2013年8月1日木曜日

8月は「鎮魂の月」

 今年も早いものでもう8月。8月という月は日本人にとっては特別な月だ。故郷へ帰る人,夏休みをとって心身共にリフレッシュする人,普段はできないことを休みの間にとことんやる人・・・。でも,忘れてはならないことは私たちが今生きている「根っこ」の部分について心を向けることだと思う。私たちがとにかく“今”ここに生きてあるということは,ほとんど奇蹟に近い。それはさまざまな“縁”が調和的に結び合ってはじめて“私”という個人が今ここに存在しているのであるから。
 

 両親はもちろん,祖父母・曾祖父母・・・先祖,そのうち誰か一人がいなくても“私”は今ここにいないのである。いや,親族だけでなく,これまでに出会った多くの人々のお陰で私は今生きているといっても過言ではない。命を助けてくれたお医者さん,生きる知恵と技術を授けてくれた恩師,心を受け止めてくれた友,みな「恩人」なのである。
 8月は月遅れのお盆の行事を全国的に行い,亡き人々へ想いを寄せる月でもある。戦陣に散った人々への哀悼の念を送り,再び惨禍をくり返さないことを誓う。そして今ある平和が永続することを祈る。考えてみれば,こんな国が世界のどこにあるだろうか?まさにこの世でもあの世でも平安を祈る月が日本の8月なのである。それを次代を担う子供たちにしっかりと教え伝えたい。
 
 どうか,平安な8月でありますように!日本にも世界にも,大きな災害や悲しい事件がないことを心から祈りつつ,「鎮魂の月」を心静かに過ごしたいと願う。

 ところで,私がどうしても“耳障りだ”と思う「名言(迷言?)」がある。
一人はみんなのために,みんなは一人のために』=『One for all. All for one.』
がそれである。ちょっと聞こえのよい言葉のように錯覚して安易につかう人が多いので,読者のみなさんもどこかで聞いたことがあるかも知れない。この言葉にメロディーをつけた愛唱歌を小中学校時代に“歌わされた”人もあるだろう。だが,この言葉には大きな“落とし穴”があることにお気づきにならないだろうか?それは,『自由,平等』という言葉に大きな矛盾が含まれていることと酷似している。そう,つまり「決して両立できない2つの相反する価値観を同時に押しつけている」のである。そして大抵の場合,人はそのどちらか自分に都合のよい方を取り上げて,自分の行為を正当化しようとするものだ。ある人は危険な全体主義に利用しようとするし,ある人は「勝手気儘の言い訳」として持ち出すこともあるだろう。
 このように,2つの相反する言葉を並べた“名言”には,そのどちらかに人を偏向させるという落とし穴があることを肝に銘じておかなければならないと私は考えているが,いかがなものだろうか?
 もしこの「一人はみんなの・・・」という“迷言”を修正するとしたら,私は,
『We are all one.』『すべての命は,みな一体
と言った方が適切であると思うのだが・・・。

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