2014年2月28日金曜日

あなた自身が見ている

小学校教諭のY・Sです。


 以前,少し「荒れた」学校に勤務していたとき,朝会で生徒指導担当のベテランの先生が話したことを今日は書きます。


 『誰も見ていないところでした「良いこと」も「悪いこと」も,実はたった一人だけ必 ず見ている人がいます。それは誰だと思いますか?』
 
 子どもたちは,「神様?」「おまわりさん?」「閻魔さま?」とか口々につぶやきました。
 『それはね,自分です。』
 私も「はっ!」とした一言でした。そうです。自分自身が一番良く自分を見つめているんです。そして,何が良いことで何が悪いことかを誰でもちゃんと分かっているのです。


 それ以来,その学校の雰囲気は徐々に穏やかになっていきました。

2014年2月23日日曜日

やさしい先生方,負けないで!

小学校教諭のY・Sです。

 私の家族や親類縁者に教員はおりません。私自信もいわゆる「脱サラ」で教員になりました。教員を目ざし大学に行こうとした亡き父は,家庭の事情でその道をあきらめざるを得なかったので,私が「教員になりたい」と言ったときとても喜んで応援してくれました。ただ一人,反対したのは祖父(母方)でした。「教員の世界はそんな生やさしいところではない。やさしいお前には勤まらない。」と。
 祖父の言葉通り,教育現場は「やさしい」所ではありませんでした。組織の一員としての上下関係,教育とは関わりの無い事務仕事,エリート意識丸出しのお堅い同僚等々。私も嫌な思いはたくさん経験しました。
 でも,負けませんでした!それは「信念」があったからです。これも祖父の言葉ですが,「お前は一見弱そうに見えるが,芯は一本通っている」。その言葉の通り今まで20数年間,教員を続けてくることができたのも,私に「信念」があったからです。「私と関わる子どもたちを私は愛する。そして必ずすばらしくなる!」という信念が。

 今の教育界は必ずしも良い環境とは言えないかも知れません。理想や豊富な知識だけでは生きにくい世界かも知れません。でも負けないで!先生の思いを一番理解してくれているのは目の前にいる子どもたちなのですから。
 最後に子どもが書いた詩を一つご紹介します。

  負けない

負けない
あの日 起きた
大地を大きくゆらす
大地震
こわくて
心の底からこわくて


大地がゆれて
大きな津波がやってきて
たくさんの大切な命をうばった

かなしくて
どうしようもなくかなしくて

大地がゆれて
人の心もゆれた


みんな心細かった
さみしくて
どうしようもなくさみしくて


遠くはなれたところからの
「がんばれ」の言葉が
心にたくさん届いた

がんばってやる
いっぱいがんばってやる


ゆれた大地から
笑顔を届けるのは
今度はぼくたちだ
これからもずっと
負けない
絶対負けられない

        (作文宮城特別編 「あの日の子どもたち」より)

2014年2月18日火曜日

The way to do is to be.

小学校教諭のY・Sです。

私の大学時代の専攻は「臨床教育学」いわゆる「カウンセリング」でした。そのころ,ようやくカウンセリングの理論が日本の教育現場でも注目され,導入され始めました。そして,私が今でも座右の銘にしている言葉が今日の表題です。

 The way to do is to be.                             

         ロジャーズ(カウンセリングの創始者)の言葉より

意訳すれば,「技術即人格」ということでしょうか。カウンセリングには技術も重視されますが,その技術の根本を支えるのはその人の「為人(ひととなり)」であるということです。
 さらに次のような言葉も学びました。

 『道端で重荷を背負ってうずくまっている人がいれば,元気が出るまでつきあってやるのがカウンセラーだ。おのれ未だ救われざるに,他者を救わんと発願したのがカウンセラーである。まさにこれは「菩薩の行」である。」
 人を思いはかること,子どもの心に寄り添うこと。そのためには,自分自身の人格をまず磨くことが大切であることを再認識しました。

        参考文献 「心とこころのふれあうとき」国分 康孝 著 黎明書房 刊

2014年2月14日金曜日

叱り方のテクニック

小学校教諭のY・Sです。

 教師も人間ですから,時には児童・生徒の言動に腹を据えかねることもあるでしょう。思わず手を上げたくなることも。体罰は「教育基本法」でも厳しく禁じられています。また,人格を否定するような叱り方も今では問題になってしまいます。
 

 そこで今日は私が先輩の先生から学んだ叱り方のテクニックを2つご紹介します。


1 子どもが許せないような暴言を吐いたとき。
  教師:「うん?今何って言った?聞こえなかったからもう一度言ってくれないかな。」
  子どもに,自分でその善悪を判断させます。ほとんどの子どもは「ごめんなさい。」と言います。

2 1人を中心に悪ふざけをしていたり,騒いだりしていてすぐにそれをやめさせたいと  き
  教師:「○○ちょっと来なさい!」といって騒ぎの中心人物を呼んで,手を頭に軽く乗せ,その乗せた手の甲をパシリと叩く。(教師自身の手の甲です)呼ばれた子どもは叩かれるのを覚悟して来ますから,その時点でもう反省をしています。他の子どもたちは先生が怒って叩いたと思い,静かになります。その後シッカリお説教をします。

 子どもの行為に腹が立ったとき,ぜひ真似してみてください。教室内がうるさいときは,静かな子どもを見つけて,「おお!○○さん,立派だね!」と1人を褒めればみんなそれを真似して静かになります。
 
 

2014年2月11日火曜日

私を鍛えてくれた先生  - 愛による和解 -


高校教諭 K.O

同僚の実相を拝む
「先生の机、私が拭いておきました」と山田先生(仮名)が、優しい目をしながら照れくさそうに言ってくれた。その時私はあまりのうれしさに感激して、「机を拭いてくれてありがとうございます」と先生にお礼を言い感謝した。涙が目にあふれるような思いであった。この日を境に、四月から約半年間続いた山田先生との不調和が解消し、心から和解することができた。一切は自分の責任であった。それからは生徒のことなどで普通に話をしたり、相談することができるようになったのである。

 4月新年度がスタートし、私は1学年主任となった。HR担任6名・学年付き2名、計9名のスタッフで学年団を組んだ。入学式・始業式、そしてオリエンテーション等、忙しい中にも新入生を迎える充実した新学期であった。しかしながら学年団の中に、不満げな表情で会議等で何かと反対する先生がいた。中傷や暴言、しまいには打ち合わせや会議を飛び出して行ってしまうのである。会議もまとまらなくなり、他の職員も大きな迷惑を被ることとなった。教員生活で、今まで経験したことのない大きな問題に直面した。苦悩の日々が続いた。 

 家内に胸の内を明かし、また上司や同僚にも相談した。生長の家の講師からはアドバイスをいただいた。 

  夏休みも終わり、2学期が始まった。春から100日間の祈願を決意し続けてきて、その日は99日目であった。そろそろ祈りも成就し素晴らしいことがあるに違いないと思っていたのである。しかしこの日の学年会議では、最大級の反対反抗があった。大声で怒鳴り、席を立って出て行ってしまったのだ。会議は混乱した。理由は、自分の意見が通らないことへの不満にあるらしい。私は先生を呼びに行き戻ってもらい、再び皆のいるところで意見をまとめた。私も改めるべきところがあることを反省していた。しかし私のことだけでなく、皆が不愉快な思いをし困っているとすれば、これは学年全体の大きな問題であると思った。私一人が我慢すれば済むということではなくなった。校長先生に実態を話すべきと思い、まず教頭先生に報告した。そして今後の対応を相談した。 

 この間、如何に悩みがあろうとも、今やるべき事は断固としてやった。祈りを徹底して実修した。早朝神想観後、山田先生他学年の8名の先生方と、240名の1学年の生徒の実相を祈った。学校でも先生・生徒の光明面に感謝し長所を讃嘆する祈りと、赦しの祈りを実修した。また聖典を拝読した。そして一切を神様に全托した。このようななかで半年が経過した。現象的には山田先生のことや、学年の先生方を如何にまとめていくかの困難を抱えていた。 

愛の表現
 しかしついに神様の救いの光が、私にも与えられた。
谷口雅宣先生の「愛と赦しのための祈り」であった。私はそれを見た瞬間、直感的に「あ!これだ!」と思ったのだ。 

   我らは「子」への愛が足りなかったのではないか。あるいは、愛があっても、自分のことのみに関わっていて、愛の表現をする機会が足りなかったのではないか。 

 私の悩みを解決してくれた、光のコトバであった。 

  山田先生が反発していたのは、私のこころの陰であった。「私が山田先生に愛が足りなかったのだ。愛の表現が不足していたのであった」と心から反省し、懺悔した。丁度そのころ、女子生徒の容儀の指導が必要なときであった。山田先生は学年の生活指導の係であることから、先生の意見を尊重して、計画を立ててくれるようにお願いした。2~3日後素晴らしい計画を立てて、私にまず見せてくれた。これでやろうということになり、学年皆で指導を行ったのである。そして終わってから学年会議の席で、山田先生の計画の良かったところを具体的に褒めてあげた。それからというものは、山田先生は心を開いて明るい素直な表情で、私とやさしく話してくれるようになったのである。学年会議でも積極的に意見を述べ、学年全体のために貢献してくれた。そして私の机を拭いてくれたのであった。山田先生は、はじめから素晴らしい先生であったのだ。 

 先生方の充分な理解がなく、単に力で押し切るとか、権謀術数を用いて事を進めることは良くない。そのときはうまくいっても、後に不信を残すことになるのである。谷口先生は愛によって解決しないものはないのである、愛に勝る力はないのであるとお解き下さっている。愛と愛の表現の偉大なることを、改めて教えられた。 

 ああ!山田先生は私の愛を引き出してくれた、愛の表現の大切なことを教えてくれた観世音菩薩様であった。学年の先生方も私を磨いてくれる菩薩様であると解った。HR経営等で生徒の指導に苦労している、HR担任と困難をともにして、またHR担任の喜びを私の喜びとして受け入れる心境になった。そのとき全てが一変した。 

 こころが明るく、かるく、さわやかである。「すべては一体」の自覚であろうか。
  涙が流れた。
  感謝合掌。
  ありがとうございます。

K.O

2014年2月7日金曜日

防災教育の充実は喫緊の課題です

小学校教諭のY・Sです。
先日書きました防災教育に関する記事は,都合により削除致しました。ご了承ください。
興味のある方は,「学校防災」または「学校安全」のキーワードで検索してみてください。

 さて,文科省は2013年3月に「学校防災のための参考資料『生きる力』をはぐぐくむ防災教育の展開」を発刊しました。そのねらいの概略は次の通りです。
 

・現在及び将来に直面する災害に対して,的確な思考・判断に基づく適切な意思決定や     行動選択ができるようにする。
・危険を理解・予測し,自らの安全を確保するための行動ができるようにする。
・自他の生命を尊重し,安全で安心な社会づくりに進んで参加・協力し,貢献できるようにする。

 これは「東日本大震災」を受けて作成されたことは,言うまでもありません。しかし,その内容は「生きる力」そのものであり,「自分の命は自分で守る」という人間として当たり前な力だと私は思います。
 私たちの年代(昭和40年前後生まれ)が子どもの時期は,日常生活の中でそのような力や知恵を身につけてきました。友達との遊びや喧嘩,虫取りやザリガニ取り,ちょっと危険な冒険。時には近所の「こわいおじさん(雷親父)」に大目玉をくうようないたずら等々。しかし,現代の子どもたちは,過保護・温室育ちといわれるように,悪い意味で大切にされすぎているため,意図的に「自助能力」をつける教育が必要です。小学校における「生活科」も「自立への基礎を養う」ことが主な目標ですし,今では学校現場で定着しつつある「グループエンカウンター」や「ソーシャルスキル」も人間関係づくりを疑似体験させるのがねらいです。
 

 防災教育もまた,そのような子どもたちを取り巻く環境の変化に応じた重要なカリキュラムになってきたのです。
 実際に「東日本大震災」では,「釜石の奇跡」といわれる防災教育の成果もありました。また,「東日本大震災」で最大震度を記録した自治体 は,犠牲者0,とりわけ児童・生徒に怪我ひとつなかったという事実があります。その理由として,平成20年に起きた「岩手・宮城内陸地震」の教訓が生きていた。つまり自然の猛威を直に体験していたからだといわれています。
 
 子どもたちの命を守ることは,教師の最大の使命です。今こそ防災教育に本気になって取り組んでほしいと心から願います。

 
 ※参考文献「今,始めよう!新しい防災教育」東京学芸大学教授 渡邊正樹 編 著 光文書院 刊

追記:「東日本大震災」の被災地を修学旅行で訪問する学校が全国的に増えています。修 学旅行が無理でも,研修の一環として被災地の現状を視察されるのもよいでしょう。「教育観が変わった」という先生もおります。