2013年12月29日日曜日

学問とは“道”を求めること

 
 平成25年(2013年)がもうすぐ終わろうとしています。今年も次世代を担う子供たちの育成,教育に尽力された方々本当にお疲れ様でした。今年の締め括りとして学問(学ぶ)ということについて雑感を綴ってみたいと思います。
 

 本来学問とは“道を求める心”で昔は命懸けのことであったようです。禅宗第二祖の恵可禅師(達磨大師の弟子)は,入門を断られ雪の中で何日も待った挙げ句,臂を切断して達磨大師に差し出し,ようやく入門を認められたといいます。有名な「恵可断臂(えかだんぴ)」の逸話です。
 そこまでする人は現代にはいないし,同じようなことを師(先生)が求めたら今ならいじめどころではなく裁判沙汰になるでしょう。しかし,本当のことを知りたければ,自分の体ははどうなってもいいという古人の姿勢には頭が下がります。精神力は肉体を超えるのかも知れません。
 

 また,お正月には初詣をしますが,今年は御利益を求める前に,本当のことを追求する心,他人の幸福,社会の安定,人類の未来について真剣に祈り,考えてみてはどうでしょうか。そういう生活をしていると喫緊の些末な悩みなどは知らぬうちに消えてしまうものだと思います。まさに聖書の「先ず,神の国と神の義とを求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」という聖句は真理であると思います。
 
 

 とはいえ,人はどんなに頑張っていても,スランプみたいなものがやって来る時があります。誰もがその時に気落ちしたり,自暴自棄になったり,病気にもなったりします。そんな時はどうしたらいいか・・・。無茶をしないで,普段出来ない事や普段出来ない書物を読んだりして,それこそ“道”を求めてみたらどうでしょうか。
 もっともっと深い勉強,真理の探究,自分を見つめ直す静かな時間。年末年始はそんなよい機会ではないでしょうか。
 最後に私の好きな句をご紹介して今年を締め括らせていただきます。
 読者のみなさんどうぞよいお年をお迎えください。
   「徒に 過ごす月日は多けれど 道を求むる 時ぞ少なき」 ー道元禅師ー

2013年12月16日月曜日

表現力を磨くコツ

小学校教諭のY・Sです。
 今年も12月の中旬に入りました。まさに「師走」で忙しい時期ですが,あと一息,乗り切りましょう。
 

 さて,この時期はよく子供たちに「今年の思い出」や「来年の目標」を作文に書いてもらったり,短い標語にして教室に掲示したりします。でも,ただ書かせると「○○したことが楽しかったです。」「○○さんが○○をがんばってすごかったです。」「来年は○○をがんばりたいです。」といったありきたりな表現が多くなります。そこで私は一つ提案をします。「“がんばる”とか“すごい”とかいう言葉以外に気持ちを伝える言葉をさがそう。」と。
 「頑張る」「凄い」は「努力した」とか「飛びぬけて優れている」という意味が確かにありますが,どちらかというと「我を張る」「甚だしい・気味が悪い」という意味合いの方が強いことを具体例を揚げて説明します。高学年でこの話をしたとき,ある児童が,「なるほど。凄いという漢字はにすいに妻と書きますね。つまり,“氷のように冷たい奥さん”という意味ですね。」と発言し,「それは確かによくない言葉だ。」笑い声とともに友達から賛同を得ていました。
 こうした説明と提案をしてから文章を書かせると,子供たちは真剣に具体的な表現を考えるものです。例えば,「運動会では100m競争でもう少しで抜かれそうになったけど,がんばって最後まで全力で走りました。そしたら1位になったのですごかったです自分に自信がつきました。」など。
 

 最近はあまり細かいことを言うとそれこそ「うざい!」などと拒否反応を示す子供や親御さんが多くなったようですが,しっかりと教師側の意図を説明してあげると納得してそれに応えてくれるものです。

 
 

2013年11月18日月曜日

子どもはみな「観音様」

小学校教諭のY・Sです。
私が教員採用試験を受けたときの小論文の課題は「音」でした。その時私は,「ロジャース」のカウンセリング理論について記述し,最後に「観世音菩薩」について書いた覚えがあります。『すべての人々の心の声を聞いて救いをさしのべる観世音菩薩のように,私は子どもたちの心の声を受け止められるようになりたい。』そのような内容の文で締め括りました。結果はみごと合格。今の私がいます。
最近,その観世音菩薩(=宇宙に満ちる観自在の原理)について分かりやすく説かれた長編詩が世に出ました。私の一番好きな一節を抜粋させていただきます。

『天の童子答えて曰くー 「されど吾に完全は見えず,不備や欠陥不足・不如意の多き世界のみ見ゆるなり」。
天使い説き給うー それは汝が“神の子”たる証なり。汝の内に“完全”の宿る証拠なり。“完全”の尺度もちて自己を測り他人を測り社会を測るが故に,足らざることのみ見ゆるなり。“完全”の世界を今見んと焦燥すれば,不足を想い不如意を感じ苛立つ心起こるなり。現象の中に完全を求むることなかれ。現象は時間と空間の制約を通し実相が展開する過程なり。過程は常に中途にして完璧ならざること,楽曲が中途で完結すること能わざるが如し。汝,人生の楽曲を正しく味わうべし。曲の最中に完結を急ぎて声上ぐるは愚かなり。曲は必ず完結するが故に,心静かに曲の進行と転調を楽しむべし。世界の実相,必ず完全なるが故に,創造神を信じ人生の変化と多様な進展を味わうべし。』

              谷口 雅宣 著 「観世音菩薩讃歌」ー生長の家 発行ーより

子どもに限らず,人に対して不完全と見て苛立ったり,争ったりするのは,実はその奥にある「完全なるもの」を表現させたいという「愛」から発するのだとわかりました。その愛の表現を上手にすることで人間関係も,子どもとの関係もよくなるのだと思います。

2013年10月12日土曜日

たった1時間で学級が変わった道徳の授業

小学校教諭のY・Sです。
 今日はたった1時間の道徳の授業で,荒れた学級の雰囲気が変わってしまった体験をご紹介します。

 10年ほど前,私はその学級を受け持ちました。1人の“問題児”の対応に追われて学級が崩壊寸前の状態でした。新学年が始まって2ヶ月ほどでその“問題児”は“優良児”になりましたが,その経緯はまたいつかの機会にご紹介します。学級の雰囲気はまだ少し荒れていたころ実践したのが「いのちのまつり」という題材の道徳の授業でした。主題は3-(1)「生命の尊さを感じ取り,生命あるものを大切にする」で,沖縄の「ヌチヌグスージ」という言い伝えを教材にしたものです。


 主人公のコウちゃんはおばあちゃんからご先祖様についてお話を聞きます。

・自分にいのちをくれたのがお父さん,お母さんだから,1×2=2
・お父さん,お母さんにもお父さんお母さんがいるので,2×2=4
           (おじいちゃん,おばあちゃん)
・おじいちゃんとおばばちゃんにもいのちをくれた,ひいおじいちゃん,ひいおばあちゃんの人数は,
                                            4×2=8
・そのまた上に2人ずついるので,8×2=16 そのまた上に2人ずついるので,16×2=32
 32×2=64,64×2=  ・・・・・・,
コウちゃんの頭の中には何百,何千というご先祖様が浮かびます。その内の1人でもいなかったら,自分はこの世に存在していないのです。なんという奇跡でしょう。
そこで私は子供たちに次のような問題を出して見ました。

◎ いのちを木にたとえると,葉や花や実は(みんな)
    えだは(        ,        )
    みきは(        ,        )
    根 は (         )
    土(大地)は(      )
さて読者の皆様は括弧にどんな言葉を入れますか?子供たちは見事に“正解”しました。
その翌日から,「先生,ご先祖様にありがとうと言ってチィ~ン(仏壇のお鈴の音)したよ。」「お父さんとお母さんにありがとうと言えたよ。」といった感想が続々と聞かれるようになり,学級の雰囲気が次第に温かくなってきました。そうです,子供たちは命の尊さを本当は魂で知っているのです。それを引き出すのも教師の役目。道徳の時間はそのための貴重な時間です。最後に問題の答えを記しておきます。


 ◎ いのちを木にたとえると,葉や花や実は(みんな)
    えだは(お父さん,お母さん)
    みきは(おじいちゃん,おばあちゃん)
    根 は (ご先祖様)
    土(大地)は(神様)

 

2013年10月6日日曜日

脱いじめ問題 - こうすれば指導できる -


高校教諭のK.Oです。 

いじめも自然破壊も根は同じ
しずかに「大自然讃歌」を拝読しているときに、ふと思いついたことがありました。いじめも自然破壊もその原因、根は同じではないか。いじめは自分や自分たちのグループさえよければよいと、弱いものを虐げる、エゴ。自然破壊は人間さえよければ、他の動植物・鉱物はどうなってもよいという、また次の世代に核の廃棄物を残しても平気でいる、エゴ。そう感じたのです。子供たちは大人の自然破壊をしてきた後ろ姿を、また自己本位の部分を見ているのでしょう。すべては私たち大人の責任です。 

「大自然讃歌」(谷口雅宣先生著)3334ページには、 

されば仏道にて
「四無量心()これ菩薩の浄土なり」と説くに非ずや。
イエス・キリストも
「いと小さき者の一人に為したるは、
即ち我に為したるなり」と教え給う。
この自他一体の想いこそ
人の人たる所以なり。
四無量心は神の愛にして、
“人間・神の子”の証なり。 

 四無量心を自然界や教育(教え子や先生方)へ実践し、神の愛を与えることが私達の使命です。このとき生かし合いの美しい自然にもどり、教育では仲の良いクラスに、生き生きと明るい学校に生まれ変わります。 

生徒の実相を祈りましょう
かつて新1年生のホームルーム担任をしたときのことです。入学式の日に、担任するホームルームの生徒35人、一人一人全員と握手をして言葉を交わしました。強く握りかえしてくる子供、遠慮深く軽く握る生徒等々さまざまでしたが、私自身は子供たちと、こころが一つにつながったような気がしました。生徒も同じような気持ちを持ってくれたものと思います。最近、“つながり”、“絆”という言葉が大切にされていますが、自らの愛情の表現から生まれものと考えます。 

 生徒の指導にあたり、まず一人一人の良いところを認めて、引き出すことを実践していきましょう。そのためには、生徒の実相を祈ることが最も肝要なことです。 

 生長の家総裁・谷口雅宣先生は、『生長の家ってどんな教え?――問答有用、生長の家講習会』の中で次のように説かれています。 

  本当にあるものは実相世界で、それはすでに完全円満なんだから、「偽象」に注目するのではなくて「真象」に注目していけば、それが徐々に表現されていく――そう考えます。人々の良い点や社会の良い方面に心を向けるのです。失敗しているところではなく、成功している点を認める。(同書、111ページ) 

いじめ問題は必ず解決します。本来、子供たちは仲良しなのです。みんな仲の良い、明るいクラスを望んでいるのです。あなたのクラスもきっと、明るく元気な調和した学級になります。 
                                        K.O

四無量心とは、慈・悲・喜・捨の仏様の4つの無量の心のこと。

 

2013年9月10日火曜日

外見が変な学生にどう接するか?

大学教授のM. Y. です。

最近は、大学生でも髪の毛をいろんな色に染めたり、おかしなところにピアスをしたり、ズボンの位置が下がりすぎていてパンツが見えてしまっていたり(いわゆる見せパン!?)など、外見がチョット変な学生が増えてきましたよね…。

そんな学生には、一体どんな気持ちで接したら良いのでしょうか?

ここに参考になるエピソードがありますので、ご紹介します。生長の家の前総裁・谷口清超著『無駄なものは一つもないーー人生問答集』(日本教文社)の154頁以降に書かれている実話です。

愛知県に迫千代子さんという足の不自由な人がいました。生長の家の信徒の方で、杖で歩いている人です。

この人がある時電車に乗って、空いている席を見つけて腰を下ろしたら、そこに親分みたいな少年と子分みたいな少年がやってきて、「そこは俺の席だから、立て」と言って、そこへ腰掛けたのだそうです。

随分ひどい話に思えますが、この千代子さんは足が不自由であるにもかかわらず、少しも怒ることなく立ち上がって、彼らの頭を見た時、その15〜16歳くらいの少年の頭の毛が、鶏冠(とさか)みたいにカチカチに固めてあって、おまけに根っこの所から緑色と黄色できれいに染めてあって、それはそれは、すごかったのだそうです。

それを見た時にびっくりして、思わず「まあ!あなた達、自分で髪をセットなさったの? おばさんは、とてもこんなに立派にセット出来ないわ。あなた達は、とても手が器用なんだわ」と言って、それを賛嘆したというのです。

そうすると、最初はうるせえオバサンだなあというような顔をしていたらしいのですが、それからも親しく話しかけてあげていると、そのトサカ少年が「オバサン、座れよ」と言ってくれて、手提げを持ってくれて、横に座っていた子分が千代子さんの背中に手を廻して、彼女が腰掛けやすいように手伝ってくれたのだそうです。

そして、いよいよ千代子さんが降りる駅に着くと、千代子さんの手提げを持った親分が先頭に立って、次を千代子さんが行き、後ろに子分が付いて異様な光景で歩いて行くのを、たくさんの乗客が不思議そうに眺めていたというのです(笑)。

このように、たとえ見せかけはヘンチクリンな恰好をしていても、みな神性・仏性それ自体ですから、どこかにいい所が必ずあります。それを認めて褒めてあげると、心を開いてくれるのです。

ところで、その後、この親分・子分の少年二人は、この迫千代子さんの導きですばらしく更生していくことになるのですが、詳しくは『無駄なものは一つもない』をどうぞお読み下さい。

また、一見悪く見えることでも、観方を変えれば、その奥にある善性を認めることができることについては、生長の家創始者・谷口雅春著『生命の教育』(日本教文社)の「第三章 無軌道の教育法」に詳しく書かれていますので、ご一読をお勧めいたします。


大学教授 M. Y.

2013年9月8日日曜日

「聖職者」を実感させられた“あの日”

小学校教諭のY・Sです。
教師は「聖職者」だと自覚しながら教壇に立たれている先生方がどれだけいらっしゃるか分かりませんが,私は少なくとも「聖職者たれ!」と自分に言い聞かせながら教師を続けてきたつもりでした。もちろん私自身,聖人・君子でもありませんし,周りの誰もそう思っていませんが。でも,それをめざしたいとは常に思っていました。しかし,“あの日”…。

平成23年3月11日
 私の居住地・勤務地とも東北地方の太平洋側内陸部にあります。あの日の午後2時46分。低学年を担任していた私はほんの5分前に子供たちを下校させ,まだ教室に残っていた子供たちといました。トイレに行った児童を教室の机の下にもぐらせたと同時に激しい揺れと校舎の軋む嫌な音が聞こえ,立っていることはできなくなりました。私は必死に子供たちに「大丈夫だから落ち着け!」と自分に言い聞かせるように繰り返していました。とても長く感じる1分ほどが過ぎて揺れがやや弱まり,校庭に避難しようとしたその時,大きな地鳴りとともに猛烈な揺れがきて,最後まで落ちずに踏んばっていた底の広い花瓶が落ちて割れる音がしました。「なんだこれは!校舎が倒壊する!」そう思った時私はおもわず子供の机を揺れないようにしっかり押さえていました。「この子たちは俺が命をかけても守る!」頭に浮かんだのはその言葉でした。“殉職”という文字も脳裏をよぎった後,家族の顔が浮かんできて,ようやく冷静に周囲の状況を把握できるようになったとき揺れも収まってきて校庭に避難することができました。校庭にはすでに多くの子供たちが避難し,女児の中には大声で泣いている子もいましたが,それをなだめる気持ちにはなれませんでした。校庭もまだ立っているのがやっとなほど揺れていて,一部地割れがしているのを目の当たりにしてしまったからです。
 

 あのとき,思わず「命をかけても子供たちを守る!」という気持ちが起こり,体中にビリビリと電気が走った瞬間を今でも鮮明に覚えています。そしてわたしは初めて「教師という仕事はやはり“聖職”なんだ。」との実感をさせられた思いがしました。同時に「自分にもそれをめざす資格はあるようだ。」との自覚と自信をを得ることができました。
幸い私の勤務校の子供たちと職員,家族はみな無事でした。

 『東日本大震災』からもうすぐ2年半が過ぎます。亡くなられた方々のご冥福と被災地の1日も早い復興を祈りつつ。

2013年8月21日水曜日

自己讃嘆ノートで生徒に自信を!


学習塾講師のA.Mです。
 
前回書き方を説明しました、塾の生徒たちの自己讃嘆ノート 
『私は素晴らしい存在だから 自己讃嘆で未来を拓く
    希望実現のためのノート』
に 実際に書かれた言葉を紹介します。(原文のままです)

<自分のいいところ>
  〇バスをおりる時、運転手さんにお礼を言う。
  〇みんながどんよりなっている時、もり上げれる。
  〇ケンカをしても、すぐにあやまって仲直りができる。
  〇ラインズマンができる。
  〇物を最後まで使う。
  〇出欠黒板をかかさずかきにいっている。
  〇動物に優しい。
  〇自分の気持ちをコントロールできる。
  〇本をよく読む。

<家族のいいところ>
  〇家族みんな、友達が多い。
   〇母さんの免きょは「ゴールドメンキョ」だ。
   〇妹は練習を休まない。
   〇母さんは、学校の行事によくきてくれる。
   〇父さんは、だめなことは「だめ」としっかりしかれる。
 
毎回十個書いていると、う~ん、他には…と、一生懸命探すようになります。
どんどん、いいところが見つかってくるのです。
そして、「自分も家族もいいところがいっぱいあるなぁ」と思うようになります。
自分を肯定的に認めることができるようになると、
努力した分、どんどん花開ようになりますね。

もちろん、途中には、こんな会話もあります。

生徒 「もうこれ以上いいところはない!」
      「もう書けない」
私  「自分は健康だ、って書いたことある?
      自分は毎朝 歯を磨く、って書いた?」
生徒 「それは 当たり前のことで、いいことじゃないです。」
私  「当たり前って 世の中にない
    あなた、生まれた時から歯磨きしてた?
    お母さんとあなたと、毎日毎日努力してつけてきた素晴らしい習慣よ。
    お母さんと自分の努力の結晶よ。
    今健康なのだって、有り難い、すごくいいことよ。」

すると、当たり前と思っていた、小さなことだと思っていた、いろいろなことにも
スポットライトが当たり始めるのです。

  〇視力がいい。
  〇朝は自分で起きる。
   〇遅刻したことがない。
   〇自由に走れる。
   〇むだなしぼうがない。
   〇にこにこと笑える。
   〇くつのかかとをつぶさない。
   〇自由に息ができる。

こうなると、
「自分で気付いていないだけで、いいところはもっともっとたくさんあるんだ! 
 自分は恵まれているんだ!」
と思えるようになり、しっかりした自信がついてくるようになるのです。

素晴らしい生徒の素晴らしい自己讃嘆のことばをいつも読める、私も幸せです!
 

2013年8月13日火曜日

いじめ問題は解決する ― 日時計主義の教育を ― (訂正版)


 高校教諭のK.Oです。                                

  かつて、いじめの問題を指導しました。1人の女子生徒がターゲットにされ、3~4人の男子生徒からいじめられた事件でした。携帯電話に悪口のメールが送られる。それも複数から集中的に繰り返して。教科書等も隠されたり、いたずらされることが頻繁に起こったのです。それが発覚し、加害者の男子生徒は無期停学処分となりました。

  私は指導担当として、長期間彼らを指導することになったのです。授業には出席できないので、主に清掃等の奉仕作業・読書・反省文・面談を行いました。面談では生徒の話を聞きながら、人間は神の子でみんな素晴らしい生命であること、また愛と感謝についてや思いやりのある生き方等を話しました。とくにノートを1冊用意させ、自分と周囲の人達の良いところをさがして、書くことを指導したのです。自分の良いところを5つ、友達の良いところを5つ毎日毎日書かせました。

  はじめはなかなか書けませんでしたが、だんだん書けるようになっていきました。つまり光明面を見て、日記を毎日書いたわけです。今思えば、この日時計主義(*)の日記を中心とした、日時計主義の教育が彼らが立ち直る一番の力になったと思います。その後、彼らは処分解除となり、教室に戻ることができました。女子生徒も男子生徒たちも無事卒業していきました。

生長の家総裁、谷口雅宣先生は次のようにご教示くださっています。

   この日時計主義の生き方をしていれば、「物がほしい」とか「遠くへ行きたい」とか「まだ足りな い」とか「不安である」などという一種の精神的飢餓感から解放されます。今の日本には物があふれているのに、そういう“心の貧困”があります。物が多いことで、かえって精神が飢えている――そういう物質主義的な生き方から抜け出す道が生まれてくるのです。価値観の転換が行われて、外から何かを付け加えることで幸福を感じるのではなく、内部の神性を開発することに喜びを見出す。他から奪うことではなく、他に与えることで充足する――そういう新しい人間の生き方が広がっていく。
           『次世代への決断―宗教者が“脱原発”を決めた理由』178179

  生徒たちは物をあふれるほど与えられているが、心が貧困で満たされていなかったのでしょう。いじめ問題は必ず解決します。本来、実在世界にはないからです。生徒の欠点、悪いところを指摘しても解決しません。いじめをさがしだすだけでは、なくならないのです。すべての生命、植物も動物も鉱物もその生命を愛し大切にするこころは、自分や友達の良いところを見て思いやる生き方に生長します。

  良いところ、明るい面を見る日時計主義の教育を実践しましょう。
  自然界に、教え子に、先生方に神の愛を与えましょう。
                                                                                                                               K.O
        
    * 輝く喜びの時刻のみを記憶し、語り、思い出す生き方

       (投稿者K.Oに訂正しました)



(

2013年8月12日月曜日

解放と引き出しの教育


高校教諭のK.Oです。 

「O君、よく髪を切って直してきたね!合格!」と私は褒めて握手をしました。かつて、O君は入学してから約7ヵ月間、ずっと茶色に染めた長い髪をしていました。月1回の指導で毎回のように注意され、それでも彼の髪の毛に全く変化はありません。ついにO君の母親に来校願って、指導をしてもらうようお願いしました。しかし余計に反抗的な態度にエスカレートしていったのです。私は困ってしまい、『生命の教育』(谷口雅春先生著)に救いを求めました。すると本書には、次のように書いてありました。 

子供を善に導くにはなるべく叱らない方がよいのだ。叱るということは子供の心に悪しき行為を二重に印象することになるのであって、今度またその悪しき行為を自然的に繰り返そうとする傾向を助長するものである。(141頁) 

私はハッとし、生徒の欠点を見て良くしようと、力が入っている自分を反省しました。私はO君の「完全円満な“神の子”」のすがたを祈り、明日の指導はさらりと流そうと考えていたのです。すると翌日O君は髪の毛を切っており、他の先生方も皆、驚いた様子でした。 

児童・生徒の指導には、解放と引き出しの二方面が整うとき、効を奏します。 

                                   K.O

2013年8月11日日曜日

道徳の授業で子供は変わる

 
 小学校教諭のY・Sです。今日は8月11日。東日本大震災から2年5ヶ月が経ちました。なので今日は三陸の沿岸部へ足を運んできました。
 

 実は,あの大震災の津波で犠牲になられた方のエピソードが,ある県の道徳の副読本に採用されています。巨大津波から防災無線で多くの町民を避難させ,自らは犠牲になられた女性職員の話です。確かに彼女の行為は自らの責任を全うした尊いものですが,安易に美化するのはご遺族のお気持ちを察すると疑問に思えます。私は話を聞かせるよりも,中学生以上の生徒なら現地へ連れて行き,手を合わせたあとでそれぞれの思いを伝え合う方がいいと思います。その悲劇の場となった庁舎跡はまだそのままであり,今でも多くの人が県外からも花やお線香を手向けに来てくださっています。(私も本日立ち寄って手を合わせてきました。)
 関連の動画を参考のためにリンクしておきますので,ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=M-neskB4FOc&feature=related
 
 

 さて,小・中学校で道徳の授業の大切さを叫んでいますが,実は昭和33年に教育課程の中に位置づけられていながら,つい最近まではあまり熱心に研究されていなかったのが,道徳の授業です。その背景には戦前の「修身」が価値観の押しつけや軍国教育に利用されていたからという理由もありますが,「自分にはそんな徳性はないから教えられない」という教師の自信のなさが大きかったのではないでしょうか。現在の道徳は,児童・生徒に道徳的価値について考えされるものが主流となっていて,決して徳目を押しつけるものではありません。指導する教師自身も一緒に学べる,楽しい授業が道徳です。子供たちも必ず変わります。

 今後は,私の拙いけれども精一杯実践した道徳の授業実践もご紹介していこうと思います。

 

2013年8月7日水曜日

先ず認めてあげると,問題児はない。

小学校教諭のY・Sです。

 今日は10年以上前の教え子との思い出を書きます。その子は今年もインターハイに出場しました。地元の新聞に写真付きで載っていたので,懐かしく,嬉しくその子のことを思い出しました。
 その子はいわゆる「問題児」で「LD」と「ADHD」の疑いがありましたが,私とのかかわりがきっかけでやる気を出した・・・ようであります。その子は,困ったことや嫌なことがあると,何かお経のようなものをぶつぶつと言って気味が悪いと前担任から申し送りがありました。ある日,放課後2人きりになったときにこんな会話がありました。

 

T:「さっきの授業中,何をぶつぶつ言っていたの?」
C:「観自在菩薩行深般若・・・。」
T:「それは般若心経だね。先生も言えるぞ。」
T:「色不異空 空不異色, 色即是  空 空即是色・・・
C:「え?何?何で知ってんの?」
T:「・・・掲諦掲諦波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶 般若心経   ~。」
C:「先生,僕先生に着いていきます。弟子にしてください!」
T:「真面目にやるか?」
C:「はい,やります!」

 それ以来,その子とは仲良くなりました。彼は本来の力を徐々に出し,その後得意な運動を中心に大活躍していきます。彼が「般若心経」を唱える理由は,おばあちゃんが「孫が勉強できるように」と毎日仏壇で唱えていたのを聞いていて覚えたからのようです。
 その子は元々記憶力もよく,その後学習面でもぐんぐん伸びていきました。一見マイナスや変わった言動と見えることも頭から否定せず,それを先ず認め理解してあげることで,子供は心を開いてくれるものだとその時実感しました。
 
 

2013年8月1日木曜日

8月は「鎮魂の月」

 今年も早いものでもう8月。8月という月は日本人にとっては特別な月だ。故郷へ帰る人,夏休みをとって心身共にリフレッシュする人,普段はできないことを休みの間にとことんやる人・・・。でも,忘れてはならないことは私たちが今生きている「根っこ」の部分について心を向けることだと思う。私たちがとにかく“今”ここに生きてあるということは,ほとんど奇蹟に近い。それはさまざまな“縁”が調和的に結び合ってはじめて“私”という個人が今ここに存在しているのであるから。
 

 両親はもちろん,祖父母・曾祖父母・・・先祖,そのうち誰か一人がいなくても“私”は今ここにいないのである。いや,親族だけでなく,これまでに出会った多くの人々のお陰で私は今生きているといっても過言ではない。命を助けてくれたお医者さん,生きる知恵と技術を授けてくれた恩師,心を受け止めてくれた友,みな「恩人」なのである。
 8月は月遅れのお盆の行事を全国的に行い,亡き人々へ想いを寄せる月でもある。戦陣に散った人々への哀悼の念を送り,再び惨禍をくり返さないことを誓う。そして今ある平和が永続することを祈る。考えてみれば,こんな国が世界のどこにあるだろうか?まさにこの世でもあの世でも平安を祈る月が日本の8月なのである。それを次代を担う子供たちにしっかりと教え伝えたい。
 
 どうか,平安な8月でありますように!日本にも世界にも,大きな災害や悲しい事件がないことを心から祈りつつ,「鎮魂の月」を心静かに過ごしたいと願う。

 ところで,私がどうしても“耳障りだ”と思う「名言(迷言?)」がある。
一人はみんなのために,みんなは一人のために』=『One for all. All for one.』
がそれである。ちょっと聞こえのよい言葉のように錯覚して安易につかう人が多いので,読者のみなさんもどこかで聞いたことがあるかも知れない。この言葉にメロディーをつけた愛唱歌を小中学校時代に“歌わされた”人もあるだろう。だが,この言葉には大きな“落とし穴”があることにお気づきにならないだろうか?それは,『自由,平等』という言葉に大きな矛盾が含まれていることと酷似している。そう,つまり「決して両立できない2つの相反する価値観を同時に押しつけている」のである。そして大抵の場合,人はそのどちらか自分に都合のよい方を取り上げて,自分の行為を正当化しようとするものだ。ある人は危険な全体主義に利用しようとするし,ある人は「勝手気儘の言い訳」として持ち出すこともあるだろう。
 このように,2つの相反する言葉を並べた“名言”には,そのどちらかに人を偏向させるという落とし穴があることを肝に銘じておかなければならないと私は考えているが,いかがなものだろうか?
 もしこの「一人はみんなの・・・」という“迷言”を修正するとしたら,私は,
『We are all one.』『すべての命は,みな一体
と言った方が適切であると思うのだが・・・。

2013年7月30日火曜日

自分をほめるノートへの取り組み方


学習塾教師の A.Mです。

前回の投稿で触れました、
 
『私は素晴らしい存在だから、自己讃嘆で未来を拓く
      希望実現のためのノート』

の書き方について、ご紹介します。

わたしの塾では、週に2回、学習前にこのノートを書きます。
1回に、大学ノート1ページを使います。


● 基本の決まり ●

① 毎回10個自分のいいところを書く

② 毎回新しいことを書く (同じことはノート1冊の中には書きません)

    「3回だけでも30個になるのか、そんなにあるはずがない!」
    と生徒はすぐに言います。
    いいえ、ほめるところはたくさんあるんです。
    普段は気付かない、意識しないだけなんです。
    そこで、探しやすくするために、内容についての決まりです。


● 自己讃嘆の内容について ●

③ 性格や習慣だけでなく、その日に実際に行った善いこと等も書いてよい

    学校や家庭でやった、小さないいことにも気付くようになります。
    塾の日は、学校でいいことをしてくる、という生徒も出てきます。 

④ 家族はあなたの一部だから家族の善いところを書いてよい

    この決まりは、とても大切だと思っています。
    自分が生まれて生きている、その基礎の家族、特に両親の善いところに気付き、
    言葉で表すことは、自己肯定のために、不可欠です。

 
● 希望実現のために ●

⑤ ページの下半分に自分の希望や目標を書く 
 
    これは、ある程度の期間、目標として続けて書いた方がいいですね。
『期末テストで〇点とる』 
『〇〇高校合格』 
『数学の弱点問題をなくす』 
『中総体までは部活に集中する』 など、いろいろです。


● ちょっとプラスで ●

⑥ 今はまだ苦手と感じる教科を一つだけ選んで、「私は〇〇が大好き」と書いてよい
 
    毎回10個書くのは大変なので、ほとんど全員がこれを書きます。
    何度も書くうちに、苦手意識も薄らぎます。
    また、次に書きますが、潜在意識について説明するための
    話の流れを作るのにも、とてもよいようです。


※書き始める前に、このノートを書く意味をしっかり説明すること

何のためにやっているのかが分からなければ、勉強時間が減ってしまう、などと思って、否定的な気持ちで取り組む生徒も出てきてしまうはずです。
ですから、現在意識と潜在意識について、しっかり説明することが大切です。
学年や理解力によって説明は変わるでしょうが、私は少なくともこのような説明をします。

  泳ぎたいな、と思っても、絶対顔を水につけられない人や、
  高いところや狭いところに、どうしてもいられない人がおられるでしょう。
  今の心が、「泳ぎたい」とか「ここにいるぞ」と思っても、
  潜在意識という心の深い部分が、昔の怖かった体験などを覚えていて、
  「無理だ、これは絶対無理だ」と思って邪魔をしてしまうんですね。

  勉強でも部活でも同じで、自分ではやろうと思っていても、
  心の深い深いところで、
  「どうせやれない」「よく失敗する」「お母さんに叱られてばかりで自分はダメ」
  などのマイナスの言葉が渦巻いていたら、なかなか成功しないんですよ。

  奥底の心が
  「やれる、絶対うまくいく、頑張れる!」
  「いろんなことに恵まれてる自分なんだから、絶対大丈夫!」
  と自分を認め、励ますようになりましょう!
  そのために、自分をほめる言葉を、自分の中にどんどん入れていきましょう!

 
ここまでで、随分長くなりました!
生徒の書いたものの紹介は次回に。
それから、生徒はたいてい「もう書くことがない!」と言いますので、
そんな時にどう言うか、なども書けるといいですね。

2013年7月22日月曜日

花の咲かない寒い日は,下へ下へと根を伸ばせ!

小学校教諭のY・Sです。
みなさんは,お米すなわち稲の花を見たことがありますか?
稲にも花が咲くんですね。って当たり前のことですが,稲作農家の子どもでも,稲には花が咲かないと思っている子がときどきいます。
高学年の理科の時間にこんな質問をしてみました。
次の中で花が咲く植物はどれでしょう?
・さくら
・杉
・稲
始めはほとんどさくらとだけ答えます。少し考えて,あぁ,杉花粉症という言葉があるから杉も・・・。でも稲の花は・・・・?
植物はどれも花が咲くのです。子孫を次の世代に残すために。それくらい理科でしっかり教えないといけませんね。
これを書いていたら思いだした言葉があります。
 

「花の咲かない寒い日は,下へ下へと根を伸ばせ。やがて花咲く春がくる」
 確かこのような言葉だったと思いますが,誰の言葉かは忘れました。勇気をもらえる言葉ですね。一粒の種が地に落ちて,大きな木になり花を咲かせるためには,冬枯れの寂しい季節を何度も越さなければなりません。冬の次期にやがて来る春を心に描ける者だけが自分らしい花を満開に咲かせることができると思うのです。
 多くの植物は,冬の一番寒い時期に花の蕾を出します。何故?それは冬の寒さに凍らないためには,糖分をつくらなければならない。その糖分が蕾の凍結を防ぎ,かつ花を咲かせるための養分にもなるからです。植物よりも何万倍,何億倍高等な人間が,厳しい人生の冬の次期に萎れてしまうのは,誠に情けないではありませんか。沈滞期には屈することなく,「いまこそ力を蓄える良い機会だ。」と自分に言い聞かせて,根をしっかりと伸ばしたいものですね。
耐性の欠如は教育界でも問題になっていますが,子どもだけでなく,親も大人もチョットした苦難や面倒なことからすぐ逃げようとする傾向があることは否めませんね。豊かで便利な時代の欠点というにはあまりにも・・・・という事件や事故が最近多いからです。殊に子どもへの虐待は許せません。また,自殺者が交通事故死者の3倍もいるという現実も無視できません。
 今,日本の社会が大きな転換期にさしかかっていると感じます。口先だけの正義論や体制批判,精神論などではもうダメです。やはり根本的な「治療」が必要ですね。では,それはどんな治療か?答えはもう多くの人々の心の中で出ているように思うのです。が,人間というものは,「変わること」に拒絶反応を示す傾向があります。いつまでも古いものの見方やや考えを握っていて,それが不幸や失敗の元だと分かっていても,面子や体裁の方を気にして放さないのですね。困ったものです。禅の言葉に「放てば手に満てり」というのがあります。我の計らいで掴んでいたものを一端パッと放してしまえば,新しい価値観や見方が開けて,人生の扉が開くものを・・・。

2013年7月21日日曜日

「単位を下さい」と言われたら?


大学教授のM.Y.です。いま多くの大学では半期ごとのセメスター制がとられていますので、この学期末の7月下旬は、試験の時期ですね。この時期になると、学生から言われることがありませんか?「先生、単位を下さい」と…。

出来が良くないのに、大目に見て単位を「あげる」わけにもいかないし、かといって、頭ごなしに叱りつけてしまったら、反感を買うだけかもしれません。こんなとき、どうすればよいのでしょう?

私の場合は、いつもこう言っています。「単位は“もらう”ものではありません、自分の実力で勝ち取るものです。単位を取るために必要な条件については、ちゃんとした客観的な基準を設けています。皆さんは、その基準を満たせばよいのです。こちらはその基準に沿って、公正に評価します。自分の実力を十分に発揮して、正々堂々と単位を勝ち取って下さい」。

生長の家創始者・谷口雅春著『あなたは無限能力者』(楠本加美野編、日本教文社)14頁には、次のように書かれています。

ひとたび吾等が地球に生えた黴(かび)ではなく、太陽を造り、星をつくり、地球をつくり、それを秩序整然と運行せしめているところの宇宙的な力が自分自身だと云う自覚を得るときには、人間の弱小感は去り、劣等感は消え、勇気凛々乎(りんりんこ)として、活力は増大し、機略縦横どんな素晴らしい働きでも出来るようになるのです。

このように、生長の家では「人間は神の子で素晴らしい」と説きます。本当は素晴らしい実力の持ち主だと学生を信じていると、「その実力を発揮しなさい!」と遠慮なく激励できるのです。

そうすると、仮にその実力を発揮する努力が足りずに「不可」の評価を受けた学生がいたとしても、その評価には素直に従ってくれます。大目に見るのではなく、ただ頭ごなしに叱るのでもなく、温かい目で見守りながら毅然として学生を激励できる道がここにあるのです。

大学教授 M. Y.

成績が伸び悩む生徒達に ----- 自分をほめよう!


学習塾教師のA.Mです。 初めての投稿です!

努力して頑張っているようなのに、成績が伸びない子。
最近、増えているように思います。

一昨年、中学2年生の多くがそうだったので、もしやと思うことがあり、尋ねてみました。
「もしかして、自分のこと、好きじゃない人?」
すると、ずらっと手を挙げたのです。

自分のことを好きじゃない、自信がない、価値がないと思っている。
その状態では、成績は伸びないことが多いものです。

そこで、学習前に、自分をほめるノートを書くようにしました。
題して
『私は素晴らしい存在だから、自己讃嘆で未来を拓く
      希望実現のためのノート』
 
この学年だけでなく、中学生全員で取り組みました。
コツコツ書き続けました。
すると、昨年の夏過ぎから、中3になったその子達はみな成績がぐんぐん伸び始め、
この前の3月、全員が希望高校に合格しました!
合格判定テストなどで、その高校にはC判定がついていた生徒達でしたが、
秋ごろにはA判定になり、気持ちよく、入試に向けての学習ができました!

自分の善さを自分で認め、ほめること。
子供も大人も、何かを頑張る時には(というより、生きていく間ずっと!)
大切なことですよね!

次回は、このノートの書き方を紹介したいと思います。
そして、生徒たちの素晴らしい言葉の数々も、ぜひ読んでいただきたいと思います!

 
                            A.M    

2013年7月14日日曜日

いじめなんかしてる場合ではない・・・。

この動画は「東日本大震災」の10日後,避難所となっている体育館で行われた宮城県気仙沼市の中学校の卒業式の答辞の場面です。避難生活をしている人たちが卒業生のために式ができるよう,スペースを空けてくれています。この中学生(当時)の言葉は多くの人に感動と勇気を与えました。この学校の卒業生はいじめとは永遠に無縁でしょう。今,彼は専門学校で防災技術開発の勉強をしているとのことです。
http://www.youtube.com/watch?v=l19NX4jTyV8
 
ちなみにこの動画は,TV画面をデジカメで撮ったものです。

いじめ問題は解決する― 日時計主義の教育を ―


 高校教諭のK.Oです。                                
 かつて、いじめの問題を指導しました。1人の女子生徒がターゲットにされ、3~4人の男子生徒からいじめられた事件でした。携帯電話に悪口のメールが送られる。それも複数から集中的に繰り返して。教科書等も隠されたり、いたずらされることが頻繁に起こったのです。それが発覚し、加害者の男子生徒は無期停学処分となりました。

  私は指導担当として、長期間彼らを指導することになったのです。授業には出席できないので、主に清掃等の奉仕作業・読書・反省文・面談を行いました。面談では生徒の話を聞きながら、人間は神の子でみんな素晴らしい生命であること、また愛と感謝についてや思いやりのある生き方等を話しました。とくにノートを1冊用意させ、自分と周囲の人達の良いところをさがして、書くことを指導したのです。自分の良いところを5つ、友達の良いところを5つ毎日毎日書かせました。

  はじめはなかなか書けませんでしたが、だんだん書けるようになっていきました。つまり光明面を見て、日記を毎日書いたわけです。今思えば、この日時計主義の日記を中心とした、日時計主義の教育が彼らが立ち直る一番の力になったと思います。その後、彼らは処分解除となり、教室に戻ることができました。女子生徒も男子生徒たちも無事卒業していきました。

生長の家総裁、谷口雅宣先生は次のようにご教示くださっています。

  この日時計主義の生き方をしていれば、「物がほしい」とか「遠くへ行きたい」とか「まだ足りない」とか「不安である」などという一種の精神的飢餓感から解放されます。今の日本には物があふれているのに、そういう“心の貧困”があります。物が多いことで、かえって精神が飢えている――そういう物質主義的な生き方から抜け出す道が生まれてくるのです。価値観の転換が行われて、外から何かを付け加えることで幸福を感じるのではなく、内部の神性を開発することに喜びを見出す。他から奪うことではなく、他に与えることで充足する――そういう新しい人間の生き方が広がっていく。
        『次世代への決断―宗教者が“脱原発”を決めた理由』178179

 生徒たちは物をあふれほど与えられているが、心が貧困で満たされていなかったのでしょう。いじめ問題は必ず解決します。本来、実在世界にはないからです。生徒の欠点、悪いところを指摘しても解決しません。いじめをさがしだすだけでは、なくならないのです。すべての生命、植物も動物も鉱物もその生命を愛し大切にするこころは、自分や友達の良いところを見て思いやる生き方に生長します。

 良いところ、明るい面を見る日時計主義の教育を実践しましょう。
 自然界に、教え子に、先生方に神の愛を与えましょう。          
                                                                K.O
輝く喜びの時刻のみを記憶し、語り、思い出す生き方

2013年7月5日金曜日

やる気を起こさせるとっておきの質問

 
 
 最近の子供(特に中高生)の中に「無気力」「やる気がない」子が目立つと時々耳にします。そうでなくても「覇気が無い」子供が多くなったとベテランの教職員も嘆いていることがあります。それは大人の社会に原因があるのではないでしょうか。大人たちの将来への不安感,「どうせ世の中よくならない」「誰が政治をやっても同じさ」等々のあきらめ感が蔓延し,目先の欲や快楽に走る雰囲気に社会が向かっては子供たちに夢や希望,やる気を起こさせることなど到底できません。ましてや,指導者たる教職員がやる気無しでは話になりません。「とはいっても,理想と現実はかけ離れているし,毎日仕事に追われて,おまけに給料はカットされ,ときたら無気力になるのも無理はないでしょう。」と反問されますか?「じゃあ辞めたら?」「でも,他に仕事がないし生活もかかっているし・・・。」私に言わせれば,生活のために嫌々教員をしているならすぐに辞めるべきですが。
前置きが長くなりました。私はもちろん毎日が楽しく,やる気満々です。では,どうしたら子供たちにやる気を起こさせることができるのか?それは私の若い頃の失敗から生まれた質問法です。
 あるとき,宿題もやってこない,授業中も手を全く挙げない,質問にもいい加減な反応をする男児に対して,私は「お前,何しにここ(学校)にきてるんだ!」と一喝しました。今時こんな檄を飛ばしたら即「教育委員会に通報」ものです。でも,その子は何故か次の日から生まれ変わったようにやる気を出したのです。不思議に思って私は昨日の言葉は言い過ぎたことを謝りながら訳を聞いてみました。そしたら,「先生,昨日の先生の質問よく考えてみたんだ。」「え?」「僕何のために生まれてきたのかって。」「おいおい,先生は何のために学校に来てるんだと言ったんだが?」「僕は何しに生まれてきたのかって聞こえたから考えた。」「そうか。それで?」「僕は,・・・お母さんを喜ばせたい。」「偉い!君はすばらしい!」
 もし,やる気のないことが子供がいたら,やさしい語調で「あなたは何のために生まれてきたのか考えてみよう。」と問いかけてみてください。必ずやる気を徐々にまたはいきなり出すこと請け合いです。
 それよりも「あなたは何のために先生になったのですか!?」と聞く方が先でしょうか?