2014年12月27日土曜日

今週の「おみやげ」は?

小学校教諭のY・Sです。

今年も御用納めとなり,今日からは9連休という方もいると思います。今年1年,子ども達のための精進・奮闘・活躍された教育関係者のみなさん,お疲れ様でした。
 今年最後の記事は「おみやげ」についてです。私は毎週金曜日には,学級の子ども達に「今週のおみやげは何かな?」と帰りの会で問いかけます。その「おみやげ」は物ではなく,その週に学習したり,新しい知識を得たりしたことを家の人に話すおみやげです。
 例えば,これまでに「好評」だったおみやげをいくつかご紹介します。
○  10分,20分・・・の正しい読み方は「じっぷん」,「にじっぷん」であ  る。
○ スリッパを踏みつぶして履けなくなり,いらいらしたことは誰にでもあること。
○ 「女王様」の正しいふりがなは「じょうおうさま」ではなく「じょおうさま」であること。
○ 「躓く」=「つまづく」は間違いで,「つまずく」であること。
○ 信号の赤・青・黄色の並び順は?(真ん中は黄色と判っているけど,赤と青がそのどちら側か?)○ 探し物をしていて見つからないときは,一旦止めた方が却ってみつかること。
○ 季節や行事に合ったことわざや簡単な英語表現など。
 つまり,その週で学習したことで,「なるほど!」とか「そうだったのか!?」と思ったことや,家の人に自慢できるような豆知識をもって帰り,話題にすることが「おみやげ」です。子ども達は常に好奇心と学ぶ意欲をもって活動しています。その中で得たことや気付いたことを誰かに伝え,表現することによって知的好奇心が益々高まるのです。同時に家族の会話が弾んで一家団欒に貢献することも期待しています。
 さて,今学期最後の「おみやげ」は,ことわざ「笑う門には福来たる」と「Keep on smilig !」という挨拶でした。英語の訳は敢えてしないでも,子ども達はしっかりにこっと笑って真似をします。
 

 では,今年も私のささやかな実践と拙文を読んでくださったみなさまに感謝致します。どうぞ,よいお年をお迎えください。
   Keep readnig and, Keep on smiling !!

2014年12月13日土曜日

生長の家の教育の“現代的展開” 子供たちに伝えよう-自然と人間の大調和


高校教諭のK.Oです。
                  

昨年死去した、ネルソン・マンデラ氏は人種や民族のちがいを越えて人種差別を撤廃し、世界中から尊敬されました。そして今、世界は地球環境問題に直面しており、さらに人間と他の生物との共存共栄が求められています。

 
今、一番必要な道徳教育、平和教育とは?

授業で太陽パネルの特性試験を行い、生徒がレポートに感想文を書いてくれました。「ソーラー電池の発電率にびっくりした。光はなくならないので、これを日本中にけちらずに展開すれば、どれだけの電力をまかなえるのか。原発が無くなったらこれだ!と思った。」(S.H
また、北見生命学園では、何故ノーミート料理をつくるのか?環境を大切にするとは?という内容の講話から、肉食の弊害について、動物を殺すこと・飢餓・森林減少等を学習しました。
 
今、児童・生徒に一番必要な道徳教育の徳目、また平和教育の内容は、「自然と人間の大調和」による自然環境保全の生き方=新時代の生き方であると思います。なぜなら、人間と他の生物との共存共栄は、愛を実践する生き方であるからです。例えば、動植物を大切にすることは、愛を深め「豊な心」を育んでくれます。リサイクルの促進は、ゴミや空き缶を拾うことで良いことをする、「愛の実践」になります。省エネルギーの促進は、「物を大切にする心」を養います。温暖化防止の努力は、「遠くの貧しい国の人たちへの愛」となるのです。さらに、自然との触れ合いは、生きる力とよろこびを与えてくれます。 

また、「自然と人間の共生」に基づく地球環境保全の教育が世界平和の根幹であると言えます。なぜなら、生長の家総裁・谷口雅宣先生が、「平和・環境・資源」の3つの問題はリンクしていると説かれているように、地球環境保全は平和と密接につながっているからです。 

生長の家総裁・谷口雅宣先生は次のようにお示しくださっています。 

化石燃料を使い続けることは環境にマイナスであるばかりか、資源問題を深刻化するとともに、希少資源をめぐる各国の奪い合いに発展する恐れもある。また、ツバルの例のように、環境難民を生み出す可能性もある。そういう意味で、「環境」と「資源」と「平和」とは皆、つながっているわけですよ。(『足元から平和を』谷口雅宣先生著202頁より)
 

今、一番必要な生長の家の教育とは?

 生長の家の教育に関する内容も、歴史があり素晴らしいものです。かつては反国家思想の横行する時代があり、それに対して愛国心や天皇様のご恩徳を説き、また親不孝の問題については親孝行を説いてきました。もちろんこれらのことは必要です。しかし、現代の児童・生徒を取り巻いている環境は変わってきています。 

例えば、君が代・日の丸についても、以前は戦争につながる等と言っては反対し、バイキンのように嫌う人もいました。今は変わりました。子供たちも教員も、自然に国歌・国旗として接しています。
 
今はもっと重要な問題が出てきているのです。地球が荒廃し人間のみならず生物が棲めなくなっていくこと。すでに絶滅種が多く数えられています。また、原発事故の未解決の問題等です。これらの緊急を要する地球規模の問題を解決することが、吾々の使命であり、教育の課題なのです。現代の子供たちに最も教えなければならないことは何か?今、一番必要な生長の家の教育とは何か?と考えたとき、総裁先生がお説きくださっている、「自然と人間の大調和」による新時代の生き方であると思います。
これが生長の家の教育の“現代的展開”だと考えます。 

「教員生活が楽しくなるブログ」へのアクセス数がこのところ急増し、国内外から、生長の家がはじめての方からも多くの関心が寄せられています。
今、世界の教育者の共通の諸課題を解決するために!!

                                                                                                                                                                                                K.O

2014年12月3日水曜日

自然を愛し,その偉大さを実感させる授業

小学校教諭のY・Sです。

今週は,「わたしたちの道徳」という副読本(文部科学省 刊)をつかった道徳の授業をしました。題材は「自然や動植物を大切に」です。その概略をご紹介します。対象は小学校3年生です。
 導入で「次の中に花が咲かないものはありますか?」という問いかけをし,
①さくら ②いね(米) ③杉
 と板書しました。〔*この質問に関しては,2013年7月22日のブログにも書きました〕はじめはこちらのねらい通り,③の杉と答える児童がいました。②のいねについては,稲作地域という特性から,「稲の花は見たことがある」という意見にみな同感しました。
 では,「③の杉は本当に花が咲かないのかな?」と補助発問すると,「見たことがないから咲かないと思う」という児童の意見に引きずられる児童が出てきたので,ここでヒントをあげました。「花粉症で一番多いのは,何の花粉症でしょうか?」すると児童から「杉の花粉症か!花粉が出るということは花が咲くからだ!」「でも杉の花は見たことがないよ」「稲よりももっと小さい花なのかも知れないよ」といった意見が出てきました。  
 そこで,「そうだね。見たことがないからないとは言えないね。実は杉にも花が咲くんだ。今の季節は茶色いつぼみが出ているから,気をつけて見てごらん。では,わたしたちの道徳の102ページから読んでみよう」といって,
 ○ 折れた菊を大切に世話した結果,見事に花を咲かせた話
 ○「ど根性大根」の写真
 ○ 渡り鳥がなぜ「V字」になって飛ぶのかという話
 ○ 岩手県盛岡市の石割り桜の生命力について
を紹介した写真と文をそれぞれ読んで話し合いました。子ども達は,アスファルトから芽を出す草花の不思議な力や,この季節によく見られる雁も「V字飛行」をして,天敵から身を守る工夫をしていることなど,それぞれ知っている自然の偉大さを紹介してくれました。そして次のようなまとめをして授業を終えました。
 「みんなよくたくさんの自然のすばらしさに気付きましたね。自然の素晴らしさに気付くということはみんなも自然の一部だからなんだと思う。」そして板書に,
「花が咲かない植物はない。」植物の横に「人間」と朱書きし,「花の咲かない人間もいない。」「人間の花って,何だろう?考えてみてください。」といって授業を終えました。
 後日,子ども達から自然・人間についての偉大な発見が続々報告されることでしょう。その時はまたブログにアップします。  
   ー 参考文献:「わたしたちの道徳 小学校三・四年」p102~p105 ー  

2014年11月23日日曜日

誤った二分法による誤った指導

小学校教諭のY・Sです。

給食の好き嫌いが多い児童に「世界には何万人という子ども達が食べたくても食べられなくて飢えや病気で死んでいる。ちゃんと朝・昼・晩3食食べることのできる国に住んでいて,好き嫌いをするとは甘い考えだ!」といった指導をしたことはありませんか?私も実は,若い頃こんな指導をしたことがあります。また,不登校や学校に行くのを渋る児童に,「アジアやアフリカの国には,鉛筆一つ教科書1冊さえなくても勉強をしたいと思っている子ども達が大勢いるのに,学校に行きたくないなんて甘いことを言うな!」というようなお説教を聞いたことはないでしょうか。どちらも違和感があり,効果的な指導・助言とは言えませんね。もう一つ,子どもの頃,ちょっとした怪我や病気でぐずっているとき,親からこんな言葉で慰められたことは誰にでもあるかと思います。「お前なんかよりもっともっと重い病気や怪我で苦しんでいる人もいるんだから,それくらいのこと我慢しなさい!」この言葉に奮起したという人は,おそらく少ないと思います。このような考え方を『誤った二分法』といいます。つまり,物事を無理やりに2つに分けて,それ以外の可能性をすべて無視したうえで理屈付けをするある種の詭弁です。
 そもそも,世界中に何万人もの飢えた子どもがいようと,貧しくて学校に通えない子どもがいようと,食べ物の好き嫌いや不登校の原因とはなんら関係のない別問題であるということです。大切なことは,好き嫌いや不登校,病気や怪我で苦しんでいるのは,当の本人なのです。もし,日本中の好き嫌いのある子どもが何でも食べるようになっても,世界の飢餓はなくなりません。不登校の児童が我慢して学校に行っても,学校がない国に学校が建つ訳ではありません。子ども自身が自覚により,「世界の貧しい国の子ども達に役に立てるような大人になろう!」と決意したなら別ですが。
 要は,このように極端な比較を使って子どもを説得するよりも,問題を抱えている“その子”に寄り添って,具体的な解決方法を一緒に見つけていくことが大切なのだと思います。


ー参考文献ー
 誤った二分法(あやまったにぶんほう、英: false dichotomy)あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。密接に関連する概念として、ある範囲の選択肢があるのにそのうちの両極端しか考えないという場合もあり、これを白黒思考 (black-and-white thinking) などと呼ぶ。なお "dilemma" の先頭の "di" は「2」を意味する。2つより多い選択肢の一覧が示され、その一覧以外の選択肢が存在するのに考慮しない場合、これを誤った選択の誤謬 (fallacy of false choice) または網羅的仮説の誤謬 (fallacy of exhaustive hypotheses) と呼ぶ。 ーWikipedia よりー

2014年11月6日木曜日

将来役に立つ習い事は?

小学校教諭のY・Sです。

道徳の教科化が中教審から答申されました。この件に関する記事は8月12日に書きましたので,より詳しい見解は後日またUPしようと考えています。
 今日は,先日保護者から質問されたことに対する私の回答をまとめてみます。「子どもの将来のためにどんな習い事をさせたらいいでしょうか」(将来,就職に有利な習い事はどんなものかという意)
という質問でした。
 まず,習い事はお子さん(以後一般的に”子ども”と表記)の自発的な意志に任せて無理矢理やらせないことが肝心です。もし,習い事がしたいと子どもが希望するならスポーツを含めて週に2回くらいが適量かと思います。将来のために(就職に有利な)習い事というのも,個人差がありますから一概に言えません。スポーツで心と体を鍛えることは誰にも有益でありますし,武道(柔道・剣道・空手等)は精神の鍛錬にもなります。
 学習関係について,個人的には学校の勉強をしっかりやっていれば十分だと思います。ちなみに私は大学まで行きましたが,学習塾は一切通っておりません。将来を考えて就職に有利な習い事は,と問われるなら,これも個人的な見解ですが,「英語」それも聞いて話せる英語を身に付けることのできるような学習をお勧めします。これは何も塾だけとは限りません。テレビやラジオの英語番組を親子で視聴することなどは,簡単な方法です。なぜ,英語をお勧めするかというと,これからの国際化が進む社会では,どうしても「コミュニケーション能力」が必要になります。しかし,現在行われている小学校の外国語授業は週に1回,中学校でも時数は少なくなり,毎日授業があるわけではありません。つまり,学校の勉強だけでは受験準備のための英語は身に付いても,使える英語・実践的な英語は習得し難いのが現状です。
 さらに,国は外国人観光客の集客による外貨獲得に力を入れようとています。また,防災教育を学びに東日本大震災の被災地を訪れる外国人も増えています。しかしながら,各観光地や被災地では,英語を話せる人材不足に悩んでいる実情があります。これからの国際化社会を生きていく子ども達には,せめて母国日本の文化や自然環境,歴史などについて説明できるくらいの英語力が求められると考えています。
 


 最後にひとつ事例をご紹介します。私が「東日本大震災」の復興支援に行ったとき,アメリカから1人で来たという壮年の男性が「Is there anybody who can speak English?」といって人を探していたので,私が説明した概要です。一部は英語を専門職にしている知人に添削してもらいました。このくらいの英語が高校を卒業するまでに話せるといいですね。


The explanation of Great East Japan Earthquake
On March 11, 2011, at 2:46pm, there was the Pacific coast of Tohoku Earthquake. (Great East Japan Earthquake.)
It was magnitude 9.0. It was a massive earthquake. 
In northern Miyagi Prefecture, the seismic intensity was 7.0.
For about 6 minutes, all of Japan shook greatly. It did enormous damage everywhere.
The tsunami was over 40.5 meters high, and flooded up to 5.4 kilometers inland.
Nearly 20,000 people lost their lives.
To teach about this tragedy, and as a lesson for the future generations,We pray for happiness in the next world for those who were lost in the Great East Japan Earthquake, and also pray for the quick reconstruction of the disaster areas, with Grand Harmony of Nature.


訳)2011年3月11日午後2時46分に起きた“東北地方太平洋沖地震”はマグニチュード9.0という超巨大地震でした。宮城県北部では,最大震度7を観測し,その揺れは約6分間にわたって日本全土を揺らし,各地に甚大な被害をもたらしました。また,その地震に伴って発生した津波は想定を遙かに超える規模で,最大遡上高40.5m,内陸への浸水最大5.4kmを記録し,2万人近くの尊い人命を奪いました。その悲劇と教訓を将来に伝えるために“東日本大震災”で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに,被災地の1日も早い復興を祈ります。自然との大調和と共に。

2014年10月7日火曜日

「めんどくさいことに価値がある」ことを教える

小学校教諭のY・Sです。

 近頃の子どもはすぐに「めんどくさい」とか,「意味がない」といって嫌なことから逃げようとするとよく聞きます。しかし,本当に子どもだけでしょうか。もしかしたら,私たち大人が「面倒くさいこと」や「嫌なこと」から逃げているのではないでしょうか。
 私はかつて,社会科の「ごみの処理とゆくえ」の授業の中でこんな話を子ども達としたことがあります。授業のねらいは,『ごみの処理について関心をもち,身近な事象を通じてごみ処理と自分とのかかわりについて考えさせる』です。 *Tは教師(私),Sは子どもの発言 *教師の発問・受け答えには“カウンセリング的受容”の手法を意識しております。




 T:「みなさんは,ごみを捨てるのを面倒くさいと思ったことがありますか?」
 S:「ありません。」
 T:「ええ~!本当にないのですか?!それでは,掃除は面倒くさくありませんか?」
 S:「・・・・。」
 T:「実は先生も掃除をしなくてもいいなら“ラッキー”と思います。」
 S:「確かに,それはそうだけど。」
 T:「じゃあ,ごみを捨てるのも面倒くさいのではないですか。掃除だけじゃなくその     
辺に落ちているごみだって,自分が捨てたものでなければ拾って捨てたりしない                      でしょう?」
 S:「そういえばそうだ。」「私は○○君の落とした消しカスを拾ってあげたことがあります。」
 T:「おお,それは偉いね。他に自分が落としたものではないごみを拾って捨てたことがある人。」
 S:「はい,あります。」 *4~5人の子どもが手を挙げる。
 T:「すばらしい!それはとてもいいことだと思うよ。これからは“ごみを捨てる人”でなく“ご   みを進んで拾う人になろうね。」
 C:「はい。でも先生,よくコンビニのごみ箱にたくさんごみを捨てる人を見ますよ。」
 T:「よく見てるね。先生もそのような人を時々見かけるよ。みんなはどう思う?」
 C:「みっともないと思います。」「大人として最低。」「自分勝手で許せない!」
 T:「うん,先生もそう思う。でもいちいちそれを注意して嫌な気分になるのも損だ ね。」
 C:「そう,逆ギレされると怖いしね。」
 T:「その通りかもね。じゃあどうする?」
 C:「自分が手本を見せればいいんじゃない?」 *拍手が起こる
 
 


 こんなやりとりを20分ほどして,結局子ども達は「ごみは捨てることより拾うことに価値がある」という新しい“生き方”に気付きました。
 生長の家総裁,谷口 雅宣先生はその著書「次世代への決断」で次のように教えてくださっております。
   “めんどくさい”ことに価値がある「There is value what is t roublesome”」
 ごみの問題に限らず,私たちの生活の中で“めんどうくさいこと”の中に喜びと価値を見出すことは自分を鍛え,同時に未来への希望をもつひとつの大事な教育であると思います。

2014年9月13日土曜日

子どもに厳しく指導「鉄槌を下す」とき

小学校教諭のY・Sです。

「日時計主義の教育」を実践している先生方も,時には児童生徒を厳しく叱ることもあるかと思います。もちろん体罰はいけませんが,いわゆる「鉄槌」を下すのはどんな場面でしょうか。

 私は「やればできるのに怠けてしないとき」に鉄槌を下します。例えば,鉛筆を正しく持って丁寧な字を書こうと思えば書けるのに,いい加減な文字を書いているときなどは,

「○○!もっとうまく書けるはずだ!も一度書き直して。」と少し厳しい口調で諭します。また,近頃の子どもがよく言う「めんどくさい」という言葉も黙認しません。「面倒くさいことから逃げていては,何もできるようにはならないんだ!」と,つい語調を荒げてしまうこともあります。そう子どもには言うものの,(自分は面倒なことや苦手なことから逃げてはいないのか?)と自己反省することもあります。ですから,最近は「1日1回,面倒なことか苦手だと思うことを我慢してやってみよう。その代わり先生も面倒くさがったりしないから。」と,子ども達と約束することにしています。すると子ども達は厳しい目で私を見ます。「あ,先生,黒板の字間違ったのに面倒がって手で消したね。」「そうだ最初から書き直し!」などと。さすがにこれはムカッとする場面もありますが,「そうだね。面倒くさがらないという約束をしたね。ゴメン!。」といってやり直します。それを繰り返していくうちに,子ども達も「めんどうなこと」「苦手だと思うこと」に積極的に立ち向かうようになります。ちなみに,鉛筆の正しい持ち方やひらがなの正しい字形は,入社試験・就職試験,入学試験などでも最近は厳しくチェックされるそうです。

  生長の家創始者,谷口雅春先生は,その主著「生命の実相」で次のように説かれています。

 『かつて私は,数ヶ月の慢性胃腸病の児童を「お腹が痛い痛いというときは天井から吊り下げて棒で擲(なぐ)んなさい。このお子さんは病気ではないのに同情を求めて。潜在意識が病気を仮作(けさ)してるのですから。同情を求めたらかえって不結果になるということを知らしたら治るのです」と,その子供の目の前で叱責したために,その日からその児童の慢性胃腸病が治った実例をお話したことがあります。 ー中略ー 光明思想は感傷主義のいわゆる慈善主義ではありません。仮相(かそう)の人間の弱々しさに同情して,その弱々しさをますますのさばらせはびこらせるような救済事業ではありません。光明思想とは生命本然の力の教育であります。』

 「生命の実相第25巻 教育実践篇163頁」より抜粋 

 注:()内の「かな」はY・S 「光明思想」とは,今でいう「日時計主義」と同意

2014年9月2日火曜日

生徒の実相が現われる ― 生き生きホームルーム ―


高校教諭のK.Oです。

かつてホームルーム担任をしたときの体験を綴ります。
 

最近の生徒

漢字の校内テストが、年8回実施され、わがホームルーム(以下HR)は、学年で平均点トップを記録した。また、昨年6月の運動会では、1学年のなかで優勝を果たした。しかし成果を修めつつも、最近の生徒の変容ぶりには驚かざるをえないものがある。子供たちの変化に対応の難しさを感じている。

それは一言で言えば、指示に素直に従わない生徒の増加である。かつても1クラスに数人はいたものだが、最近ではクラスの1/4ないしは1/3がそうであるといってよい。その数がもっと増えると、学級崩壊ということである。具体的には、今のところ授業中はさほど問題はないものの、文化祭等の学校行事の準備作業や毎日の掃除、挨拶等に問題があるのである。指示しても、返事をしない。無視する。あるいは聞こえないふりをする。ひどくなると逃げるものも出てくるのだ。

これらの生徒の数がかつてより、驚くほどの勢いで増加している。そのようなグループができると、それを真似る雰囲気ができてしまう。HR担任はその一歩手前でくい止めなければならない。つい大きな声で怒鳴ったりしたこともあるが、そうすると一時はやるが、生徒はこころを閉じてしまい次の指導が困難になる。いつもいつも悪いところに目が行き、注意し、叱ることばかりで、私も生徒も暗くなってしまうようであった。
 

実相直視の祈り

そこで、徹底して祈ろうとこころに決めた。39名(入学時の在籍数)のひとり一人の生徒の実相を祈ることにした。「○○君は神の子実相円満完全ありがとうございます。○○君は○○でクラスに貢献してくれてありがとうございます。○○君は○○の良いところがあって素晴らしいです。ありがとうございます」と。毎日10~15分ぐらい、実相礼拝の祈りを続けた。自宅での早朝神想観のなかでも、生徒の実相を礼拝した。

具体的指導は、掃除、挨拶はできるまで繰り返しやらせた。一緒になってやった。あるときは褒め、またあるときは叱り、メリハリをつけた。

生徒の実相直視の祈りを始めたのが10月中旬ごろで、それから約1ヵ月経過した11月中旬ごろに変化が現われてきた。生徒が何となく素直になり、自ら動くようになったのである。HRの雰囲気が明るくなってきたようだ。掃除も自分たちからやるようになり、あまり言わない方がよいと思えるようになった。授業を担当する先生方からは、全体的によく集中し、授業がやりやすい等のお褒めの言葉をいただいた。
 

自分が変わればすべてが変わる

今思うと、一番変わったのは、この私自身であった。自分でも不思議なくらい、生徒の良いところに目が行く。そして褒め言葉として出てくるのである。いろいろな生徒が私をみがいてくれる観世音菩薩であるとわかった。また、生徒が意欲的になってきたことも大きな変化である。全く“自分が変わればすべてが変わる”とはこのことかと、喜びと感謝が湧いてくるのであった。

まだ問題はいろいろあり、生徒の現象も良くなったり逆もどりしたりすることもあるが、実相直視と適切な指導によって、問題は解決するとの自信を得た。

生長の家は素晴らしい。生長の家の教育こそは、今日の教育を正す、真理の灯だ!4月より本校を聖使命会に入れたが、神様のご加護をひしひしと感じる。

しかしながら女子生徒一人は、父母との不調和により家出をし、約2ヵ月後に消息がわかったが、12月に退学し進路変更をすることとなった。母と子に聖典『生命の教育』『人生はドラマである』や普及誌『白鳩』『理想世界』(当時)を渡し、近くの白鳩会の支部長さんを紹介して、幸多かれと祈った。

 その後、母親が生長の家の講習会に参加してくれた。
                                                                K.O

2014年8月25日月曜日

小学校低学年の「荒れ」とその対処法

小学校教諭のY・Sです。

多くの公立小・中学校では,今日から2学期,または夏休み明けの授業開始かと思います。まだまだ残暑が続くと思います。健康第一です。また,今年は豪雨災害が多い夏でした。被災された地方の方々にお見舞い申し上げますと共に,亡くなられた方々のご冥福を祈ります。
 さて,最近小学校低学年の児童の問題行動や落ち着きのなさなど,いわゆる「荒れ」が起きていると耳にします。読者の皆様の地方ではいかがでしょうか。一般的に,「少子化」や「家庭の教育力の低下」,「核家族の増加」などで子ども達の規範意識や忍耐力などが希薄になってきていることは,指摘されています。しかし,ここ2,3年に見られる低学年の問題は,どうやら特別な要因があるようです。
 その要因と思われるのが「東日本大震災」です。被害の大きかった,岩手・宮城・福島の3県では,不登校が増加しています。特に沿岸部の津波被害が多かった地域では,家族を亡くしたり,避難所生活をしたり,今なお仮設住宅での生活を余儀なくされている子ども達に不登校が多くなっています。それに対する対応策は「スクールカウンセラー」を多く派遣するなど,十分とはいえないまでも力を入れて取り組んでします。
 問題は,直接の大きな被害を受けなかった地域の,特に低学年(1,2,3年)に「荒れ」が見られることです。「東日本大震災」は,現在の学齢が調度1~3年生の子ども達が3~5才の年齢の時に発生しました。この時期の子どもは発達段階では,「愛着・信頼感・生活習慣・自己肯定感・道徳性の形成,子ども同士の体験活動の充実,等」が大変に重要です。特に,母親を中心としたスキンシップによる信頼感・愛着感・自己肯定感の基礎が形成される時期です。その大切な時期に,親(大人)や家族は被災して十分な子育てができていなかったために,学齢期になってそのマイナスの影響が現れていると考えられます。
 それとは正反対に,あの大震災の時に学齢期に入っていた子ども達で,家族や親類に大きな犠牲がなかった子ども達(現在4年生以上)は規範意識や道徳性,思いやり,大人や先生への信頼感がとても強くなっています。いかがでしょうか?
 では,どのようにこれらの問題に対処するのか。それには,「育て直し」が必要であると考えます。といっても難しいことではありません。小学生であっても親のスキンシップはまだ大切です。「大好きだよ」とか「生まれてきてくれて,ありがとう」という言葉を投げかけて抱きしめてあげる。一緒にお風呂に入って身体を洗ってあげるのもよいでしょう。それが,「信頼感・愛着感・自己肯定感」を育てることになります。
 もう一つは,「ほんとうのことを伝えてあげる」ことです。事実,「東日本大震災」時に幼稚園の年長以上の年齢だった子ども達は,私の把握してる限りとても「立派」に生長しています。それは,「あの時」何が起こり,どんな悲しみがあったのか。また,大人達が懸命にそれを乗り越えようと奮闘していたことを知っているからです。
 私は大震災があった平成22年度は2年生の担任,23年度は1年生の担任をしていました。今はそれぞれ6年生と4年生になっていますが,みな優しく,しかも思いやりと辛抱強さ,積極性に満ちた子ども達です。
 つまり,今「問題だ」と考えられている低学年の子ども達に,自分たちが物心ついたときに「何があったのか」をしっかりと教えてあげることが重要であると思います。「なんとなく不安だった」「とても悲しい雰囲気だった」「大人達がなんか落ち着いていなかった」「かまってもらえなかった」等の原因が何処にあったのかを事実として教えてあげることが大事な時期が今来ているのだと思います。これは何も大震災の被災地に限ったことではありません。
 最後に私が「東日本大震災」の発生した年度「平成23年度」に担任した1年生と毎朝「朝の会」で歌っていた歌「しあわせ運べるように」をご紹介しておきます。今でもその時の子ども達に会うと,「先生,あの歌覚えてる?」といって,手話を入れながら歌ってくれます。(赤字をクリックしてみてください。)

2014年8月12日火曜日

「環境教育」と「道徳教育」

小学校教諭のY・Sです。

 明日から「旧盆」です。私たち教職員もこの期間は「夏季休暇」を取れるのでゆっくり英気を養いたいと思います。

 さて,先日「中央教育審議会」が道徳を「特別の教科」と位置づけ,早ければ2018年度から施行されることを発表しました。道徳の教科化についてはさまざまな議論があると思います。「そこまで日本人の心が荒廃してきたのか」と憂慮される方もいるかと思いますが,私はそうではなく子ども達の「本物を求める心」に応えようというう動きであると,肯定的に捉えたいと考えています。

 教科化となると必然的に「教科書」が必要となります。また,「評価の在り方」も今後現場では研修しなければならないと思います。道徳には教科書がないということは,教職員でないとあまり知られてないことだと思います。現在道徳の授業で使用されているものは「副読本」というもので,複数の出版社や文部科学省が編纂した物語や寓話を集めた「題材集」です。子ども達には学校でも「教科書」と言っている先生も多いので,保護者の方々もそう誤解しているようです。要するに現在行われている道徳の授業は,「4つの価値項目」を育てるために,各学校が独自の計画を立て,それに適合した「副読本」または「副教材」を使って学級担任が指導しているのです。

 

 前置きが長くなりましたが,道徳が教科化され教科書が必要となると,これもまたその選定に苦慮することになるでしょう。なぜなら,教科となると「必ず履修させて評価し,記録(通信票及び指導要録)しなければならない」からです。「人としての生き方や心情」を教え,それを評価するなんて畏れ多いことかも知れません。そんな教科書などどこにもないと考える方も多いと思います。でも私は,今年度改定され文科省から出された「私たちの道徳」(心のノートの改訂版)は,その可能性を秘めていると考えています。

 例えば,その中学校版「美しいものへの感動と畏敬の念」読んでみると,「自然との調和」・「人間の力を超えるもの」・「自然の神秘」という言葉が載っています。これらの言葉は,今一番重要で喫緊の課題である「環境教育」のキーワードにあたります。中でも「慶應義塾大学准教授・大木聖子氏」の『私たちのために地球という星があるわけではありません』という言葉には私も共感します。興味のある方は,リンクを貼り付けましたので,ぜひ読んでみてください。

 「環境教育」は「道徳教育」であり,同時に「命の教育」であると思います。道徳の教科化を待つことなく,多くの教育現場や社会でこのことを真剣に実践していってほしいと考えています。

 

2014年8月2日土曜日

新しいライフスタイルへチャレンジ!


高校教諭のK.Oです。

 
ソーラー充電器の開発(携帯・スマホ・タブレット用)

CO2を出さない、原発の電気は使わない、電気の地産地消」を目標に、ソーラー充電器を開発しました。高校生はじめ若者の必需品である、携帯電話・スマートフォン・タブレット用のものです。学校の課題研究という授業で生徒と一緒に取り組みました。

ソーラー電池と蓄電池の関係、また蓄電池と携帯電話・スマートフォン・タブレットの電圧・電流の調整等、困難な課題もありました。しかし環境保全に役立つものは、神様の御心である。必ずできると信じて、試行錯誤を経ながら一つ一つ克服し、ついに試作品ができました。感無量です。生徒の喜びと成就感は大きなものがあります。

前述した環境に対する意識を、まず今回一緒に活動した5人の生徒に持ってもらいたいと、折に触れては話をしています。さらに多くの人々に、とりわけ高校生に伝えたいという夢を描いています。高校生の一般的な考え方になるように・・・。

「朝、学校に出かける前に太陽パネルを窓辺にセットし、夕方帰宅するとバッテリーにフル充電されている。それに携帯などの充電端子を差し込めば充電がはじまり、数時間後には完了――」こういうイメージで製作しました。

電気代はタダ。もっとも期待したいことは、日々の生活の中で太陽エネルギーから電気(恩恵)をいただき、感謝するこころを多くの生徒に持ってもらいたいことです。自然と人間が共生する社会建設への小さな一歩ですが、大きな希望と挑戦です。
 

今、一番必要な道徳教育、平和教育とは?―教育者として子供たちにのこすこと

自然と人間の大調和―人間と他の生物との共存共栄こそが、今、一番必要な道徳教育、平和教育であると考えます。道徳教育の徳目や平和教育の内容の中で、現代の子供たちに最も教えなければならないことであると思います。愛ある生き方の指導であり、国際平和と地球の存亡に直結するからです。

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、“森の中のオフィス”の落慶式のご挨拶で、次のように説かれています。
 

それでは世界の宗教が一致協力していくべき“共通目標”とは何でしょうか?生長の家では、それは私たち人間の生活の場、表現の場、交流と発展の場である地球とその環境を、これ以上破壊することなく、自然界の他の生物と共存共栄することを目指して、私たちの考え方、生き方を改めていくことだと考えます。(ブログ「唐松模様」2013.7.7

私達の学校や生命学園でできることを、具体的に工夫をして実践しましょう。児童・生
徒が生長し、世界に貢献する人材となり、社会を動かす声になることを信じて。

                                                      K.O

2014年8月1日金曜日

「元気な教師」でいるために

小学校教諭のY・Sです。
 夏休みも三分の一が過ぎました。そろそろ1日くらい休みをとって家族サービスや普段やりたくてもできなかったことに時間をつかおうとしている先生方もおられるかと思います。世間では,「先生方は夏休みが多くていいですね。」などと皮肉を含んで言われることがあります。確かに週休二日が完全実施されるまでは,土曜日に出勤していた分の休暇のまとめ取りがあり,夏休みはけっこうありました。しかし,今はせいぜいお盆期間中に休めるくらいです。後は「年休(年次有給休暇)」で休んだり,早めに退勤したりします。夏休みは,子ども達が登校せず,授業はないので教材の準備や提出物のチェックなどの時間がない分,定刻に退庁(退勤)できます。
 では,授業のある日の先生方は何時頃退勤しているでしょうか?
 先日受けた研修会で,あるカウンセラー(臨床心理士・精神科医)の先生は,「できる教師ほど5時代には帰る」と話されていました。「そんな時刻に帰れるはずはないでしょう!」と多くの先生方は反論されるでしょう。特に中学校は「部活」指導があり,6時半ころそれが終わってから,学年会や授業の準備だから毎日9時・10時が退勤時刻という現実があることは承知しています。私個人の意見としては,「部活廃止」なのですが,エネルギーが有り余っている思春期の生徒達にとって,部活は必要なことで,問題行動の発生を少なくする効果があることも分かっています。でも,せめて7時には退勤できるように工夫できないでしょうか?先生が毎日9時,10時に帰宅して,くたくたになって帰り,家族との会話が減ったり,ストレスを家族にぶつけたりして,果たして「よい仕事」ができるのかどうか。「元気な教師」で心に余裕をもって子ども達とかかわれば,もっとよい指導が能率的にできると思いませんか?
 「忙しい」とは「心」を「亡くす」と書きます。先生がくたびれて「忙殺」されていて,子ども達によい影響を与えられますか?ちなみに私は平均して17:30には退庁します。早いときは退庁時刻の16:45にさっさと帰ることもあります。だからといって仕事が溜まることも,手抜きをすることもありません。いや,却って「よい仕事」をしていると自負しています。
 仕事は「質と量」で測られるといいますが,教師の仕事は「質」だと思います。「質」より「量」を尊んだ思想は「唯物論」です。だからでしょうか,たいして中身の無い仕事をだらだらと遅くまで,しかも子どもや保護者,同僚の悪口を話題にしながら職員室の明かりを皓々と点けながら学校に残っている先生は周りにおりませんか?電気などのエネルギーの無駄遣いですよね。それならば早く家に帰って,家族と団欒する時間をつくれば,翌日の英気を養え,仕事もはかどると思いませんか?
 「そんなこと言ったら今の仕事量をこなせないです!」と仰るならば,それもまた古い「唯物論」の呪縛にかかっているのではないでしょうか?
 では,仕事を楽しく集中して三分の一以下でできるようになるための方法を次回はご紹介したいと思います。

2014年7月27日日曜日

発達障害も「無い!」

小学校教諭のY・Sです。
 日本中の学校は既に夏休みに入りましたね。児童・生徒は夏休みですが,私たち教員は毎日暑い中,研修会・事務処理・出張・備品整理等授業日にはできない仕事に精を出しています。
 さて,先日「発達障害」についての研修を受けてきました。その中で,主に「ADHD」(注意欠陥多動性症候群),「軽度自閉症」のチェックポイントまとめて見ました。自分が当てはまると思った項目に迷わず○をつけてみてください。


 1   時間・空間の中で作業の見通しが立てられない
 2  忘れ物が多い (物,宿題,約束等)
 3  落ち着きがない(手足をいつも動かす,机をガタガタさせる)
 4  いつも身の周りが散らかっているが,片付けることができない
 5  衝動的で,おもしろそうなものに突進する
 6 「よく考えてから動け」とよく注意される
 7  わかっていることだけど止めることができない
 8  話し出すと止まらない
 9  しゃべってはいけない場面でも,ついしゃべってしまう
10  興奮しやすい(キレやすい)
11  忠告を聞き入れない
12  人と同じ行動ができない
13  運動会や学芸会などの練習に参加できない
14  予定の変更があると混乱する                                                                      15 苦手なことがあるとフリーズ(固まって)しまう
私も自己診断をしてみましたが,結果は軽度の「ADHD」でした。といっても心配はありません。それは人間の性格として誰もがもっているもので,決して「障害」ではなく,ある面,「個性」と捉えるべきものである,と講師の先生が話しておりました。しかし,全項目が当てはまる方は,念のため医療機関に受診することをお勧めします。とも冗談混じりに話しておりました。
 今は,発達障害に対応する様々な支援方法が確立されていますので,たとえ子どもがそう診断されても安心して専門の先生や教育,医療機関」に相談されれば,適切な学習支援が受けられます。
 そして,何よりも「現象に現れた悪しき状態は無い!」と見るのが最もよい対処方法です。子どもの「悪しき状態」発達障害や学習障害は「非存在であるから必ず消える」と信じて対応すれば,適当な処置や対処方法が自然にできるのです。それには子どもの「神の子」なる完全な姿を常に祈ることが最も大切であると私たちは教えられています。
 祈りによって子どもの悪しき現象を癒やすのではなく,「子どもを観る自分の心の目を癒やす」のです。

 

2014年7月5日土曜日

愛と讃嘆のことばで万引きを乗り越える


高校教諭のK.Oです。
 かつてのホームルーム担任をしたときの体験を綴ります。

 
D君の立ち直り

  D君は1年生のときに2回の万引きを繰り返しました。1回目は1週間の停学処分となり、2回目は数箇所の店での万引きで、またグループであったことから、無期停学処分となったのです。万引きの動機(理由)はいくつかあげられますが、主にこころのさびしさからと思われます。「愛されたい、認められたい、ほめられたい」という、こころのさけびがあったのでしょう。

 その直後、あまりの精神的ストレスから急性胃潰瘍で、約1ヶ月間入院することとなりました。劣等感、自信喪失が原因としてあったのです。本人は進路変更(他の学校の定時制へ行きたい)を意識し始めました。こころを閉じてしまい、周りの指導にも耳を貸さなくなってしまったのです。

 その後、校長はじめ生徒指導部、教育相談委員会の指導がはじまりました。私はホームルーム担任として、本人が入院している病院への訪問と、母親と話すために家庭訪問を繰り返し実施しました。

 母親との数回の面談の中で、D君の小さいころの様子を話してくれました。小学生の妹がいますが、本人には「長男であるから」と必要以上に厳しく叱責して育てたというのです。ある日の家庭訪問のときに、私は「子供さんをほめたことがありますか」と質問したことがあります。母親からは「ほめると図に乗り、つけあがるから、ほめることはしたことがありません」とのそっけない答えでした。

 それから数日後の面談の中で、母親は「自分の子育ての方法は、これで良かったのだろうか」と反省を述べるようになりました。私は生長の家の月刊誌を差し上げ、人間は神の子・仏の子で皆素晴らしい存在であり、無限の能力と個性を持っていることを説明し、D君の良いところをほめてやることをお願いして帰りました。私も病院訪問のときに、D君の優れているところをみつけて、「D君は根気強く、まじめで素晴らしい」とほめたたえて励ましました。

退院も間近になったころ、D君は日記に「反省をしっかりして、またやったりしないように自分の意志を強くもち、もう一度やりなおしていこう。(中略)親に心配をかけるようなことも絶対にしないようにする」と決意を記し、立ち直ることができたのです。

その大きなキーポイントになったのは、父母の愛情と、D君がそれを理解し感謝する気持ちになったことです。母親の考え方が変わり、息子が万引きで迷惑をかけた店に謝罪して回ったとのことでした。そしてそのことを後で聞いたD君が、父母にこころから「申し訳ないことをした」という気持ちになり、父母の愛情に感謝するこころになったのです。

D君は、2,3年と進級し、無事卒業することができました。そして、関東にある電気関連の会社に就職しました。
 

K君のチャレンジ
 
 1年生のはじめにタバコで処分を受け、同じ年のおわりごろに万引きで、また処分を受けることになりました。動機はD君と同じように、こころのさびしい思いを、物で満たそうとしたのではないかと思われます。父母とも出稼ぎで、祖父母との生活でした。

 K君は部活動(バレーボール部)を自ら責任を取って辞めてしまいました。レギュラー選手になれなかった無念を残したままです。その後しばらくの間、気持ちの落ち込んだ状態の日々が続き、勉強意欲も失いかけていたようです。 

私はホームルーム担任として、数回家庭訪問を行い、母親に生長の家の月刊誌を手渡し、K君には「大調和の神示」をワープロでつくり、繰り返し読むように指示して渡しました。とくに父母にはK君を信じ、良いところを認め、ほめることの大切さを説明しました。 

そのような中、周囲の励ましや父母の意識の転換により、K君は目に輝きを取り戻し、元気に学校生活を送るようになったのです。とりわけ2年生から、別な部活動(ボクシング部)に入り、チャレンジしました。毎日生き生きとして練習に励みました。その甲斐があり、県高校総体で第1位、インターハイで全国第3位の大活躍を遂げたのです。
 

わが家の体験

 ある年の夏、私は文部省(当時)の長期研修(東京)受講のため、約2ヶ月ほど家を留守にしました。9月の初旬、研修も終わりわが家に久しぶりに戻ったところ、長女(当時、小学6年生)が、学校に行かないというのです。家内もどうしたらよいかと困り果てていました。家内から事情を聞くと、学級でいじめられていることが、不登校の原因であるとのことです。学校には1日おきぐらいに行くのですが、行っても保健室で頭痛や腹痛を訴え、教室へ入れない様子でした。 

 私は家内とともに神想観を実修し、子供の実相を祈りました。しかしなかなか好転しません。そのようなとき学校で生徒指導を担当している関係で、教育相談の研修会に参加した折りに、ふと気がついたことがあったのです。「いじめは、外にあるのではなく、内にある」と。それまでは子供の通う学校に、その責任と解決を期待し求めていたのですが、そうではなくわが家の問題であることを、妻と深く反省しました。 

 4人の子供の中で、小さい方に親の目が行き過ぎ、上の子にあまりかまっていなかったのです。愛の表現が足りませんでした。その日、長女を前にして、家内と2人で「今までさびしい思いをかけて、すまなかったね」とあやまり、『甘露の法雨』を読誦してこころから懺悔しました。 

 すると不思議なことに、次の日から何事もなかったように、学校に行くようになったのです。「子供は、私たち親を導く観世音菩薩様であった」と、こころから感謝することができました。 

 今、いじめや不登校が大きな社会問題になっています。「生長の家の教育」こそが、混迷する教育問題を解決できる真理であることを信じます。「生長の家の教育」を実践し、大きく広めていきたいと決意しています。

                                        K.O

2014年6月27日金曜日

「トップ」も認める「宗教的情操教育」の必要性

小学校教諭のY・Sです。
 先日,研修会で講話をいただいた文部科学省の先生にメールを送ったところ翌日,すぐに返信が届きました。以下は私が送ったメールの概略とその先生から届いた返信文です。


  
 本日は研修会において,親しくご指導いただきましてありがとうございました。大変勉強になり,有意義な研修ができました。また,帰りの電車内でお話をさせていただきまして嬉しく光栄に思っております。先生が講話の最後に話された,「崇高で普遍的なもの(神的なもの)がベースにないと教育は難しい」とのニュアンスから,日本の教育にも「宗教的情操教育」が必要な時代が来ていることをあらためて認識いたしました。もちろん,現憲法・教育基本法下で はその実現は難しいことですが,教師個人の教育観・人間観のベースには必要なことと私は考えております。 先生のお考えをお聞かせ願えれば幸いです。 Y・S拝
 

 
 メール拝受いたしました。人が幸福に生きるためにはどのような形であれ大いなるものとのつながりが大切であるとの研究が知られています私自身は日本人の道徳性は高い宗教性がバックボーンにあってのことであると考えております。社会全体が消費社会化し宗教的情操が弱まることに強い危機感を抱いているのですが、我が国はこれまで政治的中立性と宗教的中立性をとても大切にしてまいりました。私にとっては大きな課題です。            ー文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官 S・K拝ー       *太字強調はY・S
教育行政のトップにいる方が,宗教的情操教育について前向きな考えでおられることに安堵感と自信をもてた出会いでした。
 

2014年6月23日月曜日

ちょっと「観方,言い方」を換えてみるだけで・・・。

小学校教諭のY・Sです。
今日は子どもに対する「観方(この子はこうだという主観的捉え方),言い方(声がけ)」」について考えてみます。ちょっと換えてみるだけで,子どもも教師も気持ちが明るくなり,学校が楽しくなります。以下は私が「学級懇談会」で保護者に配布した資料をまとめたものです。保護者のみなさんには,大受けでしたが,真摯に受け止めてもらえました。



                         チクッと言葉とふわっっと言葉
・なにやってんだ!→・大丈夫だよ
・お前のせいだ!→・気にしないでね
・あ~あせっかく楽しみにしてたのに→・次があるよ
・あ,こぼした!→・一緒に片付けよう
・まぬけ!→・大失敗しないでよかったね
・うるさい!→教えてくれてありがとう
                                  観方を変える
・落ち着きが無い→・活動的・活発
・注意が映りやすい→・好奇心が旺盛
・興味の幅が狭い→・探究心がある
・物をよくなくす→・物やお金に執着しない
・しつこい→・ねばり強い
・幼稚→・子供らしい
・単純→・裏表がない


                            「気をつけたい声かけ」
!  質問風の責め
 「何回言われたら分かるの?!」「どうしてそういうことをするの?」
   子供:「こたえられんわい。」

! 漠然とした指示
 「こら,ちゃんとしろ!」
   子供:「何をどのように?」

! 過去のことを持ち出す
 「この前だって,お前・・・!」
  子供:「しつこいんだよ。」

! 脅す
 「休み時間がなくなるぞ!」
  子供:「校長先生に言うぞ!」※休み時間は子供にも保障されています。

! 禁止
 「はさみを持って走るな!」
  子供:「びっくりして転んだらどうするの?」
             
! 複数で長時間のお説教
 「~して,次は~するんだよ。それから次には~に気をつけて。最後にちゃんと~をしてから   席に着け!」
  子供:「何を第一に聞けばいいの?」
   
*これらをちょっと観方,言い方を換えた声がけに転換すると,一言で済みます。
さて,読者のみなさん,どう言いますか?模範回答はコメントにて。
                               

2014年6月9日月曜日

「鳴けぬなら 鳴けるよう祈ろう ほととぎす」

小学校教諭のY・Sです。
 先日,「人材育成のための教育」という演題のセミナーに参加してきました。講師はNHKの教育テレビの英会話番組を担当している著名な大学教授でした。その内容があまりにもよかったので,私なりに咀嚼・反芻したものを簡単にご紹介します。以下は私がまとめたレジメです。
1 東日本大震災がつきつけたこと
 ◎真のリーダーの資質は?
    ① 先頭を歩くということは…自己犠牲を伴う
    ② 行動力・チャレンジ精神・コミュニケーション能力・熱意・性格,人柄の順
    ③ 考える・かかわる人材の育成  (思考・判断・行動・反省・改善)
2 現代社会の課題
  ◎理数系,物作りに卓越した人材を
    ① 起業できる能力
    ②  けんかをしない・よけいな一言を言わない(国際紛争の種)
    ③ 真の思いやりのある人間→「どんなに努力してもできない,報われない友人をど    うしてあげられるかを考えられる人」
3 教師ができる支援
 ◎犯罪者を出さない教育を
    ① メタ認知(振り返り)ができる授業→ビデオの活用
    ② 「皿回し」的授業→トップを回転させればあとは自然に回る。回りにくい皿への      支援。トップ層が満たされる授業を。
   ③ 提出物にコメントで人間関係づくりを。
    *問題が起こる学校の先生ほど“はんこ”だけで済ます。
 
 


 講師である教授の専門は英語教育ですが,上記のことはどの教育現場でも今,喫緊の課題であると思います。私の心に特に沁みたのは,太字斜線の言葉でした。子どもの中にも大人の中にも,頑張っても,頑張ってもできるようにならない,いくら努力しても報われない人がいるものです。学校現場ではそんな子どもが“いじめ”の標的にしばしばなることがあります。大人においては,やけくそになって犯罪に走る場合もあります。私たち教育関係者は,そんな人間をつくらないことが最大の使命であるともいえます。
 ではそのためにどうしたらいいか?子どもの場合,その責任の大半は親にあります。しかし,私たちの仕事は親を変えることではありません。その子の「神の子」たる本当の姿を信じ,それを心で認める“祈り”と言葉で認め励まし寄り添うことです。そもそも,いじめという行為の根底には,「あいつの情けない姿に苛立って,何とかよくしてやりたいんだ。」という“愛の感情”があると私は経験上考えています。それなら言葉や行為でいじめるのではなく,いじめたいと思うこ子ども達に「どうしてあげたらいいのか?」を考えさせるのが教師の務めです。「あの子の努力はきっと実を結ぶ!」とみんなで信じて祈ってあげることです。実際,そうした声がけで学級からいじめを無くし,いじめられていた子どもが高学年ですばらしいリーダーになったという事例を私はもっています。
 「鳴けぬなら 鳴けるようになるまで信じて祈って 言葉で励まし 鳴けるようになることを信じてあげよう!」をスローガンに。
 そうすることで,みんなが揃って生長(無限に伸びる)するのです!
 
  
 

2014年6月3日火曜日

怒らず(叱らず)にできる「感覚優先」の指導

小学校教諭のY・Sです。
 
 


 私の同僚に若いけどとても指導力のある先生がいます。その先生は決して大きな声を出して叱ったり,怒ったりしません。例えば,子ども達が騒いで先生の話を聞かないとき,「10数えるからその間に口を閉じなさい。10,9,8,あと5人,3,2,1,そうだ。それが静かに集中するということだ。いいね。」このような声かけを根気強くしていくうちに,子どもは集中して話を聞くということを“感覚的に”身に付けていきます。読者のみなさまの中にも,先生の長々と訳の分からない「お説教」に辟易したご経験があると思います。ものの道理を理屈で理解させることも教育的には必要なことです。しかし,子どもはたいてい「感覚」でものごとをとらえています。ですから,今,体感していることを「それが○○するということだよ。それは大切なことだ。」と教えてあげる方が効果が高いのです。
 幼い(小学校低・中学年くらい)子どもが落ち着きがないのは生命が躍動しているのですから当たり前のことです。それを統御し,集団生活・社会生活に必要な節度を身に付けさせるには,理屈ではなく感覚,言い換えれば「直感」で把握させることです。私は,子ども達が騒いで話を聞かない時にはよくこんな方法で集中させます。
 先生とじゃんけんをして勝った人から座りなさい。いいですか。でも,ただのじゃんけんではありませんよ。「後出し5じゃんけん」だ。(ここで既に騒ぐ子どもは半減しています。)グーは0です。パーは5です。じゃんけんぽんで先生が1から5の数を出すから次のぽんでみんなは足して5になる数を出す。ちゃんと5になった人が勝ちだ。分かった?では,いくよ。じゃんけんぽん,ぽん!「やったー!」すばらしい!勝った人は座って審判だ。いくよ,じゃんけんぽん,ぽん。・・・。30人学級なら全員が座るのにほんの1~2分です。その時すかさず言います。「ほら,みんな真剣になって静かに先生の話を聞いている。立派だね。やればできるね。それが“集中して話を聞く”ということだ。」と。
 この他にも,「目をつむって聞こえる音を3つ見つけてごらん。」とか,急いで静かにさせたいときは,指で数字を示しながら手を左右に振って「先生は今,指を何本出しているかな?」と問いかけるなどの手法もあります。いずれの場合も静かになったときに「すばらしい!それが話を聞く姿勢だ。」と子どもが今体感していることに価値付けをして褒めてあげることです。
 著作権はありませんので,どうぞ明日からでも実践してみてください。(笑)
 かの有名なアクションスターで武道家の「ブルース・リー」も言っています。
 Don't think. Feel! 「考えるんじゃない。感じるんだ!」
 

2014年6月1日日曜日

絵手紙のこころを教育実践へ!―ハートTOハートで生命よろこぶー


高校教諭のK.Oです。

絵手紙を毎週一通送って

4月(2013年当初)より絵手紙を一週に一通描いて、送ることに決めました。身の回りのなかで、こころに感動したものを絵手紙にし、少し言葉を添えて出します。相手に神様の祝福を与え給えと祈りながら描きます。 

4月に転勤し新しい学校に赴任しました。担当する学科では生徒の実習後に、レポートを集めて確認した後に、レターケースに保管しておく習慣です。どうしたわけか、レポートにコメントを書いて返したいという想いがつのるのです。しかし、職員の中で私だけがコメントを書いて返却し、全体の中で足並みを乱してはいけない、また面倒なことはやらない方がよいという気持ちもします。躊躇しましたが神様に全托していたら、思い切ってやれという声がして実施しました。 

生徒のレポートの感想には、一所懸命やったこと、難しかったこと等が素直に書いてあり、まごころが伝わってくるのです。よいところにアンダーラインを引き、表紙に2行ほどていねいに賞める言葉、また注意等を書いて返却しました。すると、「先生は、一人一人にコメントを書いてくれるんですね」という言葉が返ってきて、こころから嬉しそうな顔でした。私も嬉しくなり、生命と生命とがカチカチと音をたてて触れ合うような感動を覚えたのです。
 

絵手紙のこころでていねいな指導、生徒の真象を見る 

レポートへのコメント書きも、絵手紙での右脳の訓練の成果であると思います。毎週一通、絵手紙を描いて送ることで、ていねいな人間関係の大切さを学びました。また生徒の現象の中の真象、すなわち良いところを見る学習になっています。 

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、ブログ「唐松模様」“手紙月”への挑戦の中で次のように説かれています。

  2月を「手紙を書く月」と決めて、毎日誰かに1通ずつ手紙を出すことを勧めるサイトをネット上に発見した。その目的は、「もっとていねいに人と付き合おう」ということらしい。(中略)
私はかつて「下手な字でいい」という一文を書いたとき、プリンターで打ち出した文字のうさん臭さを問題にし、ていねいに手書きした文章は、その文字がたとい下手であっても、書き手の誠意が表れて好感がもてると述べた。(後略)
                          (同ブログ、201321日)

 目立つことでなくても、基本的なことの中に、生長の家の教育のカギがあると思います。教育界の光明化に、今必要なことは、制度や法律の改革ではないように考えます。現下の教育は、デジタル的な効率優先に偏重しているようです。アナログ的なハートTOハートで、教員と生徒の一体の回復が必要なときです。教育に携わる方々、絵手紙を描きましょう。そのことを生徒・児童の指導に反映させましょう。絵手紙で教育が変わる!手ごたえを感じています。

 絵手紙を描いているときは実に楽しい、よろこびの一時です。

K.O

2014年5月26日月曜日

算数が楽しくなる方法 その2

小学校教諭のY・Sです。
 今日はまた,算数に興味を持たせるちょっとした「ネタ」をご紹介します。
 「素数」の定義については小学校5年生で学習します。意外と思われるかも知れません。なぜならこの「素数」は,数学上とんでもないものだからです。その詳しい解説や「RSS暗号」との関連については,ここでは省きます。
 まず,「素数」とは,『正の約数(1 と自分自身)以外に約数を持たない自然数であり,1 でない数のことである。つまり、正の約数の個数が 2 である自然数のこと』です。以下は私が実際6年生に行った授業の一部です。


 まず,次の数字から連想することを発表してください。
 「3,11,23,2011」子ども達は無反応です。が,やがて一部の子が気付き始めます。「あ!思い出したくない数字だ。」「2011年,平成23年,3月11日だ!」私:「それはたぶん偶然だね。では,つぎはどうかな。
これも同じ仲間の数字だ。」『2,3,5,7,11,13,17,19,23,29,・・・,』次の数字は何か分かるかな?」「31だ。」「そうだ。この数字を何という?」「素数です。」「すばらしい!ではこのあとの100までの素数がいえるかな?」


 ちなみに100までの素数とその覚え方は次の通りです。
2, 3, 5, 7, 11, 13, 17 ,19, 23, 29 ,31, 37, 41, 43, 47 ,53, 59, 61 ,67, 71 ,73, 79, 83, 89 ,97
兄さん 5時に セブンイレブン 父さん いいなと ついていく。 兄さん 買った肉を 裂いて みんなで食べたら 41円しか 予算がない 。しなった顔で ごみ拾い ゴクっと飲んで 六井さんが むなしく 泣いた ナミが 泣く泣く 破産した 白紙に戻した 宮内庁 。
大切なのは,語呂合わせで覚えることでなく,100までの素数を見分ける数学的感覚を磨くことにあります。これは,数学では必須の「素因数分解」の基礎力に繋がります。
 ちなみに10000までの素数を素数表で調べたものを載せておきます。素数の定義からして,それが無限にあること自体が不思議ですね。


2 3 5 7 11 13 17 19 23 29 31 37 41 43 47 53 59 61 67 71 73 79 83 89 97 101 103 107 109 113 127 131 137 139 149 151 157 163 167 173 179 181 191 193 197 199 211 223 227 229 233 239 241 251 257 263 269 271 277 281 283 293 307 311 313 317 331 337 347 349 353 359 367 373 379 383 389 397 401 409 419 421 431 433 439 443 449 457 461 463 467 479 487 491 499 503 509 521 523 541 547 557 563 569 571 577 587 593 599 601 607 613 617 619 631 641 643 647 653 659 661 673 677 683 691 701 709 719 727 733 739 743 751 757 761 769 773 787 797 809 811 821 823 827 829 839 853 857 859 863 877 881 883 887 907 911 919 929 937 941 947 953 967 971 977 983 991 997 1009 1013 1019 1021 1031 1033 1039 1049 1051 1061 1063 1069 1087 1091 1093 1097 1103 1109 1117 1123 1129 1151 1153 1163 1171 1181 1187 1193 1201 1213 1217 1223 1229 1231 1237 1249 1259 1277 1279 1283 1289 1291 1297 1301 1303 1307 1319 1321 1327 1361 1367 1373 1381 1399 1409 1423 1427 1429 1433 1439 1447 1451 1453 1459 1471 1481 1483 1487 1489 1493 1499 1511 1523 1531 1543 1549 1553 1559 1567 1571 1579 1583 1597 1601 1607 1609 1613 1619 1621 1627 1637 1657 1663 1667 1669 1693 1697 1699 1709 1721 1723 1733 1741 1747 1753 1759 1777 1783 1787 1789 1801 1811 1823 1831 1847 1861 1867 1871 1873 1877 1879 1889 1901 1907 1913 1931 1933 1949 1951 1973 1979 1987 1993 1997 1999 2003 2011 2017 2027 2029 2039 2053 2063 2069 2081 2083 2087 2089 2099 2111 2113 2129 2131 2137 2141 2143 2153 2161 2179 2203 2207 2213 2221 2237 2239 2243 2251 2267 2269 2273 2281 2287 2293 2297 2309 2311 2333 2339 2341 2347 2351 2357 2371 2377 2381 2383 2389 2393 2399 2411 2417 2423 2437 2441 2447 2459 2467 2473 2477 2503 2521 2531 2539 2543 2549 2551 2557 2579 2591 2593 2609 2617 2621 2633 2647 2657 2659 2663 2671 2677 2683 2687 2689 2693 2699 2707 2711 2713 2719 2729 2731 2741 2749 2753 2767 2777 2789 2791 2797 2801 2803 2819 2833 2837 2843 2851 2857 2861 2879 2887 2897 2903 2909 2917 2927 2939 2953 2957 2963 2969 2971 2999 3001 3011 3019 3023 3037 3041 3049 3061 3067 3079 3083 3089 3109 3119 3121 3137 3163 3167 3169 3181 3187 3191 3203 3209 3217 3221 3229 3251 3253 3257 3259 3271 3299 3301 3307 3313 3319 3323 3329 3331 3343 3347 3359 3361 3371 3373 3389 3391 3407 3413 3433 3449 3457 3461 3463 3467 3469 3491 3499 3511 3517 3527 3529 3533 3539 3541 3547 3557 3559 3571 3581 3583 3593 3607 3613 3617 3623 3631 3637 3643 3659 3671 3673 3677 3691 3697 3701 3709 3719 3727 3733 3739 3761 3767 3769 3779 3793 3797 3803 3821 3823 3833 3847 3851 3853 3863 3877 3881 3889 3907 3911 3917 3919 3923 3929 3931 3943 3947 3967 3989 4001 4003 4007 4013 4019 4021 4027 4049 4051 4057 4073 4079 4091 4093 4099 4111 4127 4129 4133 4139 4153 4157 4159 4177 4201 4211 4217 4219 4229 4231 4241 4243 4253 4259 4261 4271 4273 4283 4289 4297 4327 4337 4339 4349 4357 4363 4373 4391 4397 4409 4421 4423 4441 4447 4451 4457 4463 4481 4483 4493 4507 4513 4517 4519 4523 4547 4549 4561 4567 4583 4591 4597 4603 4621 4637 4639 4643 4649 4651 4657 4663 4673 4679 4691 4703 4721 4723 4729 4733 4751 4759 4783 4787 4789 4793 4799 4801 4813 4817 4831 4861 4871 4877 4889 4903 4909 4919 4931 4933 4937 4943 4951 4957 4967 4969 4973 4987 4993 4999 5003 5009 5011 5021 5023 5039 5051 5059 5077 5081 5087 5099 5101 5107 5113 5119 5147 5153 5167 5171 5179 5189 5197 5209 5227 5231 5233 5237 5261 5273 5279 5281 5297 5303 5309 5323 5333 5347 5351 5381 5387 5393 5399 5407 5413 5417 5419 5431 5437 5441 5443 5449 5471 5477 5479 5483 5501 5503 5507 5519 5521 5527 5531 5557 5563 5569 5573 5581 5591 5623 5639 5641 5647 5651 5653 5657 5659 5669 5683 5689 5693 5701 5711 5717 5737 5741 5743 5749 5779 5783 5791 5801 5807 5813 5821 5827 5839 5843 5849 5851 5857 5861 5867 5869 5879 5881 5897 5903 5923 5927 5939 5953 5981 5987 6007 6011 6029 6037 6043 6047 6053 6067 6073 6079 6089 6091 6101 6113 6121 6131 6133 6143 6151 6163 6173 6197 6199 6203 6211 6217 6221 6229 6247 6257 6263 6269 6271 6277 6287 6299 6301 6311 6317 6323 6329 6337 6343 6353 6359 6361 6367 6373 6379 6389 6397 6421 6427 6449 6451 6469 6473 6481 6491 6521 6529 6547 6551 6553 6563 6569 6571 6577 6581 6599 6607 6619 6637 6653 6659 6661 6673 6679 6689 6691 6701 6703 6709 6719 6733 6737 6761 6763 6779 6781 6791 6793 6803 6823 6827 6829 6833 6841 6857 6863 6869 6871 6883 6899 6907 6911 6917 6947 6949 6959 6961 6967 6971 6977 6983 6991 6997 7001 7013 7019 7027 7039 7043 7057 7069 7079 7103 7109 7121 7127 7129 7151 7159 7177 7187 7193 7207 7211 7213 7219 7229 7237 7243 7247 7253 7283 7297 7307 7309 7321 7331 7333 7349 7351 7369 7393 7411 7417 7433 7451 7457 7459 7477 7481 7487 7489 7499 7507 7517 7523 7529 7537 7541 7547 7549 7559 7561 7573 7577 7583 7589 7591 7603 7607 7621 7639 7643 7649 7669 7673 7681 7687 7691 7699 7703 7717 7723 7727 7741 7753 7757 7759 7789 7793 7817 7823 7829 7841 7853 7867 7873 7877 7879 7883 7901 7907 7919 7927 7933 7937 7949 7951 7963 7993 8009 8011 8017 8039 8053 8059 8069 8081 8087 8089 8093 8101 8111 8117 8123 8147 8161 8167 8171 8179 8191 8209 8219 8221 8231 8233 8237 8243 8263 8269 8273 8287 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2014年5月20日火曜日

「ありがとう」「ごめんなさい」が素直に言える子に

 小学校教諭のY・Sです。 
 最近は「ありがとう(ございます)」という言葉が学校現場でもよく聞かれるようになったことは好ましいことです。特にあの「東日本大震災」の後,人と人との繋がりや「絆」の大切さを実感した人々が多くなったようです。でも,無条件の「ありがとう」を言える人はまだまだ多いとは言えないかも知れません。
 それに比べて「ごめんなさい」と言える子が少なくなった気が私はします。これは親の影響もあるのでしょうが,「謝った時点で、自分は負けだ!」とか「謝ることで自分のプライドが潰れる!」とか,勝手に自分自身で決めている風潮のせいでしょか。また,日本も欧米並に「訴訟社会」になってきて,何でも「訴えてやる」というというマスコミ等の刷り込みもあるかも知れません。ミスや恥は,誰にもあります。間違いや失敗は,誰にでもあって,間違いをしても何も悪いことではないのです。そして,謝れる人は本当は偉いのです。逆に謝れない人の方が「敗者」なのです。
 私は,自分の学級の子ども達にはその範を示すことにしています。読者のみなさんも学生時代経験したことがあるでしょう。先生が板書(黒板に字を書くこと)をして間違ったとき,「先生,それ間違っています。」と同級生が言ったときの先生の反応がどうだったか・・・。いきなり怒った先生はいませんでしたか?怒らなくても黙って無視をして,授業を進めた先生は?ちゃんと間違いを認めて直した先生の方が多かったですか?「教えてくれてありがとう。」と言った先生がいたなら,すばらしいです。私も若い頃はなかなかできませんでした。もちろん,「逆ギレ」することはなかったですが,子どもからでも“本当のことで正しいこと”を指摘されると腹が立つのが人情です。そんな時は,ぐっと怺えて「そうだね。」くらいは言って授業を進めていました。
 でも,ここ十数年は,板書の間違いを指摘されると“チャンス!”とばかりに「ありがとう。よく気付いてくれたね。先生でも間違うことはあるんだ。これからも間違ったら教えてね。」と,かなり大げさに褒めます。そうしていくうちに何か間違いや失敗をしても素直に謝る子どもが増えていきます。子どもにもプライドがあり,むやみに「謝りなさい!」と叱ることは却って逆効果です。だからまず先生が率先垂範して謝ることの大切さを教えること,誰かに指摘されるというのは,人からの攻撃ではなく「思いやり」だということを伝えていきたいと思っています。

2014年5月14日水曜日

すばらしい女子高生達

小学校教諭のY・Sです。
 先日の11日,「東日本大震災の被災地」へ行き,14:46に黙祷をしてきました。この日,この時刻にこの場所で黙祷をするのは初めてでした。
下記の動画はわたしが撮ったもので,黙祷後,偶然撮影しました。美しい歌声に感動。きっと天国にまで届いたことでしょう。
 感心したのは,彼女たち歌った後,深々と頭を下げ,中には合掌して涙を流す生徒も。服装もきちんとしていて立派な態度でした。きっと,必ず彼女たちは,将来の日本を背負って立つ大人へと成長することでしょう!引率してくださった先生もすばらしい!「ありがとうございました。」と言いたいです。ー合掌ー
https://www.youtube.com/watch?v=jxtOTWpwzXQ&feature=youtu.be

2014年5月9日金曜日

子どもは神が育てる

小学校教諭のY・Sです。
 先日私の勤務校で子どもが大事故を起こしました。職員が会議でちょっと目を離した隙の事故でした。現場を見て職員一同,みな青ざめました。ところが当人の子どもはかすり傷程度。安堵とともに「これは奇跡だ!」と口々に驚嘆した出来事でした。
そこで思い出した言葉があります。


『 ー前略ー 神の子は神が育て,人間の子は人間が育てる。人間の子だと思う者は終生取り越し苦労をして育てねばならぬ。子どもを神の子だと思う者は,子どもを尊敬して,できるだけその世話をさせていただくが,神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労の必要はないのである。人間力で子どもを生かしうると思うなら終日終夜起きて子どもの番をしておれ。それはできなかろう。できない間に子どもを生かしているのは神の力である』                                        ー谷口雅春 著 「生命の実相第14巻 児童教育篇」・「生命の教育」の巻頭言より
もちろん私たちの目の届く範囲では,できるだけの支援は怠りません。しかし,子どもは時として予想外の行動をします。その時,守ってくださるのは神様の力です。
 ちなみに我が校の向かいには私たちの市の「お伊勢様」と呼ばれる神社があります。私は毎月1日と15日,また遠足や連休など,ことある毎に子ども達の安全を祈っています。きっと先の事故の時もその「我が校の産土様」が守ってくださったと確信しております。
 どうかみなさん,学校のすく近くにある神社に参拝しましょう!

2014年5月3日土曜日

指導要領を読んでみましょう

小学校教諭のY・Sです。
 文科省から出ている「学習指導要領」を熟読された方はおりますか?教師は「赤刷り」といういわゆるあんちょこを持っていて,普段の授業ではこれを使っている先生が多いようです。子どもの教科書と一見同じですが,少し厚くて答えが赤で書いてあります。これを持って授業をするのは,いわば「反則」です。あくまでも教材研究用に私は使用しています。授業をしっかりやりたければ文科省の指導要領と解説を熟読することをお勧めします。
 「指導要領」準法規的なものですので,そこに書かれていることはすべて教える義務が教師にはあります。例えば小学校の解説算数編,3年生A(4)除法の内容には,こう書かれています。
 『・・・除法が用いられる具体的な場合として,大別すると次の2つがある。1つはある数量がもう一方の数量の幾つ分であるかを求める場合で,包含除よと呼ばれるものである。包含除は累減の考えに基づく除法ということもできる。他の1つは,ある数量を等分したときにできる一つ分の大きさを求める場合で,等分除と呼ばれるものである。例えば,12このあめを3個ずつに分けるのが包含除の場合であり,12個のあめを3人に等しく分けるのが等分除の場合である。 ー中略ー 等分除は,□×3=12の□を求める場合であり,包含除は,3×□=12の□を求める場合である。』
 
 


 つまり除法の演算は乗法の基礎が基になっていて,等分除は1当たりの数を求める除法で,包含除は,幾つ分を求める除法です。だから,答えは同じだが,場面はまったく違うということを3年生の割り算の指導では,しっかり押さえて指導しなければならないことになっています。これが高学年での「単位量当たりの計算」や「分数のかけ算・割り算」の理解に欠かせない基礎力となります。教師がその単元の授業で,何を教えるべきかを正しく把握するためには指導書の理解が不可欠だと思います。
 


 ちなみに,「指導要領」には,『「日の丸」「君が代」の意味を正しく教え,自国の文化を尊重する心情を育てる』ことも明記されています。もしそれを疎かにしていたなら,その教師は法律を破ったことになります。国旗・国歌のすばらしさもしっかり子ども達に伝えなければなりません。特に公立学校の教師は「公務員」ですから,「公=(おおやけ)」=「大親家」,つまり天皇家に仕える身分であることを自覚することが何よりも重要であることを改めて認識しなければなりません。

2014年4月26日土曜日

算数が楽しくなる方法

小学校教諭のY・Sです。


 今日は学習指導のコツを1つご紹介します。算数というと,苦手意識をもつ人が多いとよく聞きますが,本当はとてもおもしろい教科です。そこで,子ども達を算数好きにさせる「魔法の数字」を次に挙げます。


 25100,4・125,8・1000


 これらの数字並びをを見てピンときた人は「数学者」です。小学校3年生になると2桁同士のかけ算,割り算,4年生になると割り算の筆算を学習します。そこで役に立つのが上記の数字です。
 25は100の約数で,100の中に4つ含まれます。数直線でイメージしてみてください。これに気付けば,25×4=100,100÷25=4とすぐに暗算ができます。これをもっと応用すると,
125×8は分配法則を使って,(100×8)+(25×8)=800+(100×2)=1000という暗算が可能です。子ども達には,「先生と計算の競争をしよう。」といって,125×8,1000÷125,などを即答すると,「え,何で?!」という驚きからすぐに食らいついてきます。そこで上記のような数の関係を説明すると「なるほど!」と感心してくれます。そして最後に私はこうまとめます。
 「算数というのは,別に難しい勉強ではないんだ。数という無限にあるものをどうやって楽に,分かりやすく使うかというゲームみたいなものだ。」と。数学が専門の方には異論があるかも知れませんが,子どもを算数好きにさせる1つの技術としてご参考にしてください。

2014年4月19日土曜日

春爛漫!野の花を愛でましょう!

小学校教諭のY・Sです。


 新年度がスタートして20日,1学期が始まって2週間ほどが経ちました。学校現場は相変わらず忙しいですね。「忙」という漢字は「心」が「亡くなる」と書きます。しかし,どんなに忙しくても「心」を亡くしてはいけないのが教育現場です。
 私は業間時間(2時間目と3時間目の間の休み時間)には,どんなに忙しくても子ども達と一緒に校庭に出ることにしています。今は春爛漫で草木も生き生きしています。「ほら,オオイヌノフグリ,ヒメオドリコソウ,向こうの木に咲いているゲンコツくらいの白い花はコブシだよ。」など,草木の名前を教えてあげると子ども達は喜びます。何より,私自身が気分転換になります。
 業間に校庭に出ることのメリットはまだまだあります。子ども達から授業では得られない情報を得ることができること。授業中には観られない子どものよさを発見できること。安全指導(特に低学年の)ができること。(万一,子どもがけがをしたとき,近くに教員がいたかいなかったかで,学校の責任の重さが全く違います)そして,一番は,他の学級担任の先生方がその時間に安心して丸付けなどの仕事ができることです。私はもう20年以上も学担をしているので,そうした「学級事務」をする時間を創り出すコツを知っています。
 先生方,忙しいとは思いますが,時には子ども達と外に出て,野の花を愛でたり,太陽の暖かさや,風のやさしさにふれてみませんか。きっと「ゆとり」が出てくると思います。

2014年4月13日日曜日

自己肯定感から大自然への感謝へと導く指導

小学校教諭のY・Sです。
今日はより具体的な指導法を書きたいと思います。
道徳や学級活動の時間に実践してみてください。Tは教師,Sは児童・生徒です。


T 「自分は大切にされていると思う人は?」
S 数人しか手を挙げません。
T 「では,今着ている服は自分で作りましたか?」
S 「いいえ。」手を挙げる人数が少し増える。
T 「今使っているノートや鉛筆,文房具類は誰に買ってもらったの。」
S 「そうだ。そういえば自分で揃えたものはひとつもない。」
T 「そう。みんなは大切にされているんだ。」


T 「では,みんなは目に見えない世界,つまり神様や大自然から大切にされているか?」
S 「・・・。」
T 「みんなはどうして生きていられる?」
S 「・・・。」
T 「難しいかな。では,何がなければ生きていられないと思う。」
S 「水。空気。太陽。食べ物・・・。」
T 「そうだね。普段は当たり前で気付かない多くのものにみんなは生かされているんだね。みんなが起きている間も,眠っている間も,一時も休まず心臓は動き,肺は呼吸してくれている。太陽はお礼を言わなくても,いつも暖かな光と熱を降り注いでくれている。みんなは,そのような大自然の一部なんだ。」


 子ども達の目は次第に輝き出し,中には合掌して空を拝み始める子どももいます。要は,如何に感謝すべきことに満ちあふれているかに気付かせる発問を吟味するかです。そのためには,教師自身が常に感動をもって日々の生活を送ることが大切です。それが日々の修養になると考えます。

2014年4月7日月曜日

教師は人を観るプロである

小学校教諭のY・Sです。


 最近,教職員の中に児童生徒・保護者・同僚との人間関係がうまくいかずに悩んでいる方が多いと聞きます。中でも,同僚との人間関係は子ども達にも影響します。
 そこで今日は同僚の先生方とうまくやっていく方法を私の拙い経験から書いてみたいと思います。 私たち教師は,「子どもの心に寄り添う」ことは当たり前のように口にしますが,案外同僚の先生方の心を慮るということを疎かにしがちではではないでしょうか。自分の仕事で精一杯で,周囲の先生が助けを求めていることに気付かないっことはありませんか?日本の「先生」は先進国の中でも雑務が多く,最も忙しい環境にあるのは事実です。だからこそ,職場では互いに思いやり「協働」することが必要です。例えば,PCが苦手な年配の先生が一人や二人いると思います。その様子を見たら,ちょっと自分の仕事の手を休めて,「どうかしましたか?」と声をかけてみてください。PCをうまく手名付けたらきっと「ありがとうございます。」と感謝されます。また,周囲の先生が行事などの準備に動き出したら,何を置いてもすぐに腰を上げて手伝うことは言うまでもありません。
 教師は「人を観るプロ」です。それは子どもだけが対象ではなく,教師同士においても言えることです。「困ったな。誰か手を貸してくれないかな。」というサインを出している先生がいたら,すぐに声をかけてみる。そういう姿勢を一番よく見ているのは周囲の先生であり,管理職の校長・教頭です。

2014年4月5日土曜日

「生命を尊重する」教育をー“天使の声”から学ぶことー

小学校教諭のY・Sです。


 平成26年度がスタートしました。新年度の立ち上げは大変ですが、新しい出会いがある4月です。今年度もよろしくお願いします。
 新年度最初の記事はかなり重い内容です。学校は、子ども達にとって「安全・安心」な場所でなければならないことをあらためて振り返り、「生命を尊重する」教育を強く推進してほしいと願う気持ちから・・・。
 以下は「埼玉県教育委員会」が2012年に作成した道徳副読本からの抜粋です。


 誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「Mさん」と慕われていた。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。Mさんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。(2011年)9月には結婚式を挙げる予定であった。突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。「地震だ!」誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。Mさんは、「すぐ放送を」と思った。はやる気持ちを抑え、Mさんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。Mさんは、同僚のEさんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然かん高い声がした。「潮が引き始めたぞぉー」午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。Mさんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。  津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。Mさんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかしそこにMさんの姿は消えていた。
  それを伝え知った母親のE子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにとMさんの部屋を片づけ、待ち続けていた。Mさんの遺体が見つかったのは、それから43日目の4月23日のことであった。町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。
  変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。Mさんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。
読者のみなさんが授業をするとしたら、どの内容項目でこの教材文を扱うでしょうか?私は4つの主な内容項目すべてで扱えると思いますが、中心価値は「生命尊重」であると考えます。読者のみなさんのご意見を聞かせてください。
 もう一度記します。「学校は安全・安心で生命を尊重するところである」と。Mさんのご冥福を祈ります。


 
 
 


 付記:埼玉県道徳副読本へのリンクはこちらです。
http://www.pref.saitama.lg.jp/uploaded/attachment/534944.pdf

2014年3月30日日曜日

「神なき知育は智慧ある悪魔をつくることなり」

小学校教諭のY・Sです。
 


 表題の言葉は、私の母校である大学の工学部玄関に掲げられています。ガリレオ・ガリレイの言葉とか、聖書の一節という説がありますが、詳しい出典は不明です。
 その意味を学生時代は理解できなかったのですが、教職の現場を20年以上経験した今、少し実感できるようになってきました。その大意は次の通りです。


「人間至上主義的・科学万能主義的な考え方や教育が、人の姿をした悪魔をつくっているのではないか。科学技術を学ぶ者も、人間を超越した存在を知り、神を畏怖する心を持った人でなくてはいけない」


 
 実はこの言葉私たちの世代が心を躍らせて毎回見ていた「ウルトラシリーズ」(円谷プロ制作)の第3弾、「ウルトラセブン」第18話の中にも出てきます。以下、引用です。




キリヤマ隊長:
「疑似空間を作り出すなんて恐るべき宇宙人だ。こんな言葉を知っているか。神なき知恵は、知恵ある悪魔をつくることなりどんな優れた科学力を持っていても、奴は悪魔でしかないんだ」


ダン隊員:
「隊長、知恵ある悪魔から地球を守る我々の任務は、非常に重大という訳ですね」
                                  ※下線はY・S


 
 私はこの「智慧ある悪魔」を侵略宇宙人ではなく人間に擬えているように思えてならないのです。私たち教師は決して「智慧ある悪魔」をつくってはなりません。そのためにはどんな教育理念が必要なのか。模索していきたいものです。

2014年3月22日土曜日

教育の一切の問題は必ず解決する!

高校教諭のK.Oです。

 春4月、学校は新学期がはじまります。吾々教師は新たな気持ちで、生き生きと喜びと感謝のこころで生徒を迎えましょう。
 

志を高く!強く!
 
 私は高校時代に大きな悩みを持っていましたが、生長の家によって救われました。青年会(生学連)運動に参加して、愛を実践したからです。多くの人に真理を伝える伝道の愛行です。悩みが消え、人生に光が与えられました。 

今も「生長の家を多くの人に伝えよう。学校を光明化しよう」との決意が私の志です。年度始めにあたり、教師としての志(理想・目標)を高く掲げ、力強く実践しましょう。正しい志が教員生活の大きな原動力になります。
 
   

善一元の神への信仰を深めよう

 学校現場にいて、生徒のことや授業のこと、また同僚のこと等、様々な課題や問題に出遭いました。中には大変困難なこともありました。何とか乗り越えることができたのは、「人間は神の子である。問題は必ず解決できる。出来る問題だけ与えられる」という、み教えがあったからです。

その自覚を深めるために神想観・聖典拝読(聖経読誦)・愛行の三正行を徹底して実践しました。さらに「生徒や同僚が、また分掌の仕事が自分を生長させ鍛えてくれる」と、光明面を見て感謝をしたのです。“日時計主義(*)”の生き方です。恐怖心を捨て、積極的に取り組むことが出来ました。

生徒の実相を祈りましょう。「生徒は神の子である。必ずよくなる。すでに素晴らしいのである」との信念が肝要です。

生長の家創始者・谷口雅春先生は、『生命の教育』の中で次のようにお説きくださっています。

子供を礼拝せよ。子供のうちに埋蔵された才能の宝を拝み出せ。信じよ。なんじ癒えたりと信ぜば病も癒えるのである。いわんや、あなたの子を信じて、あなたの子が善くならないということはないのだ。子を信ずるものは人の父を信ずるものである、神を信ずるものである。この信念が何より根本となるのであって、その信念から、いろいろの方法が、生まれてくるのだ。(同書、103ページ)

                                   K.O
* 輝く喜びの時刻のみを記憶し、語り、思い出す生き方

2014年3月15日土曜日

涙の卒業式

小学校教諭のY・Sです。


 昨日は勤務校の卒業式でした。卒業生はみな立派でした。式の最後に校歌を歌い出すと、卒業生も保護者も職員もみな涙が出てきました。でも、本当の涙はその後でした。
 式が終わると保護者代表(主に学年委員長さん)が必ず「謝辞」を述べます。その中の一言で会場が「感謝の涙」に包まれました。

 『・・・特に、3年前、あの激震の中で、一人も怪我なく全員無事に家へ帰していただいた先生方のご恩は感謝してもしきれません!・・・』

 子ども達の命を守ること、それは教師の最大の責務だとしても、それが果たされなかったかも知れなかった。それほど恐ろしいものだった。でも、幸い私たちはそれを果たすことができました。命懸けでやり遂げました!いろいろな想いが交錯して、みな涙を流しました。
 すばらしい卒業式でした。

2014年3月12日水曜日

私の「東日本大震災」記録

小学校教諭のY・Sです。


 あの「東日本大震災」から昨日で3年の月日が流れました。東北地方の太平洋側に住む私も被災した一人です。今日はその体験を記録した一部を載せたいと思います。


 
 『その日,2年生を担任してしていた私は「帰りの会」を終え,「来週はお楽しみ会だからね。」といって子供たちを下校させました。その約5分後,1人だけ5年生のお兄ちゃんを待って教室に残っていた女の子がトイレに行った時,小さな揺れを感じました。すぐにその子を教室に連れ戻し,机の下に避難させた直後,大きな揺れが襲ってきました。30秒くらい経った時,いきなりゴーッというもの凄い地鳴りとともに教室が東西南北に揺さぶられ,「これはただ事では無い!」と感じました。「大丈夫!先生が一緒だから大丈夫!落ち着いて!」と机の脚にしがみつきながら必死で恐怖に耐えている女の子を励まし続けました。その間,約3分はあったでしょうか。地震が少しおさまったのを確認し,すぐに女の子の手をとって校庭に避難すると,既に全校児童が地面にへたり込んで,泣き叫んでいる子もいました。学校に残っている児童の全員無事を確認後,下校した児童の安否確認に私は走りました。ブロックが崩れ,道路は至る所で割れ,倒壊している家屋もある中,全員の無事を確認して学校に戻ったのは3時半頃でした。その後の様子は報道等でご覧になった通りです。』


 
 今でもあの日のことは忘れません。私の町は津波が来ない内陸部ですが、3分以上も続いた「烈震」と「激震」にもかかわらず、子どもたちに怪我一つなかったのは、保護者・地域、そして何より「職員の和」があったからだと今でも信じています。
 「東日本大震災」亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ。 合掌

2014年3月5日水曜日

K君の自己讃嘆ノートより

学習塾講師のA.Mです。
 
久しぶりの投稿です!
 
もちろん続いています、塾の生徒たちの自己讃嘆ノート 
 
『私は素晴らしい存在だから 自己讃嘆で未来を拓く
    希望実現のためのノート』

に 今日、K君が書いていた言葉をいくつか紹介します。

〇心肺蘇生の授業をしっかり受けた。
〇人を助けようと思う気持ちができた。
〇自分のいいところをさがせる。
〇家族のいいところをさがせる。
〇家ではみんな笑顔が絶えない。
〇お母さんの身長をこえた。

K君のノートを見て、私は幸せな気持ちになりました。
明るい家庭に恵まれ、心身ともに健やかに育っているK君の素晴らしさがあふれています!

私は、生徒のノートを読みながら、
全ての讃嘆に丸や花丸を書き、いくつか選んで、スタンプを押します。
「ありがとう」「おめでとう」「OK!」のスタンプです。
そして、最後の目標のところに、超ショートコメントを3つ書きます。
その3つのうちのひとつはいつも決まっています。

        叶う!

次回は、私がどんなコメントを書いているか、ご紹介いたします。
    (本当に超ショートですが(笑))