小学校教諭のY・Sです。
今日は10年ほど前のある朝の教室でのことを思い出して書きます。
ある日,漢字練習の宿題をなかなか出さない女の子がいました。いつも忘れずに出す子なのにおかしいなと思って,「○○さん,宿題まだ出てないんだけど・・・。」と声をかけると,「途中までなので・・・。」という元気のない応えが。「途中でもいいから出して。」と言うと,その子は,伏し目がちに恐る恐るノートを持ってきました。途中までといっても,四分の一くらいしかやっていないノートを見て,訳を聞き,理由次第では叱らなければと思った瞬間,ふと「うん,よくやってきたね!字もきれいだ。」と声をかけました。それを聞いてやっと気持ちが和らいだのか,その子がにこっと笑顔を見せたとき,私はあることに気がついてこう語りかけました。
「お母さんが入院していて大変だね。弟さんや妹さんのお世話をしながらよくがんばってこれだけ書いてきたね。偉いぞ!」と。そのとたん,いきなり大粒の涙を流してその子は泣き出してしまいました。
次の日,その子は宿題をきちんと最後までやってきました。
もし,あの時その子の家庭の事情に気付かず叱ってしまっていたら,心に大きな傷をつけてしまったかも知れません。
「先生」という仕事はほんとに「畏れ」多い仕事です。
このブログは、保育・幼稚園、小学、中学、高校、大学、学習塾で、子どもの可能性 を認め、引き出す教育を実践している7名の教育関係者によるブログです。それぞれ の成功や失敗の事例を交えながら、教育課題の解決方法を分かりやすくつづっていきます。
2014年1月31日金曜日
2014年1月27日月曜日
脚下照顧!
生長の家創始者,谷口雅春先生は,そのご著書『静思集』の序文に次のようなお言葉を書かれています。『人間は自分で自分の本体を忘れていることがある。そんなときに生活がくずれるのである。自分を物質だと思っているとき生活がくずれる。自分を肉体だと思っているとき生活がくずれる。自分を「先生」だと思い上がったとき生活がくずれる ー中略ー 先生と云われると人を怒鳴りつけるようになる人もある。先生と云われると,寝床をあげぬようになる人もある。先生というものは豚ではないのである。豚なら廊下をはかなくとも,寝床をあげなくとも,感謝しなくとも,誰も何とも云わない。「先生」と云われることは余程危ないことである。』 非常に重たく,魂が震え心が凛とするお言葉であると思います。私は時々このお言葉を折りに触れて思い出し,初心に還ることにしています。
ラベル:
110.人間関係
,
150.子どもとの関わり
,
930.Y.S先生
2014年1月25日土曜日
子供たちとともに実践しよう環境保全活動
高校教諭のK.Oです。
本校のエネルギー等使用量及びCO2排出量の調査と発表
課題研究という授業で私の班の生徒が、本校で使用している電気・ガス・上水道・灯油・重油について、過去5年分を調べることにしました。結果を表やグラフにまとめ、各年度との比較や一般家庭との対比で考察してみると、膨大なエネルギーの使用とCO2の排出量が分かりました。
これが地球温暖化による環境破壊に無関係でないことや、北極・南極の氷の融解、ツバルの水没等のことも学習していきました。
そして「みんなで暖房の無駄を無くする省エネや、教室の移動時に消灯する節電を心がけること等が、地球温暖化の防止につながる」とまとめてくれました。このことを全校生徒・職員・保護者・来賓・教育委員会主事、約1000人の前で発表しました。
環境・資源・平和の指導を!
生長の家総裁・谷口雅宣先生は、『足元からの平和』の中で次のようにお説きくださっています。
化石燃料を使い続けることは環境にマイナスであるばかりか、資源問題を深刻化するとともに、希少資源をめぐる各国の奪い合いに発展する恐れもある。また、ツバルの例のように、環境難民を生み出す可能性もある。そういう意味で、「環境」と「資源」と「平和」とは皆、つながっているわけですよ。(同書、202ページ)
「教え子を戦場に送るな」とのスローガンを耳にすることがありますが、谷口雅宣先生は戦場をつくらない、根本的な平和への道をお示しくださっています。戦場があって、自分たちだけが戦場を避ける方法とは異なるのです。真の平和実現のために、環境・資源・平和の関係と、その問題解決に向けての指導が必要です。
生徒に「人間・神の子」の真理を伝え、個性・使命・天分の開発を行うとともに、環境教育を実践しましょう。身近にできるところからはじめましょう。
子供たちに美しく平和な地球を!
K.O
2014年1月20日月曜日
試験監督で疲れないために
大学教授のM. Y. です。
今年も大学入試センター試験が行われました。会場校になっている大学では教員が試験監督を務めますが、その監督業務は、大学入試センターによって示された膨大かつ詳細な監督要領に沿って行わなければならないので、かなり気を遣います。
今回、私は初日の試験監督を担当しました。ご存知のように、初日には英語リスニング試験があります。また、1時限目の「地理歴史・公民」で「2科目受験」をする受験生の部屋に配置されたので、朝早くから日没後まで、長時間にわたる監督業務となりました。
ですので、「さぞお疲れになったことでしょう」と思われるかもしれないのですが、実は私の場合、幸いなことに、そんなに疲れることなく、とても爽やかな気持ちで務めることができました。
おそらくそれは、谷口雅春(生長の家創始者)著『伸びよ生命の子』(日本教文社)の「疲労を感じない力の生かし方」を読んでいて、それを多少なりとも実行できたからだったと思います。
たとえば、この本の33頁には、「愛はすべてを癒す」と題して、次のように書かれています:
---〈以下、引用〉---
こうした愛の心を持てるように私が行ったことは、「受験生の身になって考える」ことでした。自分自身もかつて受験生でしたから(もう二十五年以上も前のことですが)、その時のことを思い出すと、大学受験は受験生にとって人生最大の重要な時であることが分かります。
それを思うと、口にこそ出して言えませんが、心の中では「頑張ってね〜」「よく出来るといいね〜」と念じたくなります。
そう念じながら、問題冊子や解答用紙の配布や回収を行ったり、解答時間中も受験生を見守ったりしていると、監督業務がそんなに苦にはなりませんでした。やはり愛の心こそが生命の糧なのだと思います。
大学教授 M. Y.
今年も大学入試センター試験が行われました。会場校になっている大学では教員が試験監督を務めますが、その監督業務は、大学入試センターによって示された膨大かつ詳細な監督要領に沿って行わなければならないので、かなり気を遣います。
今回、私は初日の試験監督を担当しました。ご存知のように、初日には英語リスニング試験があります。また、1時限目の「地理歴史・公民」で「2科目受験」をする受験生の部屋に配置されたので、朝早くから日没後まで、長時間にわたる監督業務となりました。
ですので、「さぞお疲れになったことでしょう」と思われるかもしれないのですが、実は私の場合、幸いなことに、そんなに疲れることなく、とても爽やかな気持ちで務めることができました。
おそらくそれは、谷口雅春(生長の家創始者)著『伸びよ生命の子』(日本教文社)の「疲労を感じない力の生かし方」を読んでいて、それを多少なりとも実行できたからだったと思います。
たとえば、この本の33頁には、「愛はすべてを癒す」と題して、次のように書かれています:
---〈以下、引用〉---
仕事をして、うまくできなかったり、その仕事に故障が起ったり、その仕事で怪我をしたり、仕事の結果健康を害したりするのは、仕事に対する愛が足りないか、仕事に対して恐怖心が伴っているのです。愛しさえすれば、仕事はあなたに害を与えるものではありません。犬でも愛する人には咬みつきはいたしません。恐れる者には犬も咬みつくのです。この仕事をしたら健康を害するかもしれないとか、こんなに夜業を続けたら、衰弱して肺病になりはしないかとか、取越苦労が病気の因(もと)です。恐れずに、仕事と勉強に愛を感じ、働かせてもらうことに、勉強させていただくことに、喜びと感謝をもって勇敢に生きて行く時には、人間は働くほど健康になるのです、元気になるのです、病気だってかえって治ってしまうのです。---〈引用終わり〉---
こうした愛の心を持てるように私が行ったことは、「受験生の身になって考える」ことでした。自分自身もかつて受験生でしたから(もう二十五年以上も前のことですが)、その時のことを思い出すと、大学受験は受験生にとって人生最大の重要な時であることが分かります。
それを思うと、口にこそ出して言えませんが、心の中では「頑張ってね〜」「よく出来るといいね〜」と念じたくなります。
そう念じながら、問題冊子や解答用紙の配布や回収を行ったり、解答時間中も受験生を見守ったりしていると、監督業務がそんなに苦にはなりませんでした。やはり愛の心こそが生命の糧なのだと思います。
大学教授 M. Y.
2014年1月19日日曜日
「拝む」ということ
小学校教諭のY・Sです。
今日は,私が教師になってからずっと続けてきた子どもを既によいと信じることのできる「奥義」をご紹介します。
「奥義」というと何かとてつもなく難しいように聞こえますが,誰にでもできることです。それは子どもを「拝む」ことです。よくしようとして「なんとかその悪い習慣や心を改めてください」と懇願するのは本当に拝んだことになりません。「既によいからそのよさを観じて拝む」のです。具体的には,学級の集合写真を机の前やよく見えるところに置き,1人一人の子どもに向かって,「○○さん,あなたはすばらしい!何でもできる強い子よい子です。将来社会の役に立つ国の宝です。」というような思いつくよいことを語りかけるのです。自宅に神棚がある方は神棚の下に写真を置くともっと効果的です。
これを続けていくと子どもがよくなるのではなく,私自身の子どもを観る心が変わります。まさに「見られるものは見る人の心の影」「主・客同体」です。心理学ではリップスが「感情移入」という言葉で表現していますが,それ以上の「観る力」であり「想像力は創造力」であると言えます。
かの有名なアクションスターであり武道家でもあったブルース・リーの名台詞に
「Don't think feel !」=「考えるんじゃない。観じるんだ。」
というのがあります。さすがに一つのことを極めた人の言葉ですね。
どうか子どもの「よさ」を観じ続けてください。それも教師の尊い仕事の一つであると私は考えています。
ー立ち向かう 人の姿は鏡なり 己が心を 映してや見むー ー黒住 宗忠 公ー
今日は,私が教師になってからずっと続けてきた子どもを既によいと信じることのできる「奥義」をご紹介します。
「奥義」というと何かとてつもなく難しいように聞こえますが,誰にでもできることです。それは子どもを「拝む」ことです。よくしようとして「なんとかその悪い習慣や心を改めてください」と懇願するのは本当に拝んだことになりません。「既によいからそのよさを観じて拝む」のです。具体的には,学級の集合写真を机の前やよく見えるところに置き,1人一人の子どもに向かって,「○○さん,あなたはすばらしい!何でもできる強い子よい子です。将来社会の役に立つ国の宝です。」というような思いつくよいことを語りかけるのです。自宅に神棚がある方は神棚の下に写真を置くともっと効果的です。
これを続けていくと子どもがよくなるのではなく,私自身の子どもを観る心が変わります。まさに「見られるものは見る人の心の影」「主・客同体」です。心理学ではリップスが「感情移入」という言葉で表現していますが,それ以上の「観る力」であり「想像力は創造力」であると言えます。
かの有名なアクションスターであり武道家でもあったブルース・リーの名台詞に
「Don't think feel !」=「考えるんじゃない。観じるんだ。」
というのがあります。さすがに一つのことを極めた人の言葉ですね。
どうか子どもの「よさ」を観じ続けてください。それも教師の尊い仕事の一つであると私は考えています。
ー立ち向かう 人の姿は鏡なり 己が心を 映してや見むー ー黒住 宗忠 公ー
ラベル:
110.人間関係
,
150.子どもとの関わり
,
930.Y.S先生
2014年1月13日月曜日
楽しかった卒論指導
大学教授のM. Y. です。
この年末年始は卒業論文提出の時期でした。私の大学では計4日間の提出期間だったのですが、私のゼミ生8名は、その全員が最終日を待つことなく、三日目までに順調に提出してくれました。
2014年1月4日土曜日
子どもを「良くしてはいけない?」
私がまだ新米教師の頃,ある先輩の先生から「子どもをよくしようとしてはダメだぞ。」という助言を受けて考え込んだことがあります。私たち教師の仕事は子どもたちを“心身共に健康”に成長させることなのに…?そのとき私は変な猜疑心を抱きました。
学校を単位とする教育界も大きな組織です。組織には当然規則・規範がありますが,いわゆる“不文律”も存在します。学校にもそんな不文律があるのだろうか?事実,「自分の学級は,1年間,問題なく普通に無難に過ごして次の学年の担任に引き継げばいい」そう割り切っている先生もいないわけではありません。でも,「私にはそんな“器用なこと”はできないなぁ。」としばらく悩みました。また,子どもたちに“日本人としての誇り”をもたせることをタブーとする「せんせいたち」がいることも否めません。
それでも,私は自分の信念を貫いて精一杯子どもたちと向き合ってきました。時には,「Y先生のクラスの子どもたちはどうしていつも立派なの?」とか「Y先生が受け持つと問題児が問題児でなくなるのはどうしてかな?」などという嬉しい噂をされたこともあります。ある年などは,学級崩壊したクラスを引き継ぎ,1ヶ月ほどで“普通”の学級にしてしまったために,前年度の担任から嫉妬されたこともありました。「やはり普通に,無難に子どもたちと接するのがいいのかなぁ。」そう思ってスランプに陥ったこともありました。
ところがあるとき,私が教師になってからずっと続けてきたことが,その先輩の先生の言葉の真意だったことに気付きました。確かに「子どもをよくしようとしてはダメ」なのです。「子どもは既によい」のです。それを心の底から信じるのが教師の役目であり,同時に自らの研修なのです。教育とは何とすばらしく尊い仕事なのかをあらためて自覚した瞬間でした。
次回は私が教師になってからずっと続けてきた子どもを既によいと信じることのできる「奥義」を披露したいと思います。お楽しみに!
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110.人間関係
,
150.子どもとの関わり
,
930.Y.S先生
2014年1月2日木曜日
年頭の一首
読者のみなさま,あけましておめでとうございます。
小学校教諭のY・Sです。
新年のご挨拶の代わりに和歌を一首詠みました。自己流で時々詠んでいますので,その道のプロの方が見れたなら恥ずかしいのですが。
幼な児の 清き瞳に宿る灯を
拝しつ今日も 教壇に立つ
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
小学校教諭のY・Sです。
新年のご挨拶の代わりに和歌を一首詠みました。自己流で時々詠んでいますので,その道のプロの方が見れたなら恥ずかしいのですが。
幼な児の 清き瞳に宿る灯を
拝しつ今日も 教壇に立つ
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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,
930.Y.S先生
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