2014年8月25日月曜日

小学校低学年の「荒れ」とその対処法

小学校教諭のY・Sです。

多くの公立小・中学校では,今日から2学期,または夏休み明けの授業開始かと思います。まだまだ残暑が続くと思います。健康第一です。また,今年は豪雨災害が多い夏でした。被災された地方の方々にお見舞い申し上げますと共に,亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
 さて,最近小学校低学年の児童の問題行動や落ち着きのなさなど,いわゆる「荒れ」が起きていると耳にします。読者の皆様の地方ではいかがでしょうか。一般的に,「少子化」や「家庭の教育力の低下」,「核家族の増加」などで子ども達の規範意識や忍耐力などが希薄になってきていることは,指摘されています。しかし,ここ2,3年に見られる低学年の問題は,どうやら特別な要因があるようです。
 その要因と思われるのが「東日本大震災」です。被害の大きかった,岩手・宮城・福島の3県では,不登校が増加しています。特に沿岸部の津波被害が多かった地域では,家族を亡くしたり,避難所生活をしたり,今なお仮設住宅での生活を余儀なくされている子ども達に不登校が多くなっています。それに対する対応策は「スクールカウンセラー」を多く派遣するなど,十分とはいえないまでも力を入れて取り組んでします。
 問題は,直接の大きな被害を受けなかった地域の,特に低学年(1,2,3年)に「荒れ」が見られることです。「東日本大震災」は,現在の学齢が調度1~3年生の子ども達が3~5才の年齢の時に発生しました。この時期の子どもは発達段階では,「愛着・信頼感・生活習慣・自己肯定感・道徳性の形成,子ども同士の体験活動の充実,等」が大変に重要です。特に,母親を中心としたスキンシップによる信頼感・愛着感・自己肯定感の基礎が形成される時期です。その大切な時期に,親(大人)や家族は被災して十分な子育てができていなかったために,学齢期になってそのマイナスの影響が現れていると考えられます。
 それとは正反対に,あの大震災の時に学齢期に入っていた子ども達で,家族や親類に大きな犠牲がなかった子ども達(現在4年生以上)は規範意識や道徳性,思いやり,大人や先生への信頼感がとても強くなっています。いかがでしょうか?
 では,どのようにこれらの問題に対処するのか。それには,「育て直し」が必要であると考えます。といっても難しいことではありません。小学生であっても親のスキンシップはまだ大切です。「大好きだよ」とか「生まれてきてくれて,ありがとう」という言葉を投げかけて抱きしめてあげる。一緒にお風呂に入って身体を洗ってあげるのもよいでしょう。それが,「信頼感・愛着感・自己肯定感」を育てることになります。
 もう一つは,「ほんとうのことを伝えてあげる」ことです。事実,「東日本大震災」時に幼稚園の年長以上の年齢だった子ども達は,私の把握してる限りとても「立派」に生長しています。それは,「あの時」何が起こり,どんな悲しみがあったのか。また,大人達が懸命にそれを乗り越えようと奮闘していたことを知っているからです。
 私は大震災があった平成22年度は2年生の担任,23年度は1年生の担任をしていました。今はそれぞれ6年生と4年生になっていますが,みな優しく,しかも思いやりと辛抱強さ,積極性に満ちた子ども達です。
 つまり,今「問題だ」と考えられている低学年の子ども達に,自分たちが物心ついたときに「何があったのか」をしっかりと教えてあげることが重要であると思います。「なんとなく不安だった」「とても悲しい雰囲気だった」「大人達がなんか落ち着いていなかった」「かまってもらえなかった」等の原因が何処にあったのかを事実として教えてあげることが大事な時期が今来ているのだと思います。これは何も大震災の被災地に限ったことではありません。
 最後に私が「東日本大震災」の発生した年度「平成23年度」に担任した1年生と毎朝「朝の会」で歌っていた歌「しあわせ運べるように」をご紹介しておきます。今でもその時の子ども達に会うと,「先生,あの歌覚えてる?」といって,手話を入れながら歌ってくれます。(赤字をクリックしてみてください。)

2014年8月12日火曜日

「環境教育」と「道徳教育」

小学校教諭のY・Sです。

 明日から「旧盆」です。私たち教職員もこの期間は「夏季休暇」を取れるのでゆっくり英気を養いたいと思います。

 さて,先日「中央教育審議会」が道徳を「特別の教科」と位置づけ,早ければ2018年度から施行されることを発表しました。道徳の教科化についてはさまざまな議論があると思います。「そこまで日本人の心が荒廃してきたのか」と憂慮される方もいるかと思いますが,私はそうではなく子ども達の「本物を求める心」に応えようというう動きであると,肯定的に捉えたいと考えています。

 教科化となると必然的に「教科書」が必要となります。また,「評価の在り方」も今後現場では研修しなければならないと思います。道徳には教科書がないということは,教職員でないとあまり知られてないことだと思います。現在道徳の授業で使用されているものは「副読本」というもので,複数の出版社や文部科学省が編纂した物語や寓話を集めた「題材集」です。子ども達には学校でも「教科書」と言っている先生も多いので,保護者の方々もそう誤解しているようです。要するに現在行われている道徳の授業は,「4つの価値項目」を育てるために,各学校が独自の計画を立て,それに適合した「副読本」または「副教材」を使って学級担任が指導しているのです。

 

 前置きが長くなりましたが,道徳が教科化され教科書が必要となると,これもまたその選定に苦慮することになるでしょう。なぜなら,教科となると「必ず履修させて評価し,記録(通信票及び指導要録)しなければならない」からです。「人としての生き方や心情」を教え,それを評価するなんて畏れ多いことかも知れません。そんな教科書などどこにもないと考える方も多いと思います。でも私は,今年度改定され文科省から出された「私たちの道徳」(心のノートの改訂版)は,その可能性を秘めていると考えています。

 例えば,その中学校版「美しいものへの感動と畏敬の念」読んでみると,「自然との調和」・「人間の力を超えるもの」・「自然の神秘」という言葉が載っています。これらの言葉は,今一番重要で喫緊の課題である「環境教育」のキーワードにあたります。中でも「慶應義塾大学准教授・大木聖子氏」の『私たちのために地球という星があるわけではありません』という言葉には私も共感します。興味のある方は,リンクを貼り付けましたので,ぜひ読んでみてください。

 「環境教育」は「道徳教育」であり,同時に「命の教育」であると思います。道徳の教科化を待つことなく,多くの教育現場や社会でこのことを真剣に実践していってほしいと考えています。

 

2014年8月2日土曜日

新しいライフスタイルへチャレンジ!


高校教諭のK.Oです。

 
ソーラー充電器の開発(携帯・スマホ・タブレット用)

CO2を出さない、原発の電気は使わない、電気の地産地消」を目標に、ソーラー充電器を開発しました。高校生はじめ若者の必需品である、携帯電話・スマートフォン・タブレット用のものです。学校の課題研究という授業で生徒と一緒に取り組みました。

ソーラー電池と蓄電池の関係、また蓄電池と携帯電話・スマートフォン・タブレットの電圧・電流の調整等、困難な課題もありました。しかし環境保全に役立つものは、神様の御心である。必ずできると信じて、試行錯誤を経ながら一つ一つ克服し、ついに試作品ができました。感無量です。生徒の喜びと成就感は大きなものがあります。

前述した環境に対する意識を、まず今回一緒に活動した5人の生徒に持ってもらいたいと、折に触れては話をしています。さらに多くの人々に、とりわけ高校生に伝えたいという夢を描いています。高校生の一般的な考え方になるように・・・。

「朝、学校に出かける前に太陽パネルを窓辺にセットし、夕方帰宅するとバッテリーにフル充電されている。それに携帯などの充電端子を差し込めば充電がはじまり、数時間後には完了――」こういうイメージで製作しました。

電気代はタダ。もっとも期待したいことは、日々の生活の中で太陽エネルギーから電気(恩恵)をいただき、感謝するこころを多くの生徒に持ってもらいたいことです。自然と人間が共生する社会建設への小さな一歩ですが、大きな希望と挑戦です。
 

今、一番必要な道徳教育、平和教育とは?―教育者として子供たちにのこすこと

自然と人間の大調和―人間と他の生物との共存共栄こそが、今、一番必要な道徳教育、平和教育であると考えます。道徳教育の徳目や平和教育の内容の中で、現代の子供たちに最も教えなければならないことであると思います。愛ある生き方の指導であり、国際平和と地球の存亡に直結するからです。

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、“森の中のオフィス”の落慶式のご挨拶で、次のように説かれています。
 

それでは世界の宗教が一致協力していくべき“共通目標”とは何でしょうか?生長の家では、それは私たち人間の生活の場、表現の場、交流と発展の場である地球とその環境を、これ以上破壊することなく、自然界の他の生物と共存共栄することを目指して、私たちの考え方、生き方を改めていくことだと考えます。(ブログ「唐松模様」2013.7.7

私達の学校や生命学園でできることを、具体的に工夫をして実践しましょう。児童・生
徒が生長し、世界に貢献する人材となり、社会を動かす声になることを信じて。

                                                      K.O

2014年8月1日金曜日

「元気な教師」でいるために

小学校教諭のY・Sです。
 夏休みも三分の一が過ぎました。そろそろ1日くらい休みをとって家族サービスや普段やりたくてもできなかったことに時間をつかおうとしている先生方もおられるかと思います。世間では,「先生方は夏休みが多くていいですね。」などと皮肉を含んで言われることがあります。確かに週休二日が完全実施されるまでは,土曜日に出勤していた分の休暇のまとめ取りがあり,夏休みはけっこうありました。しかし,今はせいぜいお盆期間中に休めるくらいです。後は「年休(年次有給休暇)」で休んだり,早めに退勤したりします。夏休みは,子ども達が登校せず,授業はないので教材の準備や提出物のチェックなどの時間がない分,定刻に退庁(退勤)できます。
 では,授業のある日の先生方は何時頃退勤しているでしょうか?
 先日受けた研修会で,あるカウンセラー(臨床心理士・精神科医)の先生は,「できる教師ほど5時代には帰る」と話されていました。「そんな時刻に帰れるはずはないでしょう!」と多くの先生方は反論されるでしょう。特に中学校は「部活」指導があり,6時半ころそれが終わってから,学年会や授業の準備だから毎日9時・10時が退勤時刻という現実があることは承知しています。私個人の意見としては,「部活廃止」なのですが,エネルギーが有り余っている思春期の生徒達にとって,部活は必要なことで,問題行動の発生を少なくする効果があることも分かっています。でも,せめて7時には退勤できるように工夫できないでしょうか?先生が毎日9時,10時に帰宅して,くたくたになって帰り,家族との会話が減ったり,ストレスを家族にぶつけたりして,果たして「よい仕事」ができるのかどうか。「元気な教師」で心に余裕をもって子ども達とかかわれば,もっとよい指導が能率的にできると思いませんか?
 「忙しい」とは「心」を「亡くす」と書きます。先生がくたびれて「忙殺」されていて,子ども達によい影響を与えられますか?ちなみに私は平均して17:30には退庁します。早いときは退庁時刻の16:45にさっさと帰ることもあります。だからといって仕事が溜まることも,手抜きをすることもありません。いや,却って「よい仕事」をしていると自負しています。
 仕事は「質と量」で測られるといいますが,教師の仕事は「質」だと思います。「質」より「量」を尊んだ思想は「唯物論」です。だからでしょうか,たいして中身の無い仕事をだらだらと遅くまで,しかも子どもや保護者,同僚の悪口を話題にしながら職員室の明かりを皓々と点けながら学校に残っている先生は周りにおりませんか?電気などのエネルギーの無駄遣いですよね。それならば早く家に帰って,家族と団欒する時間をつくれば,翌日の英気を養え,仕事もはかどると思いませんか?
 「そんなこと言ったら今の仕事量をこなせないです!」と仰るならば,それもまた古い「唯物論」の呪縛にかかっているのではないでしょうか?
 では,仕事を楽しく集中して三分の一以下でできるようになるための方法を次回はご紹介したいと思います。