には『生命の教育』(谷口雅春先生著)を贈呈した。 

 青少年にどのような言葉が与えられるか。暗黒・唯物思想か、真理・光明思想か。これによって子供たちの人生・運命は、天と地ほどの違いとなって現れてくるのである。このことを思えば、一連の17歳の少年たちもまた、暗黒・唯物思想の被害者なのかもしれない。
  多くの青少年に光明思想・生長の家の御教えを、大々的に伝えなければならない時である。
                                     K.O

2015年1月27日火曜日

再び「やさしい先生負けないで!」

小学校教諭のY・Sです。

今日は嬉しいことがあったので記事にします。私が小学校6年生の時に国語の授業で出会った詩があるテレビ番組で紹介され,何十年ぶりかでその全文を読むことができました。特にその詩の最後の節が今でもこ心に焼き付いています。後半のみ抜粋してご紹介します。やさしい心の持ち主は,決して「受難者」ではありません。それは,必ず「大いなるもの=神」に通じ,本当の本物をつかむことができる人だからです。私はこの詩が大好きだと仰っていた当時の担任の先生と今でも年賀状を交わしています。きっと詩の中の娘さんは,最も美しい夕焼けを後で見ることができたと思います。


やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。


             吉野 弘 詩集  「現代詩文庫」思潮社「夕焼け」より

2015年1月10日土曜日

空気に感謝出来る実験

小学校教諭のY・Sです。

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年もブログをよろしくお願いいたします。
 新学期が始まりました。1年のまとめの時期、子ども達の成長は,私たち教師の励みです。この1年間で伸びたところをおおいに褒めて,次の学年・学校に送り出したいものです。
 さて,今年最初の記事は,「空気に感謝出来る実験」です。この実験は3年生の算数「重さ」と理科の「光を集めよう」という単元のコラボです。まず子ども達に重さの単位「g(グラム)」の概念を教え,身の回りのいろいろな物の重さを量りました。ちょうど理科で太陽の動きと気温の関係を学習したばかりなので,自然界の不思議さに子ども達が興味を持っているこの時期を逃さずにと思って次のような実験を行いました。
 準備する物:0.1gまで量れるデジタル秤・ゴム風船(3L程度の容量)・セロハンテープ
 まず,量りに裏返して丸めたセロテープをそっと貼ります。次に膨らませる前のゴム風船を乗せてその重さを確認し記録します。
 セロテープと膨らませるまえのゴム風船を合わせた重さは,2.6gでした。次に風船をぱんぱんに膨らませて口を縛ります。(この段階で子ども達はもう興味津々です)そして,その風船をそっと秤の上に乗せます。そこで初めてセロテープの役割に子ども達は気付きます。そうです,「風船が飛んでしまわないためにセロテープを置いたんだ。」ということに。始めからすべて説明してしまうのでは子どもの思考力が育ちません。さて,秤はどんな数値を示しているでしょうか?(ここでも結果はすぐに見せずに予想させます)「2.6gよりも軽い」と考えた子ども達がこの段階では多かったようです。理由は空気は軽いから。風船といえばふわふわというイメージがまだこの時期の子ども達にはあるからでしょう。そこでいろいろと意見を出してもらった後で,結果を確認します。
 風船を膨らませて秤に乗せた重さは「3.2g」でした。なんと「0.6g」も増えたのです。これには子ども達も驚きです。さて,何が「0.6g」分の重さなのでしょう?子ども達は口々に「空気だ!」と言います。そうです。空気に重さがあるということを初めて認識した子ども達の感動を想像してみてください。普段,何気なく吸っている空気も,重さがあり,それをちゃんと量ることができる。空気がなくなったらほとんどすべての生きものは,生きてはいけないのに空気に感謝している人がどれだけいるのだろうか。そういうことを話し合ったり,感想を出し合ったりしながら授業を終えました。きっと子ども達は,それぞれに空気や自然の神秘と有り難さを感じたに違いありません。
 ところが,授業が終わってしばらくすると,実に不思議な現象が秤に表示されたのです!この続きは次回の記事で・・・。
 

 と思いましたがここで書いておきます。風船の重さが「0.2g」増えたのです。つまり実験直後「3.2g」だった風船が「3.4g」になっていたのです。しかしそれについては詳しく触れませんでした。原因は始め暖かかった空気(呼気)が冷えて重くなったためです。
 こんな簡単な実験から,普段何気なく見たり触れたりしている自然の不思議さが実感できるのですね。どうぞ,読者の皆さんも実験してみてください。