2014年9月13日土曜日

子どもに厳しく指導「鉄槌を下す」とき

小学校教諭のY・Sです。

「日時計主義の教育」を実践している先生方も,時には児童生徒を厳しく叱ることもあるかと思います。もちろん体罰はいけませんが,いわゆる「鉄槌」を下すのはどんな場面でしょうか。

 私は「やればできるのに怠けてしないとき」に鉄槌を下します。例えば,鉛筆を正しく持って丁寧な字を書こうと思えば書けるのに,いい加減な文字を書いているときなどは,

「○○!もっとうまく書けるはずだ!も一度書き直して。」と少し厳しい口調で諭します。また,近頃の子どもがよく言う「めんどくさい」という言葉も黙認しません。「面倒くさいことから逃げていては,何もできるようにはならないんだ!」と,つい語調を荒げてしまうこともあります。そう子どもには言うものの,(自分は面倒なことや苦手なことから逃げてはいないのか?)と自己反省することもあります。ですから,最近は「1日1回,面倒なことか苦手だと思うことを我慢してやってみよう。その代わり先生も面倒くさがったりしないから。」と,子ども達と約束することにしています。すると子ども達は厳しい目で私を見ます。「あ,先生,黒板の字間違ったのに面倒がって手で消したね。」「そうだ最初から書き直し!」などと。さすがにこれはムカッとする場面もありますが,「そうだね。面倒くさがらないという約束をしたね。ゴメン!。」といってやり直します。それを繰り返していくうちに,子ども達も「めんどうなこと」「苦手だと思うこと」に積極的に立ち向かうようになります。ちなみに,鉛筆の正しい持ち方やひらがなの正しい字形は,入社試験・就職試験,入学試験などでも最近は厳しくチェックされるそうです。

  生長の家創始者,谷口雅春先生は,その主著「生命の実相」で次のように説かれています。

 『かつて私は,数ヶ月の慢性胃腸病の児童を「お腹が痛い痛いというときは天井から吊り下げて棒で擲(なぐ)んなさい。このお子さんは病気ではないのに同情を求めて。潜在意識が病気を仮作(けさ)してるのですから。同情を求めたらかえって不結果になるということを知らしたら治るのです」と,その子供の目の前で叱責したために,その日からその児童の慢性胃腸病が治った実例をお話したことがあります。 ー中略ー 光明思想は感傷主義のいわゆる慈善主義ではありません。仮相(かそう)の人間の弱々しさに同情して,その弱々しさをますますのさばらせはびこらせるような救済事業ではありません。光明思想とは生命本然の力の教育であります。』

 「生命の実相第25巻 教育実践篇163頁」より抜粋 

 注:()内の「かな」はY・S 「光明思想」とは,今でいう「日時計主義」と同意

2014年9月2日火曜日

生徒の実相が現われる ― 生き生きホームルーム ―


高校教諭のK.Oです。

かつてホームルーム担任をしたときの体験を綴ります。
 

最近の生徒

漢字の校内テストが、年8回実施され、わがホームルーム(以下HR)は、学年で平均点トップを記録した。また、昨年6月の運動会では、1学年のなかで優勝を果たした。しかし成果を修めつつも、最近の生徒の変容ぶりには驚かざるをえないものがある。子供たちの変化に対応の難しさを感じている。

それは一言で言えば、指示に素直に従わない生徒の増加である。かつても1クラスに数人はいたものだが、最近ではクラスの1/4ないしは1/3がそうであるといってよい。その数がもっと増えると、学級崩壊ということである。具体的には、今のところ授業中はさほど問題はないものの、文化祭等の学校行事の準備作業や毎日の掃除、挨拶等に問題があるのである。指示しても、返事をしない。無視する。あるいは聞こえないふりをする。ひどくなると逃げるものも出てくるのだ。

これらの生徒の数がかつてより、驚くほどの勢いで増加している。そのようなグループができると、それを真似る雰囲気ができてしまう。HR担任はその一歩手前でくい止めなければならない。つい大きな声で怒鳴ったりしたこともあるが、そうすると一時はやるが、生徒はこころを閉じてしまい次の指導が困難になる。いつもいつも悪いところに目が行き、注意し、叱ることばかりで、私も生徒も暗くなってしまうようであった。
 

実相直視の祈り

そこで、徹底して祈ろうとこころに決めた。39名(入学時の在籍数)のひとり一人の生徒の実相を祈ることにした。「○○君は神の子実相円満完全ありがとうございます。○○君は○○でクラスに貢献してくれてありがとうございます。○○君は○○の良いところがあって素晴らしいです。ありがとうございます」と。毎日10~15分ぐらい、実相礼拝の祈りを続けた。自宅での早朝神想観のなかでも、生徒の実相を礼拝した。

具体的指導は、掃除、挨拶はできるまで繰り返しやらせた。一緒になってやった。あるときは褒め、またあるときは叱り、メリハリをつけた。

生徒の実相直視の祈りを始めたのが10月中旬ごろで、それから約1ヵ月経過した11月中旬ごろに変化が現われてきた。生徒が何となく素直になり、自ら動くようになったのである。HRの雰囲気が明るくなってきたようだ。掃除も自分たちからやるようになり、あまり言わない方がよいと思えるようになった。授業を担当する先生方からは、全体的によく集中し、授業がやりやすい等のお褒めの言葉をいただいた。
 

自分が変わればすべてが変わる

今思うと、一番変わったのは、この私自身であった。自分でも不思議なくらい、生徒の良いところに目が行く。そして褒め言葉として出てくるのである。いろいろな生徒が私をみがいてくれる観世音菩薩であるとわかった。また、生徒が意欲的になってきたことも大きな変化である。全く“自分が変わればすべてが変わる”とはこのことかと、喜びと感謝が湧いてくるのであった。

まだ問題はいろいろあり、生徒の現象も良くなったり逆もどりしたりすることもあるが、実相直視と適切な指導によって、問題は解決するとの自信を得た。

生長の家は素晴らしい。生長の家の教育こそは、今日の教育を正す、真理の灯だ!4月より本校を聖使命会に入れたが、神様のご加護をひしひしと感じる。

しかしながら女子生徒一人は、父母との不調和により家出をし、約2ヵ月後に消息がわかったが、12月に退学し進路変更をすることとなった。母と子に聖典『生命の教育』『人生はドラマである』や普及誌『白鳩』『理想世界』(当時)を渡し、近くの白鳩会の支部長さんを紹介して、幸多かれと祈った。

 その後、母親が生長の家の講習会に参加してくれた。
                                                                K.O