2013年7月30日火曜日

自分をほめるノートへの取り組み方


学習塾教師の A.Mです。

前回の投稿で触れました、
 
『私は素晴らしい存在だから、自己讃嘆で未来を拓く
      希望実現のためのノート』

の書き方について、ご紹介します。

わたしの塾では、週に2回、学習前にこのノートを書きます。
1回に、大学ノート1ページを使います。


● 基本の決まり ●

① 毎回10個自分のいいところを書く

② 毎回新しいことを書く (同じことはノート1冊の中には書きません)

    「3回だけでも30個になるのか、そんなにあるはずがない!」
    と生徒はすぐに言います。
    いいえ、ほめるところはたくさんあるんです。
    普段は気付かない、意識しないだけなんです。
    そこで、探しやすくするために、内容についての決まりです。


● 自己讃嘆の内容について ●

③ 性格や習慣だけでなく、その日に実際に行った善いこと等も書いてよい

    学校や家庭でやった、小さないいことにも気付くようになります。
    塾の日は、学校でいいことをしてくる、という生徒も出てきます。 

④ 家族はあなたの一部だから家族の善いところを書いてよい

    この決まりは、とても大切だと思っています。
    自分が生まれて生きている、その基礎の家族、特に両親の善いところに気付き、
    言葉で表すことは、自己肯定のために、不可欠です。

 
● 希望実現のために ●

⑤ ページの下半分に自分の希望や目標を書く 
 
    これは、ある程度の期間、目標として続けて書いた方がいいですね。
『期末テストで〇点とる』 
『〇〇高校合格』 
『数学の弱点問題をなくす』 
『中総体までは部活に集中する』 など、いろいろです。


● ちょっとプラスで ●

⑥ 今はまだ苦手と感じる教科を一つだけ選んで、「私は〇〇が大好き」と書いてよい
 
    毎回10個書くのは大変なので、ほとんど全員がこれを書きます。
    何度も書くうちに、苦手意識も薄らぎます。
    また、次に書きますが、潜在意識について説明するための
    話の流れを作るのにも、とてもよいようです。


※書き始める前に、このノートを書く意味をしっかり説明すること

何のためにやっているのかが分からなければ、勉強時間が減ってしまう、などと思って、否定的な気持ちで取り組む生徒も出てきてしまうはずです。
ですから、現在意識と潜在意識について、しっかり説明することが大切です。
学年や理解力によって説明は変わるでしょうが、私は少なくともこのような説明をします。

  泳ぎたいな、と思っても、絶対顔を水につけられない人や、
  高いところや狭いところに、どうしてもいられない人がおられるでしょう。
  今の心が、「泳ぎたい」とか「ここにいるぞ」と思っても、
  潜在意識という心の深い部分が、昔の怖かった体験などを覚えていて、
  「無理だ、これは絶対無理だ」と思って邪魔をしてしまうんですね。

  勉強でも部活でも同じで、自分ではやろうと思っていても、
  心の深い深いところで、
  「どうせやれない」「よく失敗する」「お母さんに叱られてばかりで自分はダメ」
  などのマイナスの言葉が渦巻いていたら、なかなか成功しないんですよ。

  奥底の心が
  「やれる、絶対うまくいく、頑張れる!」
  「いろんなことに恵まれてる自分なんだから、絶対大丈夫!」
  と自分を認め、励ますようになりましょう!
  そのために、自分をほめる言葉を、自分の中にどんどん入れていきましょう!

 
ここまでで、随分長くなりました!
生徒の書いたものの紹介は次回に。
それから、生徒はたいてい「もう書くことがない!」と言いますので、
そんな時にどう言うか、なども書けるといいですね。

2013年7月22日月曜日

花の咲かない寒い日は,下へ下へと根を伸ばせ!

小学校教諭のY・Sです。
みなさんは,お米すなわち稲の花を見たことがありますか?
稲にも花が咲くんですね。って当たり前のことですが,稲作農家の子どもでも,稲には花が咲かないと思っている子がときどきいます。
高学年の理科の時間にこんな質問をしてみました。
次の中で花が咲く植物はどれでしょう?
・さくら
・杉
・稲
始めはほとんどさくらとだけ答えます。少し考えて,あぁ,杉花粉症という言葉があるから杉も・・・。でも稲の花は・・・・?
植物はどれも花が咲くのです。子孫を次の世代に残すために。それくらい理科でしっかり教えないといけませんね。
これを書いていたら思いだした言葉があります。
 

「花の咲かない寒い日は,下へ下へと根を伸ばせ。やがて花咲く春がくる」
 確かこのような言葉だったと思いますが,誰の言葉かは忘れました。勇気をもらえる言葉ですね。一粒の種が地に落ちて,大きな木になり花を咲かせるためには,冬枯れの寂しい季節を何度も越さなければなりません。冬の次期にやがて来る春を心に描ける者だけが自分らしい花を満開に咲かせることができると思うのです。
 多くの植物は,冬の一番寒い時期に花の蕾を出します。何故?それは冬の寒さに凍らないためには,糖分をつくらなければならない。その糖分が蕾の凍結を防ぎ,かつ花を咲かせるための養分にもなるからです。植物よりも何万倍,何億倍高等な人間が,厳しい人生の冬の次期に萎れてしまうのは,誠に情けないではありませんか。沈滞期には屈することなく,「いまこそ力を蓄える良い機会だ。」と自分に言い聞かせて,根をしっかりと伸ばしたいものですね。
耐性の欠如は教育界でも問題になっていますが,子どもだけでなく,親も大人もチョットした苦難や面倒なことからすぐ逃げようとする傾向があることは否めませんね。豊かで便利な時代の欠点というにはあまりにも・・・・という事件や事故が最近多いからです。殊に子どもへの虐待は許せません。また,自殺者が交通事故死者の3倍もいるという現実も無視できません。
 今,日本の社会が大きな転換期にさしかかっていると感じます。口先だけの正義論や体制批判,精神論などではもうダメです。やはり根本的な「治療」が必要ですね。では,それはどんな治療か?答えはもう多くの人々の心の中で出ているように思うのです。が,人間というものは,「変わること」に拒絶反応を示す傾向があります。いつまでも古いものの見方やや考えを握っていて,それが不幸や失敗の元だと分かっていても,面子や体裁の方を気にして放さないのですね。困ったものです。禅の言葉に「放てば手に満てり」というのがあります。我の計らいで掴んでいたものを一端パッと放してしまえば,新しい価値観や見方が開けて,人生の扉が開くものを・・・。

2013年7月21日日曜日

「単位を下さい」と言われたら?


大学教授のM.Y.です。いま多くの大学では半期ごとのセメスター制がとられていますので、この学期末の7月下旬は、試験の時期ですね。この時期になると、学生から言われることがありませんか?「先生、単位を下さい」と…。

出来が良くないのに、大目に見て単位を「あげる」わけにもいかないし、かといって、頭ごなしに叱りつけてしまったら、反感を買うだけかもしれません。こんなとき、どうすればよいのでしょう?

私の場合は、いつもこう言っています。「単位は“もらう”ものではありません、自分の実力で勝ち取るものです。単位を取るために必要な条件については、ちゃんとした客観的な基準を設けています。皆さんは、その基準を満たせばよいのです。こちらはその基準に沿って、公正に評価します。自分の実力を十分に発揮して、正々堂々と単位を勝ち取って下さい」。

生長の家創始者・谷口雅春著『あなたは無限能力者』(楠本加美野編、日本教文社)14頁には、次のように書かれています。

ひとたび吾等が地球に生えた黴(かび)ではなく、太陽を造り、星をつくり、地球をつくり、それを秩序整然と運行せしめているところの宇宙的な力が自分自身だと云う自覚を得るときには、人間の弱小感は去り、劣等感は消え、勇気凛々乎(りんりんこ)として、活力は増大し、機略縦横どんな素晴らしい働きでも出来るようになるのです。

このように、生長の家では「人間は神の子で素晴らしい」と説きます。本当は素晴らしい実力の持ち主だと学生を信じていると、「その実力を発揮しなさい!」と遠慮なく激励できるのです。

そうすると、仮にその実力を発揮する努力が足りずに「不可」の評価を受けた学生がいたとしても、その評価には素直に従ってくれます。大目に見るのではなく、ただ頭ごなしに叱るのでもなく、温かい目で見守りながら毅然として学生を激励できる道がここにあるのです。

大学教授 M. Y.

成績が伸び悩む生徒達に ----- 自分をほめよう!


学習塾教師のA.Mです。 初めての投稿です!

努力して頑張っているようなのに、成績が伸びない子。
最近、増えているように思います。

一昨年、中学2年生の多くがそうだったので、もしやと思うことがあり、尋ねてみました。
「もしかして、自分のこと、好きじゃない人?」
すると、ずらっと手を挙げたのです。

自分のことを好きじゃない、自信がない、価値がないと思っている。
その状態では、成績は伸びないことが多いものです。

そこで、学習前に、自分をほめるノートを書くようにしました。
題して
『私は素晴らしい存在だから、自己讃嘆で未来を拓く
      希望実現のためのノート』
 
この学年だけでなく、中学生全員で取り組みました。
コツコツ書き続けました。
すると、昨年の夏過ぎから、中3になったその子達はみな成績がぐんぐん伸び始め、
この前の3月、全員が希望高校に合格しました!
合格判定テストなどで、その高校にはC判定がついていた生徒達でしたが、
秋ごろにはA判定になり、気持ちよく、入試に向けての学習ができました!

自分の善さを自分で認め、ほめること。
子供も大人も、何かを頑張る時には(というより、生きていく間ずっと!)
大切なことですよね!

次回は、このノートの書き方を紹介したいと思います。
そして、生徒たちの素晴らしい言葉の数々も、ぜひ読んでいただきたいと思います!

 
                            A.M    

2013年7月14日日曜日

いじめなんかしてる場合ではない・・・。

この動画は「東日本大震災」の10日後,避難所となっている体育館で行われた宮城県気仙沼市の中学校の卒業式の答辞の場面です。避難生活をしている人たちが卒業生のために式ができるよう,スペースを空けてくれています。この中学生(当時)の言葉は多くの人に感動と勇気を与えました。この学校の卒業生はいじめとは永遠に無縁でしょう。今,彼は専門学校で防災技術開発の勉強をしているとのことです。
http://www.youtube.com/watch?v=l19NX4jTyV8
 
ちなみにこの動画は,TV画面をデジカメで撮ったものです。

いじめ問題は解決する― 日時計主義の教育を ―


 高校教諭のK.Oです。                                
 かつて、いじめの問題を指導しました。1人の女子生徒がターゲットにされ、3~4人の男子生徒からいじめられた事件でした。携帯電話に悪口のメールが送られる。それも複数から集中的に繰り返して。教科書等も隠されたり、いたずらされることが頻繁に起こったのです。それが発覚し、加害者の男子生徒は無期停学処分となりました。

  私は指導担当として、長期間彼らを指導することになったのです。授業には出席できないので、主に清掃等の奉仕作業・読書・反省文・面談を行いました。面談では生徒の話を聞きながら、人間は神の子でみんな素晴らしい生命であること、また愛と感謝についてや思いやりのある生き方等を話しました。とくにノートを1冊用意させ、自分と周囲の人達の良いところをさがして、書くことを指導したのです。自分の良いところを5つ、友達の良いところを5つ毎日毎日書かせました。

  はじめはなかなか書けませんでしたが、だんだん書けるようになっていきました。つまり光明面を見て、日記を毎日書いたわけです。今思えば、この日時計主義の日記を中心とした、日時計主義の教育が彼らが立ち直る一番の力になったと思います。その後、彼らは処分解除となり、教室に戻ることができました。女子生徒も男子生徒たちも無事卒業していきました。

生長の家総裁、谷口雅宣先生は次のようにご教示くださっています。

  この日時計主義の生き方をしていれば、「物がほしい」とか「遠くへ行きたい」とか「まだ足りない」とか「不安である」などという一種の精神的飢餓感から解放されます。今の日本には物があふれているのに、そういう“心の貧困”があります。物が多いことで、かえって精神が飢えている――そういう物質主義的な生き方から抜け出す道が生まれてくるのです。価値観の転換が行われて、外から何かを付け加えることで幸福を感じるのではなく、内部の神性を開発することに喜びを見出す。他から奪うことではなく、他に与えることで充足する――そういう新しい人間の生き方が広がっていく。
        『次世代への決断―宗教者が“脱原発”を決めた理由』178179

 生徒たちは物をあふれほど与えられているが、心が貧困で満たされていなかったのでしょう。いじめ問題は必ず解決します。本来、実在世界にはないからです。生徒の欠点、悪いところを指摘しても解決しません。いじめをさがしだすだけでは、なくならないのです。すべての生命、植物も動物も鉱物もその生命を愛し大切にするこころは、自分や友達の良いところを見て思いやる生き方に生長します。

 良いところ、明るい面を見る日時計主義の教育を実践しましょう。
 自然界に、教え子に、先生方に神の愛を与えましょう。          
                                                                K.O
輝く喜びの時刻のみを記憶し、語り、思い出す生き方

2013年7月5日金曜日

やる気を起こさせるとっておきの質問

 
 
 最近の子供(特に中高生)の中に「無気力」「やる気がない」子が目立つと時々耳にします。そうでなくても「覇気が無い」子供が多くなったとベテランの教職員も嘆いていることがあります。それは大人の社会に原因があるのではないでしょうか。大人たちの将来への不安感,「どうせ世の中よくならない」「誰が政治をやっても同じさ」等々のあきらめ感が蔓延し,目先の欲や快楽に走る雰囲気に社会が向かっては子供たちに夢や希望,やる気を起こさせることなど到底できません。ましてや,指導者たる教職員がやる気無しでは話になりません。「とはいっても,理想と現実はかけ離れているし,毎日仕事に追われて,おまけに給料はカットされ,ときたら無気力になるのも無理はないでしょう。」と反問されますか?「じゃあ辞めたら?」「でも,他に仕事がないし生活もかかっているし・・・。」私に言わせれば,生活のために嫌々教員をしているならすぐに辞めるべきですが。
前置きが長くなりました。私はもちろん毎日が楽しく,やる気満々です。では,どうしたら子供たちにやる気を起こさせることができるのか?それは私の若い頃の失敗から生まれた質問法です。
 あるとき,宿題もやってこない,授業中も手を全く挙げない,質問にもいい加減な反応をする男児に対して,私は「お前,何しにここ(学校)にきてるんだ!」と一喝しました。今時こんな檄を飛ばしたら即「教育委員会に通報」ものです。でも,その子は何故か次の日から生まれ変わったようにやる気を出したのです。不思議に思って私は昨日の言葉は言い過ぎたことを謝りながら訳を聞いてみました。そしたら,「先生,昨日の先生の質問よく考えてみたんだ。」「え?」「僕何のために生まれてきたのかって。」「おいおい,先生は何のために学校に来てるんだと言ったんだが?」「僕は何しに生まれてきたのかって聞こえたから考えた。」「そうか。それで?」「僕は,・・・お母さんを喜ばせたい。」「偉い!君はすばらしい!」
 もし,やる気のないことが子供がいたら,やさしい語調で「あなたは何のために生まれてきたのか考えてみよう。」と問いかけてみてください。必ずやる気を徐々にまたはいきなり出すこと請け合いです。
 それよりも「あなたは何のために先生になったのですか!?」と聞く方が先でしょうか?