2014年6月9日月曜日

「鳴けぬなら 鳴けるよう祈ろう ほととぎす」

小学校教諭のY・Sです。
 先日,「人材育成のための教育」という演題のセミナーに参加してきました。講師はNHKの教育テレビの英会話番組を担当している著名な大学教授でした。その内容があまりにもよかったので,私なりに咀嚼・反芻したものを簡単にご紹介します。以下は私がまとめたレジメです。
1 東日本大震災がつきつけたこと
 ◎真のリーダーの資質は?
    ① 先頭を歩くということは…自己犠牲を伴う
    ② 行動力・チャレンジ精神・コミュニケーション能力・熱意・性格,人柄の順
    ③ 考える・かかわる人材の育成  (思考・判断・行動・反省・改善)
2 現代社会の課題
  ◎理数系,物作りに卓越した人材を
    ① 起業できる能力
    ②  けんかをしない・よけいな一言を言わない(国際紛争の種)
    ③ 真の思いやりのある人間→「どんなに努力してもできない,報われない友人をど    うしてあげられるかを考えられる人」
3 教師ができる支援
 ◎犯罪者を出さない教育を
    ① メタ認知(振り返り)ができる授業→ビデオの活用
    ② 「皿回し」的授業→トップを回転させればあとは自然に回る。回りにくい皿への      支援。トップ層が満たされる授業を。
   ③ 提出物にコメントで人間関係づくりを。
    *問題が起こる学校の先生ほど“はんこ”だけで済ます。
 
 


 講師である教授の専門は英語教育ですが,上記のことはどの教育現場でも今,喫緊の課題であると思います。私の心に特に沁みたのは,太字斜線の言葉でした。子どもの中にも大人の中にも,頑張っても,頑張ってもできるようにならない,いくら努力しても報われない人がいるものです。学校現場ではそんな子どもが“いじめ”の標的にしばしばなることがあります。大人においては,やけくそになって犯罪に走る場合もあります。私たち教育関係者は,そんな人間をつくらないことが最大の使命であるともいえます。
 ではそのためにどうしたらいいか?子どもの場合,その責任の大半は親にあります。しかし,私たちの仕事は親を変えることではありません。その子の「神の子」たる本当の姿を信じ,それを心で認める“祈り”と言葉で認め励まし寄り添うことです。そもそも,いじめという行為の根底には,「あいつの情けない姿に苛立って,何とかよくしてやりたいんだ。」という“愛の感情”があると私は経験上考えています。それなら言葉や行為でいじめるのではなく,いじめたいと思うこ子ども達に「どうしてあげたらいいのか?」を考えさせるのが教師の務めです。「あの子の努力はきっと実を結ぶ!」とみんなで信じて祈ってあげることです。実際,そうした声がけで学級からいじめを無くし,いじめられていた子どもが高学年ですばらしいリーダーになったという事例を私はもっています。
 「鳴けぬなら 鳴けるようになるまで信じて祈って 言葉で励まし 鳴けるようになることを信じてあげよう!」をスローガンに。
 そうすることで,みんなが揃って生長(無限に伸びる)するのです!
 
  
 

4 件のコメント :

  1. どうしてもできない子っていますよね。クラスのみんなでサポートすればいいのですが、どうしたらわからないのでクラスメイトもイライラする。先生でさえ、イヤミを言ったりするケースも経験してきました。そんな子は居場所がなくなって不登校という結果になってしまいます。こうした悪循環を断ち切るために、みんなで祈るというのは素晴らしいアイデアだと思います。祈りは、「大丈夫だよ。かならずできる」というメッセーだと思うのです。

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    1. 山本さん,コメントありがとうございます。
      祈る人が多いほど効果は増しますね。

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  2. 子どもを信じて、祈る。素晴らしいですね。神・祈りは何も宗教にだけ存在するのではありません。宇宙根源の原理です。形や建物にとらわれずに、「祈ったところが教会になる。」と内村鑑三師が唱えたように、絶えず子どものために祈っておられる、先生の姿勢には、頭が下がります。相手を「信じて・祈る」小生も実践したいですね。

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    1. sionさん,毎度コメントありがとうございます。
      「祈ったところが教会になる」いい言葉ですね。仏教でも「祈る姿がそのまま仏である」と説きます。いつでも何処でも,誰のためにも祈れる人を育てたいですね。

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